川越雑記帳2(川越見て歩き)

41-8 神明神社



 芳野中の角を左折して、まっすぐ進むと左手に神明神社がある。
 神社の前に空き地がある。そこから見ると、三つの鳥居が並んでいた。
 参道へ入ると、二つ目と三つ目の鳥居に神明宮の額が掛かっていた。
 「社伝によると、慶長年間(1596-1615)、村が開発された時、比企郡松山城にあった神明宮を村の鎮守として移したものだという。神社の神事として「とり換え餅」と「やきびん」がある。「とり換え餅」は。毎年二月二一日、各氏子がまゆ玉団子を神前に供え、他の者があげた団子ととり換えて持ち帰るという。
 「やきびん」は、毎年七月二一日、うどん粉を練って茗荷の葉に包み、蒸したものを神前に供え、他の氏子があげたのととり換えて持ち帰り、焼いて食べるというものである。いずれも家内安全と五穀豊穣を祈願する行事である。」



 参道の先には社殿があり、その前に石灯籠と狛犬があった。

  



 社殿の左側には小さな石の祠があり、注連縄が掛かっていた。
その脇には石が積まれていた。これも元は祠だったのであろうか。



 境内の西側、綺麗に整備された所に石碑がならんでいた。
 「境内にはもと幕臣で外国奉行などをつとめ、明治以後は報知新聞の主筆となった栗本鋤雲の題額の「伊勢神宮参拝記念碑」がある。栗本氏は、鹿飼の旧家谷島家と親しくしていたので、そこへ立ち寄った時、書いたものだという。」

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