ウロコのつぶやき

昭和生まれの深海魚が海の底からお送りします。

ブリザード(ネタバレ有)

2013-01-22 21:33:00 | 映画感想
大分前に書いたテキストを発見しました。「ブリザード」で検索してこのブログに来る人が意外といるみたいなので上げておきます。
それにしても、「プリザーブドフラワー」の事を「ブリザードフラワー」だと思ってる人結構多いんですね。

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以前BeeTVでやってた、川中島学園の上杉さんこと與真司郎くん出演の雪山サスペンスドラマ「ブリザード」。
私AUユーザーなものでBeeTVを見る事ができず、YouTubeで無料公開されてた3話までとノベライズ版の感想を以前上げてたんですが(これ)。
あれから1年経ってようよう東映チャンネルで全部見れました。
今回はもう、配信もとっくに終わってDVDもレンタルされてるらしいし、東映チャンネルでの放送も終わってるので遠慮なくネタバレします。
以下、まだ見てない方でこれから見ようって人は読まない方が良いと思われます。

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私は基本ネタバレ気にしない派なので迷わずノベライズ版の方を先に読んでしまったのですが、正直これに関しては、先に映像の方を見ておけばよかったなーというのが率直な感想でした。
それもできれば一気見じゃなく、1話ずつ小出しにして見ないと面白さ半減。
短編の連続ものを繋げれば2時間の長編が1本できるっていう単純なもんじゃないんだな、っていうのがこれ見てよく分かりました。短いスパンで大きく展開する流れがあって、その度に思わせぶりに「引き」を作って、っていうのを繰り返すから、続けてみてると結構疲れます。これはやっぱり「引き」が出た所で一旦終わって、次はどうなるんだろうとドキドキしながら待つのがベスト。

で、ノベライズ版はノベライズ版で、「映像」と「文章」の表現の特質は全く違うので、基本的な話の筋が同じで書いた人も同じだけど、全然違う印象だなとも思いました。

変な話、映像だと嘘を付きやすいというか、見方によって違う意味に見えて来る「絵」を見せてミスリードを誘い、「こうだと思ってたけど実はこうでした。びっくり!」というドキドキ感を楽しめるのですが、文章だとそう何でもかんでもぼかした書き方をする訳にも行かないので、一番の核心になる部分以外は結構早い段階でガンガンネタをばらして、その分、そこに至る心理的な背景をじっくりと…という感じ。
で、先にノベライズの方を読んでから映像を見ると、ネタの方はもうバレてるし、ノベライズのようにじっくりと登場人物の内面を掘り下げてもいないしで、正直物足りなさを感じてしまう。
これが逆なら、映像でハラハラドキドキを楽しんだ後、ノベライズでじっくり登場人物の心理描写を楽しむ…という美味しい楽しみ方ができたものを、と思ってしまいました。

そういう訳で、まだ見てない方でこれから見ようって人はここから下は読んではいけませんってば。

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例えば、ドラマでは袴田吉彦演じる堂山がどういう人間かは全く分からず、もしかしたら犯人かも?!と視聴者に思わせ、泰介に近づいて行くシーンでは、怯える泰介の表情と合わせて「泰ちゃんが殺されちゃう?!」と思わせて引っ張る訳ですが、ノベライズ版では堂山は、山小屋に姿を現すより前に、善意の人だと分かってるので、泰ちゃんが怯えてても読者は別に心配しない。
堂山と言えば、初見では堂山を犯人扱いして結果的に死なせてしまう部長が悪人っぽくて、堂山を助けようとする純や泰介がいい子っぽく思えるけど、最後まで見ると逆の解釈ができるんですよね。
部長は事件の真相を(一部しか)知らないからこそ疑心暗鬼に陥っていた訳だし、純や泰介は事件の全貌を知っていた(=実は事件の黒幕だった)から、堂山が事件に無関係だと実は最初から分かっていたっていう。

