ちょろきんの戯言

主に毎日のごはん、イベント、想ってる小さなこと。

退職の日

2006-11-17 | おいら

 

今日は筆が進むんよ。本日3本目・・

それはね。今日が私にとって区切りの日だから、ちゃんと自分で自分の気持ちを整理をして、明日からまた新しい自分と向き合おうと思ってるから。。

ちゃんと書き残しておかねば・・

このブログを始める時に、日記とアルバムをたして2で割ったようなものにする決意で始めたわけで。。だから今の気持ちは今、書き残しておこうと、そういうオンナなんよね~。面倒くさいねぇぇ、まぁ、これが自分ぢゃ仕方ない。

入院生活のことを書かねば今日に至ることが出来んかった

入院生活のブログ中でわざと書かなかったもの。それは仕事に関してのこと。

入院中、気持ちの余裕も出てきたあたりで今後について考えてみる。。。

主治医と話をして、今回の病気の原因はなにと問いただしてみる。

憩室炎は特に便秘の人がかかりやすい病気のようだ。

私の場合、便秘だけは縁遠い人で、今までツライと思ったことが余りないのね。

後は、バリウムを飲んだ後にかかることがある。という説明やったがねその可能性もないし。。

となるとやはり1番は“ストレスと過労”。

ここに行き着くわけで。。ということは、ダレでもなりうる病気ということです。

今年の春から朝から昼までの仕事を始めて、それまでしていた週2回の午後からの仕事をその時、辞めようと思ったものの結局よー辞めんかった。

3年勤めてきたところだし、私がその時辞めることで多大な迷惑がかかるのも目に見えて判ったし、何より子ども達のことが心配ぢゃったし。。

続けられるところまで続けます。という約束で2足のわらじを履くことにした。

しかし、夏前には限界がきていた。

カラダがしんどい。お昼ごはんを食べる時間もない。朝8時半に出勤したら夜7時まで帰宅できない生活はたとえ週2日しかないといえども、キツイ

で、お昼からしてる仕事の上司に来年の春にはどうしても辞めます。という意向を伝えた。それまでは自分なりにがんばってみよう。とその時は決心した。

結果、決心以前にカラダが悲鳴を上げてしまったわけだけどね。

逆に言えば、どうしてこうなってしまうまでに自分で気がつかんかったんか・・ということになる。

夏は忙しかった。子ども会のこと、フットのお世話、学校での問題、それに仕事。。

どこの母親も背負い込むことばかりかもしれないけど、オーバーフローにもっと早くから気がついてれば、入院までいかなかったのかもしれない。

“私はまだ若い!元気!”と自分に言い聞かせて毎日をごまかしながら過ごして感も多少あり。。

今からはカラダを労わらんと・・・歳に気付いてしまったわけで・・

で、この入院中に出した結論。。

お昼からの仕事を辞めようということ。

朝からのお仕事は毎日行くお仕事で、職場環境もいいし、もっとやってみたいと今現在思えるお仕事。こう書いてしまうと語弊を招くかもしれないけど、午後からの仕事にやりがいがなく、職場環境が悪いといってるわけではないんよ。

夕方、家を留守にしてきて3年になるけど、これからの家庭環境の変化にその時間帯はついていけないだろう・・と自分が1番思ったからなんよ。

子ども達も理解はしてくれてはいるものの、我が子をみてやれないのはやっぱり今の私の仕事(母親)としていけないんぢゃないかな。。と思うようになったわけで。

これも結局は朝の仕事を始めたのが原因かもしれないけど、私の仕事に対する考え方が変わり始めたのも発端。

3年も子ども相手に仕事をしてきて、得るものも多くパワーももらい楽しかったし何より楽しかったけど、朝からの仕事の方に興味がいってしまったというのが本音です。

今までは半分半分でシーソーが成り立っていたのが、朝からのお仕事のウエイトが大きくなってしまっただけのこと。人間は常に変化もしていくもんなんだと、しみじみ思った。

上司にその旨を伝えたが、すぐには理解してもらえなかった。多分、そうなるだろうとは思ってはいた。

上司は『今までのようなハードなやり方ではなく、負荷を減らしますから続けてください。』と言う。

そう言ってくださるのは有難いことだ。。でも、もう決めた私は私自身と家族を優先する。

私の悪いところは、熱中すると家族にも多少の犠牲を払わせるところ。

そして今まで自分のやり方で100%の力でやってきたものをペースダウンして30%でやってもいいよ。と言われてもそんな器用なことが出来ない私と、そう言われる自分に腹が立つ。

その間で長いこと、悶々としていたが、電話でハッキリ辞めさせてください。と再度宣言した。私は家族を大切にしたいから、自分も大切にこれからしていこうと思うからだから続けることは出来ない

