ウロコのつぶやき

昭和生まれの深海魚が海の底からお送りします。

滑走屋

2024-02-10 17:53:01 | ノンジャンル

「滑走屋」の本番を観た感想については、今更私が語るまでもないよね、という話。

初日の初回、行って参りました。
全く新しいコンセプトのショーでこれが本当の最初の最初。
そのせいもあってか、終始心臓がバクバクしっ放しで、短いショーなのに今までで一番観てて疲れたかも知れません。見てるだけの(はずの)こっちも激しく集中力を要求されます。観客の皆さん体力大丈夫ですか?

オープニンングが始まってスケーターが登場する時には拍手で迎えるのですが、その後手は拍手の形をしたまま固まって硬直したまま固唾を飲んで見入ってしまった。

一般的なアイスショーからイメージされる華やかでゴージャスが雰囲気とは違い、ビートの効いたダークな音楽、それに合わせたダークでハードな世界観。
それがずっと続くというか、最後まで続きます。

もちろんそこにはメリハリがあって、ハードモードがふっと和らぐ叙情的な雨のシーンとか、モノクロームの世界でそこだけ色を咲かせる村上佳菜子ちゃんの演技とかある訳ですが、根底に流れているトーンは揺るがない。

試合ではまず着ないであろう裾の長い衣装を、男性も女性も同じように纏って滑るのがかっこいい。
アイスダンスのように男女が組む場面だけでなく、男性同士・女性同士と自由自在に様相を変える。
ダンスやペアのように踊る場面もあれば、シンクロのような集団の技が出るところもある。
スケートではあまり見たことないような動きもあれば、「滑る」感覚にひたすら身を委ねるようなスケートの原点を見せられる瞬間もある。

アイスエクスプロージョン後半の、個々のプログラムをシームレスにつないだ形をさらに発展させ、遂にオープニングからフィナーレまで全部一つづきにしてしまった形。
だからこそ、アンサンブルスケーターたちもただソロ演者を引き立てるだけではなく、「滑走屋」という一本の作品を構成する重要な要素になっていると思いました。
そしてソロの演者も、自分のソロの場面以外ではグループの一員。
大ちゃん自身がアンサンブルの一人として溶け込むような振り付けも多く、「大ちゃんどこー!」となっちゃう場面も結構ありました。

そしてだからこそ、ソロの「ハバネラ」がかっこ良い。三宅星南くんと山本草太くんのハバネラが始まって、男子二人のラテンかっこいい男の色気良い〜と思っている所へ大ちゃん登場。
立ち姿、腕の使い方指先までの余韻の出し方すべてが色気の塊。

最後の挨拶を聞いても、大ちゃんがすごくこのショーに気合いを入れていて、前例のない試みを色々取り入れて、やりがいもあるけど無茶苦茶心配事も多かったんだろうな…というのが伝わって来ました。
クリエイティブな人というのは、何かやってやろうと頭をひねって考えるのではなく、あれもやりたい、これもやってみたいと次々アイデアが湧いて来るものなのです(妄想とも言う)。
もちろん、それを全部は実現できない。というかほとんど実現できない。
それをここまでできたというのは、今まで彼が競技で頑張って積み上げて来た有形無形の財産の賜物だと思います。

大丈夫。いきなり100%は無理でも、ここまでやれれば勝ったも同然。
後は体に気をつけて、最後まで頑張って走り切ってください。

あと、村元哉中ちゃんと大ちゃんがすごくバディ感がありました。
アイスダンスの競技の中でのパートナーというだけでなく、ショーを作る場面でも、滑る場面でも色んな形でバディを組める頼もしい相棒。そんな感じ。
今回哉中ちゃんのソロもヤバかったです。必見。


滑走前夜

2024-02-09 09:18:21 | ノンジャンル

滑走屋を観る前から、実は私は感動している。という話。

私がスケートのショーを初めて生で観たのは2006年。記念すべき第一回のフレンズオンアイス。
あれでEX版ロクサーヌの初演を観て激しく衝撃を受けて今に至る訳ですが。

当時からずっと思ってた事がありました。
アイスショーって、基本試合のエキシビジョンをショーアップしたような形式だけど、そこにこだわる必要はないんじゃないの? スケートってもっと色んな事ができるんじゃないの?

