楽しいお散歩

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ
 自然豊かな多摩地区、そこには歴史の宝庫の神社仏閣もありますね。

こんな歴史があったとは

2022-02-28 17:24:46 | 日記

こんな処へ来ました。

近くにはこんな立て札が立っています。

 この場所は、中野区本町の朝日が丘公園の南側です。江戸名所図会には「中野に象厩を立ててそれを飼おせられし」とあります。象小屋は、この辺りにあったといわれています。当時、象は大変珍しい動物で人々の好奇心をそそり、書物や象にちなんだ調度品などが盛んに作られました。中野の象は、享保13年(1728)中国人貿易商鄭大威が安南(今のベトナムあたり)から連れて来たもので、京都で中御門天皇と霊元法王の謁見を受け、江戸で将軍吉宗が上覧した後、しばらく浜御殿に飼われていました。後にこの像を下げ渡された中野村の源助は、成願寺近くに象小屋を建てて飼育を続けました。寛保2年(1742)に病死した後、皮は幕府に献上され、牙一対は源助に与えられました。この牙は、宝仙寺(現、中央2丁目)に保存され、戦災にあいました。

成願寺へやって来ました。門をくぐり、中へ入って見ます。

 ここは参拝堂だそうです。

いろいろな石仏像がたくさんあります。みんな愛嬌のある顔で出迎えてくれました。

こういう珍しい鬼瓦もありましたよ。

 ここは、長者閣という建物です。まだまだ見るところがありそうですね。次回に紹介します。

                                 つづく


ここはどんなお寺かな

2022-02-24 11:10:12 | 日記

やって来たその先にあるのは、どうやらお寺見たいですね。

実が鈴なりになっている銀杏の木がありました。

とぐろを巻いた人面蛇かな? こんな珍しい像もありましたよ。

多くの仏さまが立っている万霊界塔ですね。

その先にも、たくさんの石仏群がありました。さぁ、本堂です。

お参りして失礼します。ところで、このお寺は、真言宗豊山派寺院の福寿院といい、南光山医王寺と号します。福寿院は、智真上人が開基となり元応元年(1319)に創建、僧寛宥(享保11年1726年寂)が新義真言宗に改めたといいます。元応元年に智真上人の開基と伝えられていて、本尊の薬師如来像は、弘法大師の作と伝えられています。一体を当院に安置し、他の体は新井薬師の本尊としたといいます。なお、この本尊は霊仏であり、今日でも秘仏となっています。また当院の境内にある弁財天は、井之頭の弁財天の娘であるとの言い伝えもあります。文化財として、文和3年(1354)、貞治4年などの銘のある板碑(鎌倉時代に流行した卒塔婆の一種で石で作られている)。が保存されています。板碑とは、秩父産の青石でつくられた供養塔で、鎌倉~室町時代に数多くつくられました。板碑の存在は、その周辺にこの時代の集落があったことを物語ります。このことから福寿院のまわりは、中野を形づくった集落があったことがうかがわれます。

                               つづく


今度は神社だぁ

2022-02-21 14:23:07 | 日記

親子の狛犬がある神社に来ました。

ここは屋台蔵だそうです、お祭りの時にはさぞかし盛大な屋台が繰り出すのでしょうね。

境内は、かなり広いですね。黒猫がいましたが、番猫なのかな?

 ここは奉納殿らしいです。いろいろな催しが行われるようですね。

これは本郷道という道路が出来たことを記念して造られた記念碑だそうです。

ところで、この神社は本郷氷川神社といい、中野区本町にある氷川神社です。本郷氷川神社は、文明元年(1469)太田道潅が江戸城築城の際に鎮護のため大宮氷川神社より勸請し創建したと伝えられます。江戸期には当地旧本郷村の鎮守でした。以前行ったことがある所沢市にも同じ名前の神社があり、勘違いしそうになりましたが、こちらは文京区の本郷に近いのでしょうね。

                                 つづく

 

 


おやおや、またこんなお寺に来ました

2022-02-18 14:09:47 | 日記

こんな珍しい仏舎利塔があるお寺です。

境内にはザクロの木もあります。

ここにある石仏は、馬頭観音や庚申塔などで、向かって左側の文化13年(1816)の馬頭観音は、頭上に馬頭をつけ、角柱部分は道しるべになっています。左あふめ道(青梅)、右いくさ道(井草)と記されていて、もとは青梅街道と石神井道とが分岐する追分の三叉路(中央4丁目)にありました。庚申塔は干支の庚申に由来するもので、日月、青面金剛、邪鬼、三匹の猿、鶏などが彫られていあす。ここには、元禄3年(1690)から寛保2年(1742)までのものが6基あります、このうち4基は、上宿(中央2丁目付近)、新町(本町6丁目)、西町(中央5丁目)の青梅街道の沿道にありましたが、道路拡張のため、桃園第三小学校の大ケヤキの根元に移設され、さらに、昭和30年(1955)に当寺院の境内に安置されたものです。ということだそうです。

 六地蔵もきれいに並んで立ってます。

この六地蔵についての解説版もありました。

本殿は、このようにかなりの大きさでした。

本殿の柱の両側には、このような鬼が灯りを支えていました。ところでこのお寺は天文13(1544)年の創建と伝えられ、以前は、現在地から北東の中央3-7付近にあったのが、江戸時代にこの地に移転しました。入口付近には金色に輝くパゴダ(仏塔)が置かれていますが、この中にはタイ国の寺院から寄贈された仏舎利が安置され、東京における東南アジアの仏教徒の信仰を集めています。また、寺院内には地蔵や庚申塔など多くの石仏があります。ということで、東京メトロ丸ノ内線「新中野」駅から徒歩7分のところにあります。

                               つづく

 


次へと進みましょう

2022-02-16 15:49:22 | 日記

それでは、宝仙寺を後に次へと行きます。

途中で、こんな建物を見つけました。何やらいわくありそうな気がして、近づいて見るとやはりでした。

このような説明版があり、中野の街に貢献していた地場産業だということでした。

今度は、ちょっとしたお寺へやって来ました。

境内は、それほど広くなく静かな雰囲気が漂っています。建物は改築したのか新しいものでした。

常昌院というお寺でした。曹洞宗寺院の常昌院は、松吟山と号します。常昌院は、安心庵と号して文禄年間(1592-1596)に創建、二世恵海尼が当地に移転の上松吟庵と改称したといいます。昭和10年豊橋にあった常昌院の名跡を移し、松吟山常昌院と改めたそうです。やはり、歴史はあったようですね、ただ当地にはあまり縁がなかったというようです。

                                 つづく