謎解きの答え合わせ的に言うと、純や泰介が怪しいと思える場面は序盤からちらほらあるんですが、「動機」が見当たらなくて一旦外してたんですよねー。過去に山岳部で何かあったのが今回の事件の発端になっているというのは分かるから、過去の事件に無関係なはずの一年生コンビが事件を起こす訳がないって思い込んでた訳です。
それがノベライズ読んでみたら、いきなり人物紹介にドラマには出て来ないキャラがいて「そんなんありか!」と思いました(笑。ドラマでも最後の最後で名前だけ登場)。
純に関して言えば、序盤で九条が殺されていたり七瀬が姿を消したりした時の、「ショックを受けている」リアクションがなんか白々しいなあと思ってたんですが、あれわざとああいう風に演じてたんだとしたらあの女優さん中々の役者ですな。
泰介については、終盤のクライマックスの中で、絵面で驚かせる方が優先されて、純と泰介、それぞれの心情が整理し切れていないの感じがあってちょっと残念でした。
純の泰介への感情が、「薬をあげない→死んでも構わないと思っている→無関心」なのか、「ナイフで刺す→殺したい→憎んでいる」なのか、両方やってしまったのでどっちつかずな感じに。
ノベライズでは前者が採用されてて、純がもう幼なじみの生死にすら関心がなくなる程、恋人の死によって人間らしい感情が麻痺している感じが出ていてそれはそれでありな感じです。でも逆に、純が泰介を殺したい程憎んでいたとしても、それもありかなとも思えます。
純が真人を恨んでいたのは、透が純ではなく真人の言葉に従って、その結果命を落としたから。透の死の原因を真人に求めるのと同時に、透に自分より信頼されていた真人に対する嫉妬もあった訳で。
なのに、そんな純の気持ちを一番分かっていたはずの泰介までも真人を慕うようになっちゃったら、純にしてみれば裏切られたような気分になるんじゃなかろうかと思う訳です。
ただその場合、泰介の真人への気持ちをもっとはっきり描いて欲しかったです。後から純が台詞で説明するんじゃなくって。風邪が悪化して不可抗力で殺せなかった、ではなく、泰介自身の意志で殺さなかった、という描写が欲しい所でございます(真人は女運は悪いのに男には何故かモテモテだ)。
まあ、でも、いきなり刺されててびっくり!とか、純の本性が怖くてショック!とか、その辺の演出を優先したんでしょう多分。

この辺り、原作の泰介が実にけなげでいじらしいんですよねえ…モノローグの口調もちょっと子どもっぽかったりして。純が好きなんだけど、彼女が絶対に振り向いてくれない事も分かってて、でも彼女のためなら何でもしてあげたい、例え自分が悪になっても、犯罪に手を染めても構わない。
私、聖闘士星矢で一番お気に入りのキャラが一角獣座の聖闘士なんですよねえ…報われない恋にどこまでも一途になれる男、大好物でございます。故に泰ちゃんはど真ん中。

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そしてドラマの泰ちゃんも、やっぱりなんていうか萌え系でした(笑)。
無料放送だった3話までは割と元気で、お調子者でちょっとうるさい感じだったのが、4話くらいからなんかいきなりショタっぽくなる。風邪が悪化してすっかり弱って雨の日に捨てられた子犬みたいになっちゃって、なんか無闇に可愛い、可哀想な、いたいけな感じで庇護欲をそそるというか、そら袴田吉彦もチョコレートあげたくなっちゃうよねみたいな。
『川中島学園』の時はあんなにクールかつ偉そうだったのにこんなに雰囲気かわるんだーと思って見てたら、本性表した瞬間さくっとカリスマヤンキー様が降臨なさいました。
そしてたまに出て来る意味ありげなアップ(オチを知ってから見返すとこのアップの意味も分かるんですが)が妙にきれいで人形のようです。画像の処理や照明のせいもあるんだろうけど、肌が白くて造り物みたいに見える。
このドラマ、登場人物がみんなダブダブの防寒着や大きな帽子で、せっかくの美男美女が目減りして見える感があるのですが、この人だけはやたらアップが美しかった印象。あと袴田吉彦は凍傷メイクしててもちゃんとイケメンに見えるんで、やっぱりこの人イケメンなんだなと思いました。
ちなみにこのドラマ、ディケイドやネクサスに加えて「フォーゼ」のゴスロリ娘友子ちゃんがヤンキー娘の役で出てます。メイクやキャラが180度違う感じだけど、あの特徴的な口元を見ると友子ちゃんだなあと思います。

