石碑には上下2段に分かれて碑文が彫られている。
その上段には、次のように書かれている。
川越市指定史蹟 新河岸川河岸場跡
今から三百余年まえ川越城主松平伊豆守信綱が
もと内川といった荒川の支流、新河岸川を改修
して川越と江戸間の舟運を開いた。当時は年貢
米を主としたが、のち 貨客の輸送がふえ旭橋
を中心に上下新河岸、牛子、扇、寺尾の五河岸
には船問屋、商家が軒を並べ、日夜発着の船が
絶えなかった。また その物資を運搬する車馬
の出入も多く賑わいを極めた。しかし鉄道の開
通により次第に衰微に傾き、いわゆる九十九曲
り三十里の舟唄もすべて昔の語り草となった。
一部、先に見た説明板と同じ表現がある。
説明板の方が後なので、石碑の文から引用したのかも知れない。
また、下段には舟歌の歌詞がある。
新河岸川舟唄
九十九曲り
仇では越せぬ
通い船路の三十里
押せよ押せ押せ
二挺櫓で押せよ
押せば千住が近くなる
着いた着いたよ
新河岸の橋に
主も出てとれおもてもや
いろいろな歌詞があるようなので、その一部である。
石碑の裏に回ると、こちらにも碑文がある。
表よりも状態が良く、文字がハッキリと読める。
新河岸船着場の盛況時代をしのび
先人の霊を慰め、かつこれを後世
に伝える為に此の碑を建立する
昭和五十年四月二十九日
新河岸川河岸場跡史蹟保存会
雄峰 遠藤祐次書
旭橋から少し下流へ歩き振り向いて旭橋を見る。
左手の柳のある所に、石碑と説明板がある。
石碑は当初、この土手に建てられていたようだ。
昔の写真を見ると、石碑の脇に柳の木がある。
その後、周囲の改修工事が行われている間は、この土手の直ぐ下に寂しげに置かれていた。
改修工事が終り、現在の所に移設され、柳の木も復活している。
ようやく安住の地を得たようだ。
この辺りから、伊勢安の建物を見ることが出来る。
伊勢安から見えた土手の石段は、川の方にも造られている。
その下は船着場になっている。
NHKのブラタモリでも、ここから小舟に乗り、旭橋の下をくぐっていた。
つい先頃の連休中も、ここから小舟に乗ることが出来たようだ。
旭橋の上から上流を見る。
こちらにも蛇行した流れがあり、この先は、不老川との合流地点に近い扇橋まで橋がない。
この頃はまだ両岸に菜の花が咲いていた。
急に賑やかになったと思ったら、旭橋を渡り園児達が歩いて来た。
園児達は上流に向かい、右岸の土手道を歩き始めた。
その両側には子どもたちより背の高い菜の花が満開になっていた。
最後尾にぐずっている子がいるようで、先頭からはかなり遅れていた。
→川越舟運(新河岸川舟運)
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