クリマスオンアイスで、「クリスマス」という共通のテーマを設けて一つのショーにするのはその中では面白い試みでした。
その辺りからプロのミュージシャンを呼んでの生歌・生演奏コラボも増えて来ましたが、コラボのプログラムは特にアマチュアスケーターだと、1シーズン滑り込んだプログラムに比べて即席感が否めない事がちょくちょくあるのも正直な所でした。

そしてもう一つ新しい動きとして「氷艶」が誕生。ショーの中で芝居仕立てのグループ演技が入る事は元々ありましたが、本業の役者さんと交えて丸ごと一本のお芝居にするのは過去余り例がなかったんじゃないかと思います。

これは先代市川染五郎さん(現在は松本幸四郎さんだけど、ここは当時の名前で呼びたい)がディズニーオンアイス観ながら「これの歌舞伎版できないかなー」などと妄想してたのもきっかけの一つと聞いてます。
先代染五郎さんは他にも数々の妄想を形にしているアイデアマンでもいらっしゃるようですね。

この成功があって(だと思うけど)、次に出てきたのがいわば「氷上の2.5次元」。
残念ながらコロナの影響で頓挫してしまったセーラームーンとか、昨夏大盛況に終わったワンピースとか。

そして今回の「滑走屋」ですよ。

やっぱり大ちゃんは、私が考えるくらいの事はとっくに先に考えていた。
フレンズオンアイスの中の1プログラムを任される所からスタートして、東日本大震災を受けて、本人曰く「発起人の一人」として手作りでチャリティーショーを立ち上げ、そしてアイスエクスプロージョンで少しずつ自分の見せたい世界を前面に出しながら、色んなアイデアを温めていたんだなあと思って、しみじみ感動しています。

海外ではわかりませんが、日本ではショーを本業としている(はずの)プロスケーターよりも、試合が本分であるアマチュアスケーターの方がショーでも主役になることが多くないですか?
理由もなんとなくわかりますよね。
だってアイスショーはテレビでやらないというか、やっても目立つ所では余り流れない。試合の方が大きく扱われるし、大きな試合はニュースに取り上げられて何度も演技が流れたりする。

結果的に、ショーにしか出ないプロよりも、試合で活躍するアマチュアの方が広く認知されるしお客さんも呼べるから、ショーの方でもアマチュアが目出つという箏なのでしょう。
私も昔、小さいですがイベントに携わる機会があったとき、その道のプロの方に言われたことがありました。
人を呼ぶために最も手っ取り早くて確実なのは、有名人を呼ぶことだと。

でもその流れも少しずつ変わって来ているのかも知れません。

大ちゃんは、一度は引退してテレビやなんかの仕事もしながらショーに出ていた。
そこからもう一度現役に復帰する理由の一つに、技術を衰えさせないことがあったと思います。

昔はショーに出てお金を貰うと試合に出られないから、試合に出るアマチュアとショーに出るプロできっちり線引きがされていた。
でも大分前からアマチュアスケーターがショーに出られるようになっています。試合がメインだから、彼らが中心のショーはエキシビションの延長のようになりがち。でも試合に向けて滑り込んでいるのでジャンプなどのクオリティは高い。

一方でプロは、アマチュア時代に比べると練習時間の確保が難しく、技術の維持が中々できない。
大ちゃんはそこに危機感を感じていたのではないかと思います。
試合じゃないから手を抜いて良いのではなく、試合に出られるくらいのクオリティを、ショーだからこそ見せなければいけないと。

彼は名前でお客さんを呼べるスケーターだけど、名前だけで来て貰って良しとはしない。「観に来て良かった」と思わせる中身を見せないと次に繋がらないと分かっている。
シングルで2年、アイスダンスで3年。プロでありながらアマチュアみたいな、「生徒」としてコーチに着いて師事しながらショーに出るという新しい在り方だったのじゃないかと思います。

そして今回。

何より素晴らしいなと思ったのは、客寄せのためではなく、ショーの中身のためにアマチュアのスケーターたちを採用した事だと思います。
「大きな試合で活躍し、顔と名前が知られてお客が呼べるトップスケーターじゃなくても、良いものを持っている子がたくさんいる」
以前から何度か口にしてきた事を実行に移したんだなと思いました。

今回、低予算でやってみようという目的にも合致したのだとは思いますが、それだけではない。こういうショーにしたい、だからこういうスケートをするスケーターを集めたい、そういう意図がちゃんと見えるのが素晴らしい。