やっと了承してくれた。後は、自分の気持ちの整理だけ。辞めることがゆるぐことはなくても、子ども達のことを考えると揺らぐ自分もいた。

が、今日職場に挨拶に行き、事務所の鍵も返し正式に退職してきた。

同僚にはそれぞれ手紙を書き、自分の想いも伝えた。

面と向って挨拶できた人には感謝の気持ちも直接伝えた。

私の3年半の仕事は今日、幕を閉じた。

ちょっと寂しい気もする。でも、前を見て歩く。私が決めたことだから。自信を持って前だけ見ていく。

それが意地っ張りの私の生きかた。

人生2度目の退職だ・・・こなきが帰ってきたら祝杯ぢゃ。

って、日付が変わってる時間だから無理かもな・・・

 

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

入院生活(後期)

2006-11-17 | おいら

 

いきなり中期をとばして、後期ぢゃ~

入院して5日目に病室の移動があった。今度はどこに不安が募るが、このおばあちゃまたちの暗い雰囲気から抜け出せると思うと少し嬉しかったりして。。

で、移った先は窓側だったのでまず明るい。(それまでのお部屋は壁側な上にカーテンを開けない人たちばかりだった開けれないというのが現状だったのかもしれないけど、ハッキリ言って隣の人の顔も結局わからずじまいやったわけで。。)

士長さんが、『カーテンは昼間は開けておいてくださいね』と言う。

“今までいたところではそんなこと言わんかったぢゃんか。。”

やっぱりあの病室は重い患者さんたちばかりだったのね。

その頃、病室の入り口の名前が色分けされてることに初めて気付く私

ふーーん。今度のお部屋のおばあちゃま方はどんな人たちかしら・・

平均年齢70はゆうに越えてるわけで。。でも、このお部屋の人たちはお互いがおしゃべりをしてだから、ラクだった。

特に隣のおばあちゃまとは、色々な話をした。

どこの誰だか知らない人とこうして話をするのも、枕を並べて寝るのも不思議なご縁なんだろうなぁ~

お見舞いでもらった江原さんの本が特にそう言ってるかのようだった。

兄も同じ病棟に入院していたので、朝晩と義姉さんが顔出しに来てくれる。

『いるものがあったらいいんさいよ。』

義姉さんにはホント感謝だ。兄は兄で手が思うように動かせない私を気遣って

部屋に来ては世話を焼いてくれるので、私の入院生活12間は、お姫様のような生活だった。

兄弟でゆっくり話しをしたのも久々やった。もともと年も離れてるし大人になって初めて兄弟らしく同等に喋れるようになったものの、お互いが家庭を持ってしまうと、なかなかゆっくり喋る機会もないわけで・・・

病院とは、心もカラダも休める場所なんだなぁ~と体験してみて初めて思ったこと。

だって、肩こりがないんだもん今じゃ信じられん

“肩がこってないってこういうことなんよね~懐かしい・・・”と思ってしまったわ。

結局24時間点滴は8日間続き、その日のお昼から三分粥を食べることが許された。

私、おかゆって嫌いなんよね。白米食わせろーーーーって言いたかった。

まぁおもゆでなくって良かった・・とも思ったけど。

8日間でした点滴は合計38本。数える私もアホやろ。

検査はCT・胸部レントゲン・超音波・大腸ファイバー・血液検査は随時。

退院の前日に大腸ファイバーの検査を受けることになっていた。

主治医が『せっかく入院もしたことだし、憩室の炎症の原因が便かどうかをちゃんと確認しておきましょう。万が一ポリープだとマズいので・・・・』

ということで、することになったんだけど、丁度その日は主治医が学会出席の為、不在というのよ。

えーーっ。ダレがやるん

『他の先生に頼んでおいたから・・大丈夫よ。』簡単に言ってのける主治医

前日の昼ごはんから検査食が出る。カロリーメイトのようなものやら飴やら。。

夜には軽い下剤・・・晩御飯が終わったころ、若い見たこともないイケメンの先生がやってくる。

『明日、検査を担当する○○です。よろしくお願いします。明日、がんばりましょうねっ

若いからかキラキラしてる。。

“ホンマに免許持っとるよね”と疑いたくなるほど若くてイケメンでピチピチしてる。

まぁ、顔で検査する訳ではないし、しかし、この人にお尻を見せるのね

別にえーけど。。(私ってすっかりおばさんよね。。)いやいや、患者ですから。。

この大腸の検査が地獄でしたわ。

1.5リットルもの下剤を2時間くらいかけて飲むんだけど、これがまさに地獄・・・

1リットルくらいまでは楽勝やったんよ。残り500がキツイきつい・・

ひっきりなしにお腹はピーピーいうし。。

しかも外来が終わってからの検査なので、予定の11時半をゆうにこえて、2時半よ。呼ばれたの。。。

せっかく食べれるようになった後だっただけに、辛かったっす。

しかも、ビビリの私は自分で自分の腸内を見れるモニターを直視することなんて、出来るハズもなく、

『先生、私はモニター見れないので勝手にやってくださいね。それと出来るだけ喋ってもらえますか・・

と要望まで出して検査に挑みました。

イケメンであんたぁ、免許ホンマに持っとるんね~と疑わしい先生だったカレはとても上手でした。腕のいい先生に恵まれて幸せです。

この検査が終われば退院・・・やっと家に帰れる。。でも、このまーたりとした生活も楽しかったなぁ~(複雑・・・)

