舞蛙堂本舗リターンズ!~スタジオMダンスアカデミーblog

ダンス(フラ・ベリーダンス他)と読書と旅行とカエル三昧の日々を綴る徒然日記。

祖父の発明品

2009-07-15 00:03:47 | 徒然話
横井良美は、私の自慢の祖父です。


祖父こと良美さんは孫の私の姿からは想像もつかないくらい(笑)穏やかで優しい人で、私も母も良美さんが怒っている所を一度たりとも見た事がありません。

彼の凄い所は、その優しさが家族だけでなく、およそ全人類にまで及んでいる所です。
自分からはお節介を焼かないけれど、困っている人が居れば黙って手をさしのべ、自分が楽しむ事より他の人の幸福を願う人間です。

そういう人間の前には、人の優しさにつけ込んで利用しようとする人が必ずと言っていいほど現れるものですが、それでも良美さんは決して疑心暗鬼になる事がありません。
おかげで、とても大勢の方が良美さんを慕ってくれました。あまりに「いいひと」であるがゆえに苦労も多かった祖父の人生ですけれど、私としては、その人望こそ良美さんの財産であり、分ってくれる人に良美さんの良さを覚えていていただければ、それで十分だと思います。

母がダンス教室を開いた時、良美さんは既に自分自身の仕事の第一線からは手を退いていて、ダンス教室を裏方として運営する事に専念しました。
その一環で、一日中忙しい母親に代わって私の事も育ててくれたわけです。祖母と一緒に。だから祖父母が私の育ての親です。
一般的に祖父母は4人いるものですが、私にとっての祖父は良美さんだけですし、祖母は絢子さん只一人です(もう片側の祖父母も存じてはいますが、育ての親ともいえる母方の祖父母と同列の繋がりとはちょっと認識しづらく、とりあえず「父親」共々「遠縁の親戚」カテゴリに分類してあります)。

とにかく、ダンス教室の裏方として人生を歩み始めた良美さんは、まずスタジオMの建物を自ら設計してくれました。
建築はもちろんプロの大工さんにお願いしましたが、設計図を描いたのは祖父です。あと、入口のブランコも設計し、他の工場にお願いして作っていただきました。

スタジオ内の照明に関しては、取り付けたのも祖父です。
まるで大ホールの機材のような操作板が家の片隅にあり、それをいじる事でミラーボールが回ったり、室内の色が変わったり、豆電球がチカチカしたりするようになっています。
祖父はレッスンを外から見ていて、進行に応じて照明効果を変えていました。(※通常レッスン時の話です)

母がダンスを教える傍ら、良美さんは音楽を教えていました。
例えばバイオリン、カラオケなどです。バイオリンを教える時はピアノを弾き、カラオケではアコーディオンを鳴らして、生徒さんはあまり多くありませんでしたが(そりゃそうです、特にバイオリンなんて25年前にどれだけの人が習おうとしたでしょう)、とても楽しんで教えていました。

そして、主宰者と同等レベルの愛情を生徒さん達に注ぎ、「ダンスの健康効果」を調べてまとめた文章をレッスンスケジュールに添えて配ったり(あれ、やってる事が今の私と酷似してるぞ)、生徒さんのためとあらば、イベントやパーティーを企画してみんなが楽しめる創意工夫を怠りませんでした。

とりわけ発表会に際しては気合いが違いました。
なんたって大道具を自作するのですから。
スタジオ1階のマイ作業場で「M」型の土台に電球をはめ込んでみたり、後ろの巨大看板(しかも板に描いただけの奴じゃなく、一文字一文字カーヴィングしたもの)を制作してみたり、ブラックライトを付けてみたりしました。

もし、彼がもう少し長く生きていたら、ウチの発表会では頭上をUFOが舞っていたはずです。
じっさい、ラジコン操作のUFOの設計図もかなりの所まで出来上がっていたようです。
あぁあ、それを引き継ぐ理系脳を持たない自分が、ただただもどかしい。


にしても。
いくら「他人の楽しみのためなら労力を惜しまない人」とはいえ良美さん、家設計したり音楽教えたり大道具作ったり、いくら何でもやる事が素人じゃなさ過ぎると思いませんか。
それもそのはず。良美さんは只の祖父にあらず。多方面においてプロな強者祖父なのです。

一番最初にプロとなったのは音楽の分野です。
兄からバイオリンを習い、武蔵野音大を出て(作曲科だったそうだけど、彼の作品は一度も聴いた事がない)良美さんは一通りの楽器をマスターしました。
東京でバンドマンとして活動していた頃に祖母と知り合い、こちらに来てからもバンドをしていた時期があったようです。

バンドマンをしていない時期の良美さんは発明家でした。
ラジコン(昭和30年頃に発明されたそうです)の開発にも携わりました。
自分の興した会社でも、フォルクスワーゲンのラジコンカーや、脚でステップして鳴らすピアノなどを世に送り出しました。

そして、この画像の広告に載っているラジコンオバQです。
これも良美さんの会社で設計・製作され、オンワードに特注した衣装を着せられて(おいおい、衣装へのこだわりはこの頃からなのか)、不二家の賞品として出回りました。
ウチはとても引っ越しが多かったため、このオバQをはじめとしてほとんどの発明品は手元に残っておらず、こうして広告だけでも見つかって、感激するほど嬉しいです。

良美さんは他にもいろんなものを発明したらしく、祖母は祖父の発明を登録するために何度も特許庁へ出向いたとか。
そのわりに特許から得る利益には興味がなかったのか、はたまた縁がなかったのか(笑)。
まぁ、そんなのはどうでもいいことです。私にとって重要なのは、良美さんの人生が幸せであったかどうか、ただそれだけなのです。

良美さんと私がじっさいに一緒に過ごせた時間は長くありませんが、4人家族の中でも我々は共有している部分がとても多く、私の黒かったりシニカルだったりひねくれていたりする部分以外の人間性はほとんどすべて良美さん由来のものです。
だから、発表会やその他のイベントの準備のためにウッカリ寝食を顧みないでいた事にフト気づいたりすると、良美さんが今も我々とともに生きている事を再認識する次第です。

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