楽しいお散歩

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 自然豊かな多摩地区、そこには歴史の宝庫の神社仏閣もありますね。

そろそろ帰るかな

2022-08-31 11:18:14 | 日記

足先を駅の方向へ向けよう。しばらく歩いて行くと、

ちょっとした丘の上に、小さな稲荷神社がありました。富士稲荷神社と言われていて、練馬区豊玉南にある稲荷神社です。創建年代等は不詳ながら、鳥居は昭和40年の、狛犬は昭和3年の銘が残されている他、明治43年(1910年) 発行の「假製版 東京近傍16 新井」(日本帝国陸地測量部)に、該当地に鳥居が記されていることから、遅くとも明治43年には祀られていたものと思われます。とありました。

今度は、こんなタコの滑り台のあるこじんまりした公園に到着です。しばらく歩くと練馬駅の近くに、

大鳥神社という神社に着きました。この練馬大鳥神社は、練馬区豊玉北にある大鳥神社です。

練馬大鳥神社は、正保2年(1645)三羽の鶴が飛来し保護したものの、死んでしまったことから鶴の霊を祀り創建したといいます。境内の石造物では、明治6年(1873)の神名碑と10年(1877)の神社名碑が最も古い。現在の社殿、神楽殿は鉄筋コンクリート造りで、ともに昭和59年に改築したものである。なお、境内には石造の薬師如来の小祠がある。舟形光背浮彫の座像で、「安永5年6月16日、矢嶋源八造」の陰刻があるが、当社とは直接関係がない。もと豊玉北5-23の往来に面したと所に立っていた。いつ頃この境内に移って来たかは不明である。と説明されています。

ここを終点に、ひとまず練馬駅から帰ります。

                       この項おわり


こんなお寺に着きました

2022-08-16 11:08:48 | 日記

清楚な門構えと奥には宝塔も見えます。入って見ましょう。

正覚院というお寺です。このお寺は、真言宗豊山派寺院で、天満山観音寺と号します。正覚院は、長禄年間(1457-60)江戸城築城の際に市ヶ谷から立ち退いてきた農家が、天満宮(現豊玉氷川神社)の別当として創建したと伝えられます。豊島八十八ヶ所霊場7番札所です。幕末から明治にかけて、ここで「筆道稽古所」という寺子屋が開かれ、地域子弟の教育に携わっていたことがあります。境内には以前、村内各所にあった庚申塔や、不動明王などの石造物が数多くあり、また観音堂前の「八子地蔵尊」は不幸な厄に遭った八人の幼児の霊を弔ったものです。とありました。かなりの歴史もあるんですね。

弘法大師像ですね。

観音菩薩像の可愛い子どもを抱いて、足元にも抱いて欲しいとせがんでいる子どもの姿に思わずパチリと。

六地蔵のほかに石造の仏像も数多くありました。

本堂も立派な建物です。

扁額は、読みやすい文字ではっきりと天満山と書かれていました。

                       つづく


じっくりと神社を見た後には

2022-08-07 17:25:19 | 日記

少し離れた位置から見た本殿です。

七福神の乗った宝船もありますよ。

可愛らしい子どもを抱いた観音菩薩像もあります。

 

近くには、ゆたか緑地という公園もあります。さて、千川通りに出ることにします。

千川通りに沿って、武蔵学園が並んでいます。中高一貫の大学まで優秀な子供たちが集まっているそうですよ。通りを横断して、向こう側へと向かいました。

華王寺前という信号機が見えました。今度はお寺に出会いそうです。

何やらお寺らしからぬ建物ですね。どんなお寺なのでしょうか? 日蓮正宗の華王寺は、荘厳山と号します。昭和44年日蓮正宗大石寺第66世法主日達上人が創建しました。ここでは、どうも教義の講習などを行っているようです。それでは先へ、

今度は、古めかしい博物館の建物の前へ来ました。この住宅街の一角に燦然と居を構えるレトロな建物「唐澤博物館」は、教育学・教育史研究家として名高い唐澤富太郎氏が収集した数万点もの研究資料の中から特に有益とされる約7,000点を展示した施設だそうです。まるで明治時代の小学校のような往年の雰囲気を感じさせる3階建ての建物は、1階が「子どもと学校130年」、2階が「江戸時代の学び・子どもの遊び」、3階が「日本人の暮らし」としてそれぞれテーマを分担。昔の教科書や通知表、すべて当時使われていたものを配している寺子屋の再現、かつての日本の暮らしにあった生活調度品など、民俗学にまで及ぶほどのコレクションがあり、その道の人には実に圧巻なものとなっているとのことです。コロナ禍でもあり、残念ながら中へは入れませんでした。

また少し行くと、豊玉北児童公園に到着しました。ここで一服して行きます。

                             つづく