KYOKUKENZO'S WORKSHOP 2025

「道」は自ら切り開くもの。
他人の後追いは「道」にあらず。

出島散策。

2025年01月19日 | 
JR長崎駅から
長崎の街を歩く。
見えてきました。

国指定史跡
「出島和蘭商館跡」

日本が海外と交流を
閉ざしていた鎖国時代。

長崎が
西欧に開かれた
唯一の窓口だった。

岬の突端にある
扇形をした人工の島。

この小さな島から

西欧の
新しい知識と文化が
日本中に広まっていった。

そして復元が進む今、
新しい出島がはじまっている。
(パンフレットから抜粋)
出島メインストリート。
その全景。

「旧出島神学校」

19世紀初頭の
出島を歩こう。

キリスト教の
布教を行っていた
ポルトガル人を
収容する目的で
築造された出島は

25人の有力な
長崎町人たちの
出資によって完成した。

ポルトガル船の
来航が禁止されると
平戸のオランダ商館が
長崎出島へ移転。

それから
218年間にわたり
出島には蘭学をはじめ
日本の近代化に必要な
モノや情報が集まった。

海外の優れた知識は
出島から日本全国へと
広がっていった。

幕末に
日本が開国すると
出島の役割は終焉を迎える。

明治期からは
周辺の埋め立てが進み
海に浮かぶ
扇形の原形が失われた。

そして現在、
19世紀初頭の出島へと
復元が進められている。

ここに生きた人々の
物語を探しながら
江戸時代の
出島を歩いてみよう。
(パンフレットから抜粋)

出島の
暮らし・貿易・ひと。

当時の様子が伝わる
長崎新名所です。kyokukenzo

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