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例によってつらつらまとまり無く萌えと感想を綴って参りましたが、このドラマで何気に一番怖かったのは、「大学生の間で覚醒剤がやりとりされている」って話を見てもさして荒唐無稽に感じない事。最近の大学ではそういう事も実際あるだろうな…とナチュラルに思ってしまった、その現実が怖いです…。

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映画「恐怖新聞」

2011-08-27 00:10:00 | 映画感想
つらつら書いてたら結構真面目な感想文になりました(一部を除く)。
あとこれすごくネタバレしてます。

原作はつのだじろう。主演は川中島学園の上杉さんこと真司郎くん。競演はシンケンゴールド源ちゃんこと相馬くん。

映像の怖さ(ていうかグロさ)で怖がらせるタイプの映画ではないので、そんなに怖くはなかったです。逆に言うと、絵面の怖さでガンガン攻めて来る系のホラーが好きな人には物足りないかも。
なんとなくですが、つのだじろうが好きな人より、「百鬼夜行抄」が好きな人の方が向いてそうな気がしました。つのだじろうの漫画読んだ事ないけど。

***

「恐怖新聞」というガジェットの一番のキモは、「(一見)選択の余地がある(ように見える)」事だと思います。
「読んだら寿命減りますよ」とまず提示しておいて、「でも読まないと怖いことが起きるよ?」「気になるでしょ?」「今困ってるでしょ?読んだら解決方法分かるよ~」と外堀を埋めて、結局「読む」事を選ばざるを得なくなるというか。

なんか恐怖新聞の「恐怖」って、心霊現象の怖さもあるけど、それ以上に究極の選択を迫られて結局は自分で自分の寿命を削ることを選ばされるっていう、心理的に追い詰められる感が怖いし嫌らしいなあ…と。こんなもの思いついたつのだじろうってすごいなと思いました。

そして、この究極の「命の選択」を「恐怖新聞」のキモとするなら、なにげにこの映画はそのキモの部分に焦点が当たっているような。よくよく思い出して見るとこの映画には、しつこいくらいに「命の選択」が提示されてます。

まず第一に鬼形くんの幼少時の体験。悪霊に取り憑かれた(らしい)友人のヒロシくんを見殺しにしてしまったこと。
友人を助けるか、自分が助かる(逃げる)かを迫られて、自分が助かる方を選んでしまった事に彼は罪の意識を感じている。

そしてしずくに降りかかるメリーさんの呪い。
しずくを助けるために寿命を削って「恐怖新聞」を読むのか?自分の命か、しずくの命か、その選択を迫られる。

ここでダメ押しのように、新聞の配達人としてヒロシくんが登場。ここでヒロシとの決着が付いていない事は、実はそんなに重要じゃない気がして来ました(「恐怖新聞」の正体については、最後のシーンでマスターに集約されて持ち越されてるし)。重要なのは、しずくか自分かを選ばされている今の状況が、ヒロシか自分かを選ばされた過去の状況と重なっている事。
そしてヒロシを見殺しにした過去の選択が、鬼形に取って重い十字架になっている。

そしてさらに、しずく(に取り憑いた霊)が「私を見殺しにするのか?」と鬼形に迫る。

そこで鬼形くんが決断する…前に、しずくの選択が提示されます。「僕を助けて」と縋り付いて来たヒロシくんとは反対に、自分よりも鬼形を助けようとするしずく。
つまりしずくは、自分ではなく鬼形の命を選んでいる。