「アイスショーとはこういうもの」から少しずつ脱却し、「スケートでこういう事ができるんじゃないかな」というアイデアを大ちゃんは色々持っているような気がします。

その一端がいよいよ観られるという事で、本当に楽しみな幕開けです。


フィギュアスケートにおける着物風衣装の考察

2022-06-05 21:34:30 | ノンジャンル

副題:祝・かなだい現役続行!ソーラン衣装はやっぱり最高ですねという話

才能溢れる二人の目覚ましい躍進については、私でなくても既に色々と語られていると思います。

1年目も「大ちゃんがホントにアイスダンサーになってる!」とびっくりしたんですが、2年目で早くも、制約の多い競技プログラムでありながら、まるでショーを見ているようなワクワク感がある高橋大輔のスケートが帰って来たと思いました。
あのスケートを大ちゃんと一緒に実現した村元哉中ちゃんの才能にも感服。
特にソーラン節&KOTOは、曲も振り付けも衣装もワクワクに満ちたエンターテイメントだと思います。ソウルフルな歌声はもちろん、尺八を思わせるフルートの音色がカッコ良過ぎる。

そんな何ソーラン節&KOTOについて私に語れる事はないかなと思い、衣装を考察してみました。
(着物に関しては一応、若干ですがお勉強したことがございます)

 

私はかねがね思っていました(久能整風に)。
フィギュアスケートで「和」モチーフのプログラムが演じられる事は多いけど、和風の衣装はあんまりしっくり来ない事が多い気がする、と。

理由は簡単で、洋装と和装はシルエットが違い過ぎる事かと思われます。
ディテールだけ着物っぽくしても、シルエットが洋服風なので着物に見えない。
しかし、シルエットまで忠実に着物を再現してしまうと、動きにくいのはやる前からわかる。

そこで考えてみました。
着物っぽさを着物っぽく見せるために抑えるべきポイントについて。
掟は3つです。(あくまで個人の意見です)

***

【掟1】襟はビシッと決めるべし

着物の特徴は着物襟なので、フィギュアの和風衣装にもしばしば着物襟っぽい襟元の衣装が登場します。
そして襟元は、着物姿をカッコよく決めるためにかなり重要なポイント。ここを決めるかどうかで大きく印象が変わります。

美しい襟元を作るため、着物を着るときには半襟のなかに芯(襟芯)を入れます。

フィギュアの衣装で襟芯を入れる訳にはいかないと思いますが、だからと言って襟元がダルダルになってしまうと全体の印象も台無しになってしまうと思います。
しばしば気になるのは、肌を見せるために襟ぐりを広くみせるデザイン。
フィギュアでは、胸元が大胆に開いた衣装は珍しくありませんが、着物襟を左右に広げると途端にだらしない印象になります。

どうしても肌見せしたいなら、襟の合わせを横ではなく縦に広げて深いV字のラインを作って欲しい。肌見せしながら、ビシっとした襟のラインもキープできると思います。

ほんとは襟を抜いてうなじを見せるとカッコいいんですが、襟芯なしでは難しいので現実的じゃないですね。

【掟2】身頃のシワは全力で阻止すべし

着物の着付けでは、身頃(胴体部分)になるべくシワが寄らないようにします。
そのために、体の凹凸がなるべく平らになるよう補正します。プロの着付けを頼むと体をタオルでぐるぐるにされるアレですね。

もちろんフィギュアの衣装でタオルぐるぐるにする訳にはいきません。
その代わり、フィギュア衣装にはストレッチ素材という強い味方が存在します。
ストレッチ素材を活用して、極力シワが寄らないようにする方が、着物風の衣装はカッコ良いと思います。

シースルー生地など、ストレッチが効かない素材を使うと、激しい動きでどうしても細かいシワが寄りますが、これもなんとなくだらしない印象になる原因だと思います。

【掟3】和装のおしゃれはレイヤード

一千年前の平安時代に十二枚もの重ね着ファッションを編み出し、襲の色目(かさねのいろめ)というレイヤードのカラーコーディネートパターンを残したのが我々の先祖です。

時代が下ると重ねる枚数は減りましたが、おしゃれの基本が重ね着からのチラ見せである事は変わりません。
襟元から半襟をのぞかせたり、比翼仕立や伊達襟で重ね着していないのに重ね着に見せるフェイクレイヤードも定番です。
裾や袖口から八掛(裏地)や襦袢をチラ見せするのもおしゃれの内。着物のおしゃれ上級者は、裏地や襦袢にもこだわります。

透け感のある素材を着るなら、下に透けない素材を重ねて、その組み合わせを見せる形で使うのが鉄則です。
盛夏の着物は原則透ける生地なので、下には必ず透けて見えても良い襦袢を重ねます。

間違っても、透ける素材を単体で着てはいけません。

【掟2】では、シワが寄るからという理由で身頃シースルーを禁止しましたが、そもそも和装で透ける素材1枚で着ることはまずないので、シースルー1枚だと下着に見えます。
使うならそれなりの工夫が必要だし、そもそも使わない方が無難だと思うんですが、何故か良く使われているのが謎です。

