「JR川越線南古谷駅の北を歩く。
東中を右に見て北上、四辻を右折すると薬師堂と墓地がある。田の中に建っているためか、土地の人は「畦薬師」と呼んでいる。」
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東中から200mほど先の交差点を右折し、150mほど行った左手奥に樹木に挟まれて薬師堂が見えた。
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民家の脇の参道を進むと、正面に薬師堂があり、その後方が墓地になっていた。
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境内の左側には、六地蔵を挟んで、右に半跏思惟の石仏、左に新しい感じの五重の塔があった。
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「本尊の薬師仏は市指定の文化財で、古谷本郷の薬師堂の本尊と同じく、藤原時代中期の作品だという。古谷本郷の発見がきっかけで、浦和第一女子高校郷土部が発見した。87㌢の木彫りの座像で、顔、眼、鼻の作りが大きく、目は彫眼、藤原中期―末期の特徴をよく現している。」
塔の左側に説明板には「木像薬師如来坐像」とあり、説明文と薬師如来の写真があった。
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「境内、享保16年(1731年)粟飯原氏利ほか七名によって建てられた、六臂の青面金剛の庚申塔がある。」
境内の左側には、小さなお堂と石仏が並んでいた。
お堂と地蔵の間の石仏がその庚申塔と思われた。
地蔵の隣りの覆屋の中の石柱には、「稲荷神社」と彫られていた。