そして鬼形もまた、自分の寿命よりしずくを助ける事を選び、彼女の呪いを解く事に成功するのです…が。

皮肉な事に、この「選択」の結果、鬼形の友人の長森が命を落とすことに。
「友人を見殺しにした」過去を繰り返さないためにしずくを助けたはずが、長森の死によって結局は同じ悲劇が繰り返されてしまった、という皮肉な結末は、よく考えると地味に怖い。

そして、鬼形(と観客)に見えない影の部分でも一つの「命の選択」がなされていた事が最後に明らかに。
長森は自分の命としずくの命を秤にかけ、自分可愛さにしずくを見殺しにしようとしていた。
ついでに、もしも鬼形が自分としずくとどちらを助けるか選択を迫られた場合、選ばれるのはしずくだろうと予想し、それを阻止しようとしていた。
この「選択」は鬼形には結局突きつけられてはいないけれど、結果的には長森の予想通りになったという(しずくの事を聞かれて照れる鬼形くんがすごくかわいいんですが、一方この時の長森くんの心境を考えると…あな恐ろしや)。

結果的には、自分ではなくお互いに相手の命を選んだ鬼形としずくが助かって(鬼形くんの寿命はざっくり削られてますが)、自分が助かるためにしずくの命を犠牲にしようとした長森が命を落とした…という意味では教訓的な終わり方に見えなくもないけど。
究極の命の選択を迫られて、結局は悲劇を選ばされてしまう辺り、実は結構救いのないオチなのが面白い所だなと思いました。

いろいろ未解決に思える所は、上にも書いたように結局マスターに集約されて持ち越されてるだけなんですよね。メリーさんも要はマスターにダシに使われてただけだし(笑)。
なんか色々説明不足(尺が足りないんだろうけど)な所が多いけど、その分色々想像してしまうなあ…。

***

あと役者さんの件。源ちゃんもよく「普通にしてればイケメン」と言われてたけど、変な言い方だけど、現実的なイケメンなんですよね。そしてイケメン源ちゃんと比べても、やっぱり上杉さんは、マンガの中から出て来たような顔だと思いました。つのだじろうの描いたマンガではないけど。
中の人の美貌を心ゆくまで堪能出来る映画でした。なんか、たまに眉間にシワ寄せて
  _, ._
( ゚ Д゚)
みたいな顔してたのが印象的。何か表情で色々訴えて来る感じが面白かった。
あとバイト中のカッターシャツ姿で、驚異的な細さと、スタイルと姿勢の良さにビビりました。上杉さんダボダボの学ランだったし、ブリザードはみんなして厚着だから気付かなかった。

***

あと、映画館が面白かった。

シネ・ヌーヴォ
http://www.cinenouveau.com/index.html

下町のちょっと分かりにくい所に立ってるミニシアターなんですが、途中の案内看板とか入り口の装飾とかが、手作りっぽいのにやけにかっこいい。
Wikiによると「維新派」という劇団が内装を手がけているそうなので、看板etc.もそうなんでしょう。
ちょっと退廃的&耽美?な感じなので好き嫌いは別れるかもですが、あのセンスただ者ではない。
「恐怖新聞」が上映されるのはシネ・ヌーヴォXという新しいスクリーンで、質素だけど小奇麗で中々快適。そして意外と音が良い(←これが一番言いたかった)。

鬼形くんが頭痛に苦しむシーンが度々出てくるんですが、その時に「キーーーーン」っていう耳鳴りみたいな音が鳴ってて。それがサラウンドに響き渡るもんでこっちまで頭痛くなりそうで、中々臨場感がありました(笑)。
その他ホラー独特の「ゴゴゴゴゴ」とか「どぉぉぉぉん」みたいな音がいちいち腹に響くので段々楽しくなって来る。私ホラー映画を映画館で観たの初めてだったんですけ、ホラーは音を楽しむために映画館で観るんだとわかりました。