EXだと薄羽織のように使われていることも多くて、それはまあ良いと思うんですが、競技用衣装で袖とかにシースルー使うパターンが妙に多いのは何故だろう。それやっちゃうと和装じゃなくて中華に見えると思うんですが。
色も日本の伝統色じゃなくて、化学染料っぽい色が多いから余計に大陸っぽい感じがします。

***

と、ここまで読んで頂ければもうおわかりですね。

ソーラン節&KOTOの和風衣装は、3つの掟をバッチリ抑えているのです。

特に哉中ちゃんの襟元のデザイン。ベースは大胆な洋風肌見せカッティングでありながら、そこへ和風の着物襟を、縦長V字でビシッと後付けしてる、あれ考えた人は天才だと思いました。

ベースは赤と黒でそれぞれ違う色ですが、帯や裾と襟のチラ見せカラーで統一感を持たせているのもオシャレ。

白ソーランの、ベースを白の無地にして、下に柄物を着込んでる風にチラ見せしているのも粋ですね。

そして実は、懐かしの大ちゃんLuvletter衣装もこの3条件を満たしています。
当時の衣装担当さんはよさこい系イベントのダンス衣装も手がけていた方なので、和のテキスタイルの扱いにも慣れてるとお見受けしました。

金蘭の素材で和服っぽさを前面に出していますが、この生地は本来帯地に使うものなのですごく硬くて重い。少ない面積で目立つよう上半身の一部に配置して、その他はストレッチベロアで動きやすく工夫されていると思いました。そして袖口からは伝統色のちりめん素材をチラ見せ。ちりめんならではのてろんとした落ち感が、動くと風になびいて美しかったですね。

来期、どんな新しい世界を見せてくれるのか。
今から楽しみで仕方ありません。


自尊心と虚栄心

2022-05-14 21:49:45 | ノンジャンル

とっかかりはフィギュアスケートですが、話の内容としては一般論です。

 

昨今ネットのニュースやSNSを見てて、違和感を感じる事が多い言葉が「プライド」です。
プライドの日本語訳は「自尊心」のはずですが、「虚栄心」の意味で使われていませんか?という場面。

「あの人はプライドが高いから間違いを認めない」「ここで謝るのは俺のプライドが許さない」

このような場面に当てはまるのは自尊心ではなく、虚栄心ではないかと思います。

辞書を引くとこんな感じ。

じそん‐しん【自尊心】
〘名〙 自尊の気持。自分を尊び他からの干渉をうけないで、品位を保とうとする心理や態度。プライド。

きょえい‐しん【虚栄心】
〘名〙 うわべだけを飾ろうとする心。 自分を実質以上によく見せようとする心。

自尊心の項目に「他からの干渉をうけないで」とあるのに対して、虚栄心の「自分を実質以上によく見せようと」する相手は「他人」であるというのがポイントだと思います。

ニュースなどで話題になる人の言動を見て、「何でこの人はこんな事を言う/やるんだろう?」と思った時、この人は自尊心ではなく、虚栄心で行動していると思うと色々腑に落ちると最近気づきました。

直接の付き合いがある訳でもない、マスコミを通してしか知らない相手に対して、それが「自尊心」なのか「虚栄心」なのかわかるんか?という話ですが、寧ろマスコミを通すからこそわかりやすいと思います。

普通の人には、マスコミを通して自分の発言が広く報じられる機会はあまりありませんが、有名人、例えば五輪に出るようなアスリート等になると取材を受ける機会が出て来ますよね。それに対するスタンスは割とわかりやすいポイントだと思います。

自尊心の人は、言行の不一致を恥ずべきものと思うから、発言には慎重になります。言った以上は実現させなければならないと考えていたら、マイクのある場所では軽々しく思った事をなんでも口にする訳にはいかないですよね。

こういう人は、大きな目標を口にするとき、あくまで「目標」であり、必ずしも実現できるものではない、というお断りの言葉が入っていたりします。予防線を張っているのが一見気弱ではっきりしない印象を与えますが、実はこう言う人の方がプライドが高いんじゃないかと私は思います。

一方虚栄心の強い人にとっては、マスコミの取材は絶好の自分アピールのチャンスです。とにかく大きなことを言ったもん勝ち、みたいな。それがしばしば言いっ放しになってるのは、「言ったからにはやらないと、嘘をついた事になっちゃうぞ」という意識がないからかな、と思います。自分の発言に責任を取るという発想がなければ、いくらでも話が盛れますよね。大げさな言葉や不自然に美しい言葉が多いのも盛りまくってる所以でしょうか。また、背伸びして難しい言葉を使おうとして文法間違えるのも、自分を実際以上に賢く見せようとするこの手の人にありがちです。

