ウロコのつぶやき

昭和生まれの深海魚が海の底からお送りします。

ゲゲゲの鬼太郎

2007-05-02 13:33:16 | 映画感想
GWのネタは他にもありまして、ちょっと時間は前後するんですが、気分的にこっちを先に。
母親と一緒に観て来ました。コレが還暦の親と一緒に観る映画なのかとギモンに思ったのですが、妖怪大好き水木ファンとしては押さえておきたい所だったので。
一応、なるべくネタバレはしないつもりですが、どうしてもダメな人はご注意下さい。

***

全体的には、最初から最後まで、退屈せずに楽しめたので良かったんではないかなと思います。母も普通に楽しんでたし。妖怪ポストに投函されたお手紙を、化けガラスがくわえてゲゲゲハウスに運んで行く導入部が良いですね。

ストーリー的には、これアニメ化したらまんま東映アニメフェアで使えそうだと思いました。実写だからと特別なことをする訳でもなく、みんなが知ってる鬼太郎の設定&世界観に忠実に、真面目にきっちり作られたエンターテイメントという感じです。
実写ならではのお楽しみは、「あの人があんな役を?!」な配役の部分ですね。妖怪役はもちろん、人間のチョイ役や着ぐるみ妖怪の声優にも、妙にツボを押さえた大物が出演していて面白かったです。
モト冬樹の学校の先生とか、原作に普通に出て来そう。
ウエンツくんの鬼太郎も、ビジュアルだけみるとガラっと原作とイメージを変えてるのかなーと思っていたら、全然そんなことありませんでした。微妙にテキトーそうな所とか、意外に原作の鬼太郎っぽかった。髪の毛針は撃ち尽くすとつるっぱげになる所までちゃんとやるのね……。
特殊撮影に関しては、エキストラの特殊メイクを専門学校の生徒が担当したりしていて、お金を湯水のように使えるハリウッドみたいにはいかないんだなーと思いましたが、ノリノリで楽しそうにやってる雰囲気が伝わって来たので個人的にはまあ良しです。
完全に着ぐるみ&CGになっている妖怪以外は、「妖怪大戦争」より役者さんの顔が分かって面白かったかも。猫娘田中麗奈ちゃんの可愛い顔が、一瞬にして口が耳まで裂けた化け猫の顔になる所なんかはギャップに一瞬ぎょっとしました。あと、狐役の男性たちが、特殊メイクなしで、動きだけで一目で狐なんだなと思わせてくれたのにちょっと感動。

欲を言えば、アクションの見せ場を小出しにせずに(いや、小出しにしてくれても良いんだけど)、お約束的に、クライマックスに全員集合&最終決戦でどーん!と盛り上がる所も見たかったような気がします。リモコン下駄の出番があれだけなんて勿体ない。空狐との決着も意外にあっけなかったですしね。天狐の使い方にも、もうちょっと工夫の余地はあったかなあと思います。

でもこの映画を見て何より印象的だったのは、大物のタレントさんたちが嬉々として楽しそうに妖怪役を演じてたことです。輪入道西田敏行氏と、ろくろ首YOUが結構美味しい役でした。
鬼太郎は何度もテレビアニメ化されて来て、大人も子供も鬼太郎や、鬼太郎の物語に登場する妖怪たちをよく知ってて親しんでいる。そういう下地を長い間かけて作り上げて来た水木作品の不思議な魅力、妖怪たちの魅力をそのまま伝えてくれるような魅力こそが、この映画を支える最大のパワーなのかも知れないと思ったりもしました。

スウィングガールズ

2006-08-23 20:30:14 | 映画感想
今の時期にこれと「ウォーターボーイズ」を両方やるってことは、「のだめカンタービレ」の宣伝を兼ねてるんでしょうか。多分そうなんだろうな。
「ボーイズ」は前に見たので今回は「ガールズ」の方で。
元ブラスバンド部員としては、そこはかとなく親近感を感じずにはいられない話。
いやあ、音楽って楽しいですねという映画でした。

これと「ボーイズ」を比べて見て思うのは、

○男子はアホ
○女子は厚かましい

だがそれが青春だ、若さの特権だ!

ということでしょうか。
この監督さんの作品は「ひみつの花園」から見てるんですが、なんかこういつ見ても、バカバカしい中に妙なリアルさがあるように感じます。
「人」の描写が等身大なのかな。

で。
個人的に、楽器を修理する場面で出て来た板金屋の兄弟が気になってたんですが。

弟の方を演じていたのが、ボウケンブルー三上くんだったらしい。
道理でなんか見たような顔だと思った。
なにげにこの役は美味しいと思います。ウザい男(たち)だけど、ちゃんと「ガールズ」を助けてくれるし。ウザいけど純情だし。ていうか純情過ぎてウザいんですけど(どんなんだ)。
この兄弟、二人でフォークデュオを組み、別れた(ていうか付き合う前にフラれたのかも知れない)彼女へ未練タラタラの女々しい歌を披露して彼女たちを心底ウザがらせるのですが。……どうもこのアホな歌も三上くんの自作だったらしいです(てことはギター演奏も多分本人)。

なんていうか、こう……とりあえず、グッジョブ!
カブト風間役の加藤くんといい、日曜朝の特撮に関しては、今年は私には、役者萌えする星の巡りが来ているようです。
がんばれ三上くん。

妖怪大戦争

2006-08-13 17:03:46 | 映画感想
PSXのハードディスクに録画したままほったらかしにして実家に帰って来て、実家で姪っ子がビデオテープに録画してたやつを見ました。何やってんだ私。
あ、一応この感想文もネタバレにつき御注意下さい。ネタバレしても多分あんまり害はないとは思うんですけど。

***

作った人たちの、水木しげる先生に対する「愛」が伝わって来るような映画ではありました。水木しげるっぽい感じに再現された妖怪たちを見ているだけでも楽しいです。甥っ子&姪っ子たちもそんな妖怪たちに大喜びです。CGのチープさも愛おしい。

タイトルに反して、戦争する気は全然なくて、しかし祭りと聞くと大喜びでやって来る妖怪たちとか、小豆ひと粒で形勢逆転とか、そういうセオリーを外した脱力展開はわざとやってるんじゃないのかと思います。水木さんの作品って割とそんな感じなので。水木作品の方がより天然っぽくて破壊力ありますけど。
そしてそんなゆるーい脱力感の中に隠された反戦のメッセージとか、タダシとすねこすりの友情とか、ものを使い捨てにする現代文明への批判とか、そういう部分も水木サンっぽいです。

そしてそんな水木テイスト溢れる中に、何故か自キャラである加藤保憲を出してしまう荒俣宏。しかしトヨエツの演じる加藤は既に、「帝都物語」の加藤とは別人だと私は認識しています。トヨエツ加藤はダンディーでかっこいいけど、嶋田加藤の「一目見ただけでも明らかにタダもんではない感じ」には叶わないかも。

***

で、それはいいとして。
これ、ファミリー向け映画じゃなかったんですか?
あの妙にフェチっぽくツボをついたエロさは、一体何を狙ってるんですか???
川姫の太ももは勿論ですが、ろくろ首のほっぺた舐めとか、アギと加藤の関係とか、全編に渡って色々エロくて困ってしまったんですが。

***

あと、補足。
川姫の回想シーン(下半身がワラ人形みたいになってるヤツ)の説明って、本編の中に有りましたっけ。
河童は、工事の時に人足として使われていた人形が用済みになって捨てられたものだという伝承に基づいているシーンだと思われます。
だから、ものを使い捨てにする人間へのアンチテーゼというこの映画のテーマにはぴったりだった訳なんですね。

詳しい説明はこちら↓ の「人形化説」の所など。
河童の由来

***

※ 写真はキモいので消しました。
※ 妖怪と言えば、ライブドアデイリー4コマの「妖怪研究家ヨシムラ」は中々面白いと思います。
※ ヒーロー枠の感想はやっぱりしばらく封印します。

劇場版テニスの王子様~二人のサムライ THE FIRST GAME~

2005-07-11 21:25:52 | 映画感想
色々と噂には聞いていた↑のDVDを見ました。

感想。
スゴかったっス。

色んな意味で、自分はまだまだ修行が足りないと思わされました。

私は「テニスの王子様」の原作を読んだことはありませんが、この映画を見るに当たってはそういうことはあんまり関係ないと思います。

脚本はマジレンの前川氏です。が、その事実がどれくらいこの一件に影響しているのかは正直よく分かりません。

DVDのおまけ映像で原作者氏が「見たら友達に話したくなる映画だ」と言ってました。確かにある意味その通りです。

それだけじゃわけわからん、説明しろという方はコメント欄を御覧下さい。

ブレア・ウィッチ プロジェクト~魔女の棲む場所~

2005-02-13 11:30:05 | 映画感想
唐突ですが、昔見た映画の感想を一本書いたので載せときます。
なんで今この時期に「ブレア・ウィッチ プロジェクト」なのかというと私なりに色々あるんですが省略。なんか、『響鬼』の設定とか微妙に関係あったような気がするんですが、それに関してはまた後日ということで。

***

ブレア・ウィッチ プロジェクト(1999年 アメリカ)

1994年10月、ドキュメンタリー映画の撮影のために魔女伝説の残る場所、ブラック・ヒルズの森に足を踏み入れた映画学科の学生三人が消息を断った。大規模な捜索が行われるも三人の行方は杳として知れず、ただ彼らが撮影したフィルムだけが発見される。……
……なーんて話はぜーんぶウ・ソ(はぁと) な偽ドキュメンタリー映画でございます。

個人的には「その手があったか」というシテヤラレタ感と、小ネタや小道具の使い方がツボで結構楽しめた作品ですが、世間一般的にはオススメ出来ない。見てるだけで乗り物酔いするし。
こんな反則技が通用するのは一回こっきりだろうなあと思ってたら案の定、パート2はコケたみたいです。

この映画、結論から言うと肝心の『魔女』やそれに類するものは全く映っていません。
映っているのはひたすら『魔女が棲むと言われている森』、その、如何にも何かありそうなヤバそうなシュチュエーション。
それが結局「オチてねーじゃねーか!」という批判に繋がってるんですが、私はこれ、ちょっと面白いと思うんですよね。
ていうか実は私も映画だけでは不完全燃焼で、「ブレア・ウィッチ プロジェクト完全調書」(角川書店)を買って読んだんですが、これ結構映画より面白かったです。
行方不明事件の調査資料を集めたというフレコミの本で、例によって事件は未解決のまま終わってるんですが、興味深いのは昔の資料、ブレア・ウィッチの正体だとされるエリー・ケドウォードの事件より古い開拓当初の資料だったりします。
これらの行間を子細に読んでいけば、事件の舞台となったブラック・ヒルズの森に『何か』があるのが何となーく見えて来る。

ここで私は、水木しげるの描く妖怪の絵を思い出したんですよね。人物とか、肝心の妖怪はお馴染みの割と単純な線で描かれてるのに、背景は非常にち密に書き込まれています。で、ある時ふと思ったんですよね。水木サン(御本人の自称に準拠)はもしかして、『妖怪』ではなく、『妖怪のいる場所』を描いてるんじゃないのかな、と。
水木サン自身が色んな所で妖怪に会っていると仰っているけれど、それをはっきりと目で見た訳ではないようなので。御本人がしばしば「この世には、目には見えない『何か』が存在するのだ」と仰っているように、目で見たのではなく、いると感じた。そして、「そこに『何か』がいる」と感じたその『場所』こそを、あれ程までに精密に描写しているのかなと持った訳です。

ブレア・ウィッチ プロジェクト、もしかしてそういうこと?
つまりこの映画は、『魔女』を描く映画ではなく、『魔女のいる場所』を描く映画ということ?