***


既にDVD売ってるしレンタルもしてるっぽいけど、あと1週間シネ・ヌーヴォでやってるので、お近くの方は出来ればあの雰囲気を体感して欲しいです(笑)。

ちなみに百鬼夜行抄はこれ。


***

拍手コメントへのお返事は次のエントリーで。

アメリ(2001年 フランス)

2010-10-02 02:31:00 | 映画感想
※ゆるーくネタばれアリです。拍手コメントへのお返事もここに。

まず、色のイメージが強烈な映画。多分画像をコンピュータで処理してると思うんですが、赤と緑がヴィヴィッドな蛍光色で浮かび上がって来る。背景のセットなんかも赤と緑が多用され、独特のおしゃれ感を醸し出しています。ヒロイン・アメリの服や髪型も可愛いし、ひとつひとつのシーンが絵はがきみたい。
お洒落映画の代表みたいに言われてるのが分かるような気がしました。

***

で、ストーリーですが。
一見「不思議ちゃんヒロインのお洒落でちょっと風変わりなラヴストーリー☆」っぽく見せかけて、実際は「精神的ヒキコモリヒロインの社会復帰リハビリストーリー」ですねコレ。

ヒロインのアメリは確かにちょっと変わった女の子ですが、映画の冒頭に出て来る彼女の生い立ちを見れば、彼女が「ちょっとフツウのヒトとは違う感性を持ってるの☆」な女の子ではなくて、同世代の友達とふれあう経験が皆無に等しいまま大人になってしまい、他人とのコミュニケーションに自信が持てずに自分の殻に閉じこもってる女の子なのが分かります。

一応、実家を出て一人暮らしして、カフェに務めて仕事もしているけど、精神的には人々の中に入って行けていない。映画館で、映画を見ている観客の表情を見るのが好き、というのは、常に傍観者であって当事者ではないという彼女のメンタリティを象徴している。ように思えます。

もっと分かりやすいのは、アメリと同じアパートに住んでいる『ガラス男』。人より骨が脆い体質のために滅多に表へ出ず、自室でルノアールの絵を模写している老人。この老人とアメリが絵の中の少女の話をするとき、実は少女を通してアメリ自身の事を話し合っている。「大勢の人々に囲まれているのに、彼女自身はここにはいない」というのが、正に社会の中でのアメリの状況。

そんなアメリが、自分の部屋に40年前に住んでいた男の子が残した『宝箱』を見つけたのをきっかけに、一歩を踏み出そうとする。
それでも当初は傍観者のままなんですね。時にはびっくりする程大胆な行動に出てるけど、自分自身が当事者として表に出ることは決してなく、常に影で糸を引く方に回っている。
八百屋のおじさんにいたずらを仕掛ける時、最後に彼女は想像の中で、扉にZの文字を刻んでいます。怪傑ゾロのマーク。彼女にとってこのいたずらはヒーローごっこなんですね。ごっこ遊びであって現実ではないから、ちょっと大胆な行動もとれる。

しかしそんな彼女も、自分の恋となると、自分が当事者に回らなければならなくなる。一目惚れした相手を、影からならさんざん振り回すことができるけど、いざ自分が当事者として相手の前に出なければならないとなると途端に立ちすくんでしまうという…。

さて、その恋の結末はどうなったのか…というのは、実はそんなに重要な事ではないかも。
ただ、『宝箱』を見つけた時に、これをきっかけに一歩を踏み出そう、と心に決めたり、彼女自身、心のどこかで自分も世界に出て行きたい、という気持ちはあったんだろうなあと思います。
最後の方、彼との甘い生活を妄想したりしていましたが、そうやって自分が当事者になる事を心のどこかで夢見ていた。それと、精神的な理由で引きこもっていたアメリに対し、物理的な制約のせいで引きこもらざるを得ないまま人生を送っていた『ガラス男』。彼がとても親身になってアメリの背中を押したのも大きいと思います。
たった一度の人生、他人の絵の模写ではなく、下手でも自分自身の絵を描きたいものですね。

***

所でこの映画、謎が溶けた時にぱああ…と世界が光に包まれたり、現実の人物の隣に妄想ビジョンがもやもや~っと浮かんで来たり、落ち込む時に水になってべしゃっと凹んだり、現実にはあり得ない絵だけど、心理描写として分かりやすい表現が多用されてました。で、これってよく漫画で使われる技法だなと。フランスって、ヨーロッパの中でも特に日本のオタク文化がウケてる所という印象があるんですが、何か関係あるんでしょうかね?

***

これを見た後で大ちゃんの「アメリ」を見ると…やっぱり強烈なまでに繊細で内省的なプログラムですね。この映画自体全編心理描写の塊みたいですけど。
ジャパンオープンの後のカーニバル・オン・アイスではまた「アメリ」を滑ってくれるみたい。広く一般にウケるタイプじゃないんですかねえ…個人的にはすごく好きなんですけど。

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■Web拍手へのお返事

2010/9/27 15:48
カンブリア宮殿、録画して見る価値はありました。企業はお金を儲けなければ存続できないから、自社の利益を第一に考えるのは当然の事ですが、どうせ働くなら人から感謝される仕事がしたい、と改めて思いました。


黒いオルフェ

2008-12-01 19:53:55 | 映画感想
「黒いオルフェ」1959年フランス・ブラジル・イタリア
神戸の美術館でビデオ上映会やってたので見て来ました。
名前だけは知ってたんですが、見た事は無かったのでこの機会にと思いまして。
カーニヴァルに湧くリオデジャネイロを舞台にした、ギリシャ神話のオルフェウスの物語。

***

カーニバルを翌日に控えて沸き立つリオの街。市電の運転手である青年オルフェは、従姉を頼って田舎から出て来た少女ユリディスと出会う。実はオルフェはギターの名手で、歌やダンスも得意。オルフェがリオの街を見下ろす貧民街の自宅に帰ってギターを弾いていると、そこへユリディスが現れる。彼女が尋ねて来た従姉とは、オルフェの隣人のことだったのでした。運命的に再会した二人は急速に惹かれ合うのだが…。

冷静になって考えてみると、リオのカーニヴァルにギリシャ神話を落とし込んだ脚本は、必ずしも成功している訳ではない…ような気がします。
ストーリーがかなり元ネタそのままなので、元ネタを知らない人には訳がわからないような気がするし、知っている人には先の展開が読めてしまうし。ギリシャ神話のハイライトである、オルフェウスが冥界に妻を探しに行く下りの再現には、結構無理があるような。

でも見ている時には、そういう冷静な考えがあんまり浮かばない。そういう映画でもあります(笑)。
如何せん、音楽&リズム&ダンスに圧倒されっぱなしになりますので。
黒人のリズム感は我々日本人とは全く違うとは言いますが、改めて見るとなんかもう本当にすごくてカルチャーショックでした。
冒頭、フェリーがリオの港に入る。サンバのリズムが聞こえて来ると、甲板にいる人たちはもう当たり前みたいに全員踊ってる。水汲みの女性たちも、水の入った一斗缶頭に乗せて、歩きながらセクシーにお尻をフリフリして踊ってる。十歳くらいの小さい子供たちまで、平気で複雑なリズムに合わせてステップを踏んでる。遺伝子レベルでリズムが身体に刻み込まれているとしか思えない。なんだこの世界は。

カーニヴァルは一夜の夢。貧しい人々は日々の苦しみを忘れるため、持てる情熱の全てを注いでサンバのリズムに酔いしれる。夜が明ければ夢は醒め、ボサノヴァのけだるい調べと共に、再び日々の生活が始まる。彼らの生活の隣に、いつでも音楽は流れている…。

最後の最後に、神話には(多分)無かったオチがあって、そこが凄く印象的でした。神話と同じ悲劇的なラストで終わる…と思いきや。この映画のラストは明るく、希望に満ちている。
朝日を浴びて歌い、踊る子供たちの姿に、なんとも言えない衝撃を受けた映画でした。

***

フランス語版とポルトガル語版があるそうですが、私が見たのはポルトガル語版でした。
とりあえず、「オブリガード(ありがとう)」だけは分かりました。

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カテゴリーが違うので、拍手コメントへのお返事はまた後日に。

「メメント」~記憶の迷宮~

2007-11-12 17:13:24 | 映画感想
2001年のアメリカ映画。
タイトルから分かるように、テーマは「記憶」

「記憶とは、脆くもあれば強くもあるもの。時に残酷で、時に優しい」(「仮面ライダー電王」デンライナーのオーナーの台詞より)

「タイムレンジャー(TR)」と「電王」って、一見どっちも同じ「時間」がテーマだけど、実はTRが「未来(「未来戦隊」っていうくらいだし)、電王が「過去」の話なんだなということに今更ながら気が付きました。
我々三次元の存在である人間は、「現在」以外の時間を直接認識することはできない。
我々の認識する「過去」は過去そのものではなく、記憶と記録を元に再現された複製品に過ぎない。
手がかりである記憶と記録が正確でなければ、正しく複製することもできない。
過去、確かに存在していたものも、記憶や記録が残っていなければ、それは存在していなかったのと同じになってしまう。
(「電王」において。敵=イマジンによって破壊された過去は、イマジンが倒されると人々の記憶を元に修復される。そのため、他人との交わりを絶ち、誰の記憶にも残っていなかった孤独なピアノマンは、時間からこぼれ落ちてしまった)

***

「メメント」の主人公・レナードは、頭部の怪我が原因で記憶障害の状態にある。
一般的に記憶喪失というと、ある時点から過去の記憶を忘れる(それ以降のことは覚えている)状態を思い出しますが、レナードはその逆。怪我をする以前の過去のことは覚えているが、それ以降の新しい出来事を記憶しておくことができない。
(脳にある海馬という器官が、数分くらいの記憶を一時的にプールして於いてから大脳辺縁系に記憶させるという役割を持っているらしいです。レナードはこの海馬に損傷を受けたため、海馬が覚えている範囲=数分間で記憶が飛んでしまうのだと思われます)
そのため彼は、大量のメモを残す。文字だけではなくポラロイド写真を駆使して記録を残し、大事なことは刺青として身体に記録する。彼は言う。
「記憶は曖昧で頼りにならない。だが、記録は正確なはずだ」
かくて、記憶を持てない男は、記録を頼りに探し始める。自分の頭に傷を負わせ、妻を殺した男の行方を…。

この話、公開当時に見れなくて、何故か小説版だけ読んだんですよね。原作本じゃなくて映画のノベライズ版なのですが、話の構成が全く違う。
いや、ストーリー自体は実はほぼ同じものなんですが。
小説版が、基本時系列順に主人公の行動を追っているのに対して、映画はいきなり(小説版における)ラストシーンから始まり、徐々に時間を遡って行くような構成になっています。
そのため、映画の方がより一層、ミスリードさせられる感覚が強いかも。
そう、ミスリードを誘う映画なんですよこれは。
最初は「こうなんだ」と思っていたものが、見て行く内に段々と「あれ、何か違う…?」と思うようになり、最後に真相が明らかになる。
そうやって一度オチを知った上でもう一度見ると、今度はもっとクリアに、「実際には何が起きたのか?」を理解できるかも。
(「ファイト・クラブ」もこういう技法を使ってる感じはしますね。後、私は見てないけど「シックス・センス」もそんな感じのような気が)

そういう訳で、ここではオチは書きません。
これは初見はネタバレなしで、白紙の状態で観て貰った方が面白いと思うので。

***

結論から言うと、「記憶も記録もアテにはできない」。
我々が、「過去は確かにこうだった」と思っているもの、それが本当に現実に起きた出来事だったのかどうか、本当の意味で確かめる術はないのです。
ただ、不確かな記録と記憶を元に彷徨うだけ…。



だったら怖いなあという話。