本当に賢い人は、平易な言葉でわかりやすく話します。

美しい言葉でご立派な事を宣ってるけどよく見るとやってる事が微妙だなと思ったら、その人は虚栄心の人ではないかと疑ってみるのがオススメです。

例えば、オリンピックに出て、団体戦では3位内に入ったけれど個人戦では23組中22位(後半戦に進めなかったという事は、公式には順位が付かないという事になるのかな)とかだったとしましょう(団体戦の他のメンバーがよっぽど優秀だったんですね)。

ここで自尊心が高い人なら、「銅メダルです」なんて恥ずかしくて言えないと思います。

天知る、地知る、我知る、人知る。

競技に詳しい人なら実情を知っているし、そうでなくても少し興味を持って調べたらすぐわかる。何より自分自身が、本来の実力は3位相当ではなく23組中22位だと分かっているはず。

3位相当だと「誤解」されるのは、寧ろ屈辱なのではないでしょうか。

でも虚栄心が強い人なら逆で、ここぞとばかりに「銅メダルです」とアピールしそう。3位相当の実力だと誤解されても構わない。いや寧ろ誤解して欲しい、くらいの勢いで。

でもここで3位相当だと誤解するのは、競技について無知で、尚且つちゃんと調べないような人たちです。そんな人たちに評価されてもねえ…と思うのか、そんな人たちでいいから褒め称えられたいと思うのか。

こうしてみるとよくわかりますが、「自尊心」と「虚栄心」は両立しません。

虚栄心が強い人は一見プライドが高そうに見えますが、実はプライドなんて持っていないし、正しい意味でのプライドを理解していない確率も高いんじゃないかと思います。

ゆえに、両者は噛み合わない。

自尊心の人が「そんな人たちに評価されてもねえ…」とドン引きしているのを、虚栄心の人は「そんな人たちに褒め称えられている私が羨ましくて嫉妬しているんでしょ!」と受け取る。永遠に交わらない気がします。

 

そしてもう一つ、被害者アピールが好きなのも虚栄心が強い人の特徴かな、と思います。

普通なら、被害者なんてなりたくないじゃないですか?

被害者として扱われる、同情される、哀れみの目で見られるのも、自尊心が高い人にとっては屈辱です。

自尊心が高い人は嘘をつくのを嫌いますが、自分が被害者の立場になりそうなときには、「いえ、自分は被害者ではありませんよ」と多少強がってでもそちらの方向に持って行こうとする傾向があるなと思います。

逆に虚栄心が強い人ほど、「こんな事された、ひどいひどい」と騒ぐ傾向がありますよね。同情や哀れみであっても、注目されてちやほやされると嬉しいものなんでしょうか。よくわかりませんが。

ただ思うのは、「こんな事された、ひどいひどい」と騒いで問題の解決には繋がることはあんまりないよね、ということです。

本当に被害を受けているなら、加害者に直接訴えて解決を図るなり、加害者が分からないなら突き止めるなり粛々とやれば良いと思います。でもそれをわざわざ不特定多数の部外者にお知らせする必要はないと思うのですよ。

大抵の人にとっては、「そんな事私に言われましても」なのですが、自分が部外者であることに気づかずに「けしからん、懲らしめてやる」とトチ狂った正義感を燃やす人も一定数いる訳で。無駄に騒ぎが大きくなるだけなのですが、虚栄心が強い人ほどこういう無駄な騒ぎを起こしがちだな、と思います。

「こんな事された、ひどいひどい」と騒いで2次災害を引き起こすことを俗に「ファンネルを飛ばす」と言うこともございます。

昨今ではファンネルを飛ばす行為にも風当たりが強いため、跳ね返ってきた火種で当人が炎上したりもするわけですが、それで「ひどい!」と騒ぐのも、大抵ファンネルを最初に飛ばした側だったりします(だったらやらなきゃ良かったのにね、という考えには至らないらしい)。

だから何?と言われればそれまでですが、世の中には自分と全く異なる行動原理を持っている人もいるという事で、理解の一助となればと思って書いてみました。

※ ファンネルの意味がわからない方はこの辺を参考にしてください。

ファンネル - ピクシブ百科事典
https://dic.pixiv.net/a/ファンネル

やっぱりキュベレイは良いですねえ。全MSの中でもトップクラスに美しい造形だと思います。色は若干ちょっと派手過ぎですが。