……そう思うに至った私の基本的な考えは以下の2つです。
1)妖異、怪異の類いは、主に人間の脳の中に棲んでいる。
2)土地には、そこにいる人間に何らかの影響を与える力がある。
……つまり、その場所にある何らかの力が人間の精神に影響を与え、怪異の幻影を見せるとする。現実世界に存在したものでなくとも、その人間が「ここでそれを見た」と認識したならば、その人間にとって、まさしくそれはそこにいたということであり、その場所は怪異のいる場所ということになる。……のではないかなと。

そう考えると、この映画の全てではないにしろ、大部分の事象は理解できるんですよね。
その土地には、人間の精神に強い影響を与える力が働いていた。先住民たちはそこに決して近付かなかったし、女性や子供など感受性の高い者はそこである種のヒステリー状態になり、幻覚を見たり幻聴を聞いたりする。そこへ無気味な伝説が加われば、自己暗示の力も加わって幻覚に一定の法則が現れる。そういう者が一人現れれば、連鎖反応で集団ヒステリーも起きる。
この映画に登場する三人の学生たちも、明らかに通常の判断力を失っている。

キリスト教的な発想をするなら、そこにいる『何か』は悪魔的な存在であり、それを信じるのは異端かも知れません。
けれど、私たち日本人に取ってはそれほど抵抗感はないはず。八百万の神と呼び、自然界のあらゆるものに神が宿ると言うのが日本古来の宗教感ですから。
ネイティブアメリカンも同じようなアミニズムの宗教を持っていたはずですよね。そういう宗教観の元では、その『場所』に対しても恐怖だけでなく畏敬の念があり、『敬して遠ざける』の姿勢でその場所を避けたはず。神聖とされ、そこに立ち入ることを禁じられた土地、というのは、日本にもしばしば見受けられたと思うんですよね。

そもそも『魔』というのは何なのか。『魔の世界』によると、それは新しい神が入って来たことにより、それまでいた古い神々が放逐され、転落した姿だと言われています。特にキリスト教やイスラム教のような近代的な一神教の普及は、それまで信仰されていた自然神的な多神教の神々を悪魔の地位に落としてしまったのだとか。
例外的なのが日本で、神仏混合という力技によって新規渡来の仏教と古来の神道を両立させてしまったため、日本の古来の神々は魔物にされずに済んだらしいです。それどころか逆に、日本人には魔的なものを神様に祭り上げるという変わったクセがありますね(菅原道真の怨霊→天神様とか)。

それはともかく。
先住民に、アミニズムの神の一種として敬われつつ恐れられていたその場所の『何か』。それは新規に入って来たキリスト教により魔的なもの=『魔女』とされ、マイナスイメージのみが流布してしまったのではないでしょうか。更にそれを信じるのは異端とし、公式に扱うことさえタブーとなれば、余計に人々の暗い好奇心をかきたてる。
かくして、感受性が高く、魔女伝説に共感を覚える人間(それには本編のヒロインであるヘザー・ドナヒューも含まれる)が、この場所から受ける影響と自己暗示によって錯乱し、犠牲者を出すと同時に自らも犠牲者となって行く。その伝承は人々の心に暗い影を落とし、そして次の犠牲者が……。

結論。『立ち入ってはならない』と言われている場所には、みだりに立ち入ってはならないのです。

……なんて話は、もちろん私の妄想ですよ、妄想。
そういう妄想で遊ぶ余地があったのが、自分的には面白かったという話です。
ていうか映画作った人たち(多分キリスト教徒)は、多分こんなこと考えてないと自分でも思います。