こうして、私の12日間に及ぶ入院生活は終わったのでした。久々のシャバの空気の美味しかったこと。食べ物の美味しさも実感しました。

健康あっての人間・・これからは自分のカラダを気遣いながら、生きていくことにしましょう。。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

入院生活(前期)

2006-11-17 | おいら

 

前回に続いて、2日目の朝からのお話を書いておきましょう。。

痛みとともに過ごした夜が過ぎ、朝になっても自分が何故ここにいるのか不思議な感覚がずーーっと私の中にはあったのは確か・・

ただ、点滴ってすばらしいね

翌日には痛みが取れてたもの。

先生から初日に入院についてこう言われました。

『当院はベッドがいっぱいなので、呉のI病院かS病院に連絡してみてあいてる方に今日中には入院してください。』

もうその時点で“今日は帰ったらダメ”って言われたのと同じで、ガガガーーーン!

じゃったし。でも、今考えたらあれでもし、帰宅してても寝るどころかまた救急で深夜来ることになってただろうな・・・というのが正直な感想。

それほど、炎症はひどかったんだろうと思われ・・

翌日には個室から4人部屋に移った私。

しかし周りはおばあちゃまばかり・・しかも整形外科だったので、術後あまり経っていない人や、今から手術を向かえる人など、動けない人が多かったりして・・・

自由に歩ける私が申し訳なかった。(片手は24時間点滴に縛られてはいたけどね)

しかし、今回初めて24時間点滴なんて経験をしてみて、手は大切だなぁ~ってつくづく思った。どこも不要なところは1つもないのはわかってるんだけど、まず入院したてに右手の手首付近に点滴針をさされたのね。

手首は曲げ伸ばしするから、痛いのなんのって。。

しかも手首の向きによって、点滴の薬が落ちない状態になってしまう。

右手だから、汚い話、トイレに行ってもちゃんと拭けない・・・コレ、マジ大変。

で、翌日左腕に変えてもらいました。

私の血管ちゃんは細い上に深い位置にあってなかなかさすのが大変なんぢゃって。

へたくそな看護士さんは3回くらい失敗したりする。。

よっぽど『上手な人と代わって~』と言いたかったくらいだ。。

血管が深いのはデブだからと聞いてみたけど、どうやらそれだけで深い訳ではないらしい。。

フン、いつも風邪をひくたびに血管注射するのがイヤぢっゃたんよね。

そんなの自分でわかっとるわいこのカラダともうすでに40年もつきおーてきたんぢゃけー。

1日5本のペースで点滴をします。抗生物質2本(これは小さいのですぐ終わる)と後はでっかいタイプの3本。

完全絶食なので、することもなくひたすらお見舞いにもらったハリーポッターの本を読んでました。テレビも見るのが最初はうっとうしくてね。

まだまだ入院ということに対して夢のような感覚がしばらく続いたのでした。

同じ部屋の人たちの食事の時間になっても食欲は出ず・・・

匂いで、『今日は肉じゃがかしら・・と予想はつくものの、食べたいとは思わない。。カラダが拒否してる時ってホンマに食欲も出んもんなんぢゃわ。。と実感。

ということは・・・これを機にダイエットぢゃ~

ちょっと心の中でほくそ笑む私。。

主治医にも『先生5キロは落ちるかね~』と聞いてみたものの、『それゃ、キツイよぉぉ』という返答がきた。

主治医の先生、女医さんだったので聞きやすかった。偶然にも救急で対応してくれたのが女医さんでよかった~

この頃の私の楽しみはケータイでブログをしてハリポタ読んで、その2つくらいしかなかったなぁ~。

ブログは病院内ということもあるので、その後はUPを止めましたが。

私の入院生活前期はとても不穏に満ちた暗い気持ちのものでした。

といってもその原因は病室の雰囲気にあるんだけどね。これだけは仕方のないことで、私みたいにお腹だけ病気で後は割合元気という人も珍しいんだろうから。

入院後2日目からお見舞いにみなさんが顔出してくださるようになると、俄然元気なんだけど、後でやっぱりドッと疲れが襲ってくる

ヒマだし喋りたいし、と思えば思うほど汗が出てきたり、(微熱はずーっと続いてた。)

夜になると38度まで発熱したり。

でも、病院だし熱には強いしさほど辛くもなく、むしろ病室が暑かったのでアイスノンを借りて寝れる方がラクだった。

最初の4人部屋の日は寝れなかったなぁ~翌日にはこなきに愛用の枕を持参してもらってアイスノン生活に入ったので、それを機に段々寝れるようになっていったけど。結構、私って神経細いのね。。と感心してしまったさ。

こうして私の入院生活前期は終わっていったのでした。

つづく・・・

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする