そういう訳で、ちょっと前に書いてたテキストをアップしておきます。
あんまり推敲できてないんで前のエントリーと重複してる部分もあるし、何よりネタが古いけど。
***
先日理由あって久しぶりにワイドショーを見てたら、丁度例のSTAPとかいう細胞に関する記者会見の翌日で、ひたすらその話題ばっかりでした。
あれ見てつくづく思ったのは、マスコミ各社万能細胞について報じてるんじゃなくて、万能細胞をダシにして「オボちゃん」というキャラクターをいじってるだけなんだな、という事でした。
ワイドショーなんて昔からそんなもんだと言えばその通りなんだけど。
***
このSTAP細胞と例の佐村河内騒動の共通点として、本質ではなく周辺の物語が取り沙汰されているだけだと指摘しているテキストを目にしました。
だって本質を語ろうにも、文系のアタシタチには最新の科学研究なんてさっぱりわからないし、クラッシック音楽を論じるような知識も教養も持ってないですもん。
昼間っからワイドショー見てる暇人な視聴者はもちろん、伝えるマスコミ関係者や偉そうなスタジオコメンテーターだって似たようなもんではないでしょうか。
だから「科学」も「音楽」も語らないというか語れない。
「被爆二世」で「全聾」だったり、「お祖母ちゃんの割烹着」を着た「リケジョの星」だったり、ロン毛にサングラスだったり巻髪にヴィヴィアン・ウエストウッドだったりする分かりやすいキャラクターに乗っかって騒ぐ。
…だけならいいけど、それで何かを分かったような気になってるのが滑稽だな、と思いました。だから簡単にだまされるんだよね、きっと。
***
翻ってフィギュアを見ると、これもまたワイドショーを中心としたマスコミに取っては同じ事なんだろうなと思いました。
これが野球やサッカーなら部活だのスポーツ少年団だのでの経験者が一定の割合でそこら中にいて、競技の中身について語れる人も少なくないけど、競技人口の少ないフィギュアスケートは話が違う。
前のエントリーに書いたように、スケートそのものについては「わからない」事が広く一般社会でのコンセンサスと化しているから、スケートそのものではなく、その周辺でしか語れない。…って事なのかなと漠然と思う今日この頃です。
「金メダル」「世界最高得点」「天才少年(少女)」「
4回転ジャンプ」「3回転半ジャンプ※」…そして「日本のエース」
(※ワイドショー的視点だと、3Aは「3回転のアクセルジャンプ」ではなく「3回転半のジャンプ」として語られているような気がします。ジャンプの種類は「わからないもの」けど回転数なら「わかる」って事なんでしょうね)
***
そもそも私、大ちゃんが自分を「日本のエース」と自称した発言を見聞きした記憶がないんですが、私が忘れているだけなんでしょうか?
私自身が、これと言った定義もない「日本のエース」とか言うキャッチフレーズにさしたるステイタスを感じていないせいもあるのかも知れませんが。
寧ろ、他の日本男子選手…というか、他選手を新しい「スター」として祭り上げたいマスコミや関係者の方が、「日本のエース」という言葉に拘っているように感じていました。
まるで、高橋大輔から「日本のエース」の称号を奪えば、ファンや人気もそっくりそのまま付いて来る、と思っているように見えて、そこにすごく違和感を感じたまま今に至っております。
だって私たちファンは、「日本のエース」の肩書きを見るためにショーや試合の会場に足を運んでいる訳じゃない。
点数ではないしメダルでもない、「高橋大輔の演技」が見たい、その一心でチケットを買い、会場に向かう訳ですよ。
***
バンクーバーの辺りから、大ちゃんと某女子選手をセットで語る人がたまにいますが、全く違うと私は思います。
某女子選手が華々しくシニアデビューを飾り、お茶の間の話題を独占し、大手企業がわんさかスポンサーに付いてトリノ五輪に出せ出せと皆が騒いでいた頃。
一方大ちゃんは「そういえば男子もいたっけ」みたいな扱いでした。
寧ろマスコミは、「有名戦国武将の子孫」という分かりやすい「キャラクター」を持ったもう一人の選手をスターとして持ち上げたがっていて、大ちゃんはどちらかというと引き立て役っぽく扱われていた印象があります。
(当時は大ちゃんのファンじゃなかったというか、フィギュア自体に興味なかったから、これはファンのヒイキ目ではない、はず)
個人的には、大ちゃんの人気はマスコミ主導ではなく、ファンの口コミで草の根的に広まった感じに近いと思います。
私自身、「ノクターン」の「演技」を見て決定的に「ハマった」訳ですが、当時ブログに大ちゃんの事を書いた時のアクセス数の増加はすごかった。
潜在的なファンの需要はあるのに、マスコミなどの発信する情報の供給が追いついていない、故にこんな辺境のブログにも、情報に飢えたファンたちが押し寄せて来る…そんな印象がありました。
これ、マスコミ主導ではなく口コミで人気がじわじわ来てる時の感覚なんですよね。
試合で結果を出せばマスコミの扱いは大きくなる。
でもそれだけなら、ニュース見て終わり。時が経てばマスコミの話題も他に移ります。
ニュースでの扱いはあくまで入り口。そこで「たまたま」演技を目にして、「素敵だな」と思うところが本当の始まりだと思います。
そこで試合なりショーなりの番組をチェックして、そうこうする内に会場で生で見たいと思う。そうしていざ生で演技を見て感動するからこそ、2度、3度と足を運ぼうという気になる。
お店でもテーマパークでも、人気を維持するには「リピーター」の獲得が必須だと申します。一見さんが一見さんのままで終わるようなら長くは持ちません。
高橋大輔の人気は、そうして積み上げられて来た、と私は思います。
自分自身もファンなのに、たまにすごく熱いファンが多いなってびっくりするんですよね。私がハマッたトリノの頃から比べても、随分増えたと感じます。
でもファンの多くはトリノの頃の私と同じく、何かのきっかけでたまたま目にした彼の演技がドツボにハマったんだろうなあ、とも思います。
そう言えば大ちゃんは、「ソナチネ」を、作曲者(を自称する人)のプロフィール(当時はみんな信じてた)ではなく、曲そのものを気に入って選んだと言ってました。
さもありなん、と思います。
バンクーバーの「道」だって、映画は見てないとかどっかで言ってたし、基本的には「音楽」それ自体に共鳴するのであって、音楽に付随する「物語」にはそれほど興味を持たないタイプなんだろうなと。
そういう人だからこそ、フィギュアスケートを語る言葉を持たない私たちにも、問答無用で「素敵だ」と思わせて引き寄せる、そんな演技ができるのかも知れません。
***
実は私、4月6日のなみはやドームでのショーのチケットを持っていました。大ちゃんが出なくても、一応、8割くらいは見に行く方向に傾いてはいたのですよ。
でも世界選手権男子シングルの優勝者様の、高橋大輔が出てなくても客席が埋まってて良かっただの何だのいう有り難いお言葉を伝え聞いて見に行くのやめました。
何か、アホらしくなってしまった。
なにが悲しくて、高いチケット買ってわざわざ会場に足を運んだ挙げ句に出場者からディスられにゃならんのかと。
ここ最近、高橋大輔のファンを非難する風潮が一部にありますが(他スケーターの痛いファンだけじゃなく、一応プロのライターまでが一緒になってやってる)、言われてる事の大半は、別に非難されるようなものではないと思います。
私たちは、自分が良いと思ったものを賞賛し、良いと思った演技に喝采を贈り、その人の演技が好きだと思ったスケーターを応援しています。
すべてのスケーターを「平等に」応援する義務なんてないし、スケート連盟がプッシュするスケーターのファンにならなければならない理由もありません。
そもそも「フィギュアスケート」を見に来なければならない義務もないし、ファンになる対象をフィギュアの選手の中から選ぶ必要もありません。
決して安くないチケットを買い、交通費と、時には宿泊料をかけ、時間と労力を使って会場に足を運ぶのは、そうしてでも見るだけの価値が高橋大輔の演技にあると思うからです。
***
本当に不思議なんだけど、大ちゃんのファンに対していちいち当てつけがましい事を言うライターや選手は、一体観客が何のために大枚はたいて会場に来てると思ってるんでしょう。
理由はなくても、黙ってチケットを買って馳せ参じるのが当たり前だとでも思ってる?
他選手の人気に、大ちゃんのファンがどうのこうの、は関係ないと思います。
高い代償に見合うだけの価値があるものを提供できるかどうか、それがすべてではないでしょうか。
その選手の演技に、お金と時間と労力を注ぐ価値があると思う、そういう人が多数いるなら、マスコミ使って「○○フィーバー!」なんて宣伝せずともお客様は集まって来るでしょう。
(ていうか、とりあえず「点数」の上では基礎のスケーティングも音楽の表現も世界最高レベルと評価されている訳で、採点が適切に行われた上でその結果が出ているというのであれば、その選手の「演技」に感動する人続出で黙ってても大フィーバー起きてるはずなので、何も心配する必要はないと思うんですけどね。あくまで採点が正しければ、の話ですけどね)
***
それにしても。
化学もクラシック音楽も分からない私たちが、どうやってそれを本物だと認識したんでしょうか。
そこには、無知な私たちに代わって「お墨付き」を与える「権威」が存在していたはず。
それが偽物だとなれば、祭り上げられた本人たちだけでなく、お墨付きを与えた「権威」への信用も失墜するというものです。
佐村河内騒動では、NHKがそうでしたね。天下のNHKがもっともらしいドキュメンタリーで取り上げたからこそ、私たちはそれを信じました。
STAP細胞にしても、お墨付きを与えた「権威」が最初にいたはずですけど…どこの誰?私この騒ぎよく知らないので分かりませんが、「オボちゃん」ひとりでこんな大騒ぎにはならないと思うんですけど。
(あと、先端科学の分野ではそう簡単に真偽の結論は出ないもの、らしいですよ)
そしてフィギュアの場合は、審判が「お墨付き」を与える「権威」のはずです。
そして私は彼らを信用していません。
そう言えば、ソチ五輪の女子シングルの結果に異を唱える韓国の抗議はまだまだ続きそうですね。
金メダリストへの得点を疑問視し、銀メダリストを真の勝者と主張して、あわよくば結果を覆そうとしている様子は、まんま4年前の、バンクーバーの女子銀メダリストのファンたちを見ているようです。
…というとバンクーバー女子銀メダリストのファンから怒られそうですが。
でも、対象となる選手が違っても、審判の出した得点を信用していない、という点では同じです。
人間の目は案外いい加減で自分の見たいものを見てしまうから、自分の応援する選手の演技は甘く、ライバルの演技は厳しい目で見てしまうものです。
だからこそ、審判に対する「客観的で適切な判定をしている」という信頼がなければ競技が成立しないはずなんですけどね。
(私を含めて)誰もが好き勝手な主張を繰り広げている現状を見るに、この競技の審判は最早誰からも信頼されていないんじゃないかって気がして来ます。
***
フィギュアスケートという競技自体の繁栄を考えている大ちゃんには大変申し訳ないんですけど、やはり私が見たいのは、「フィギュアスケート」ではなく「高橋大輔のスケート」のようです。
それを非難する向きもあるようですが、ただの観客に過ぎない私が、何に対してお財布のヒモをゆるめるのかは私の自由だと思います。
自分が、それに対してお金を払うに値する、それだけの価値があると思うなら、他のものにももちろんお金は払います。それは何もスケートに関するものでなくても良いんですよね。
現状、大ちゃんの出ない試合やショーに行くよりも、自分が滑るためにリンクに足を運ぶ方がずっと楽しいです。
でも、本当の意味でフィギュアが「人気競技」になるには、選手をタレントとして扱うのではなく、競技の中身を語れる人がもっと増える必要があると思うし、その為には「ちゃんと」スケートを滑る人が増える事こそ、本当に必要な事なんじゃないかな、とも思います。
当のフィギュアの関係者が望んでいるのはその逆のようですが。
…まあ、私がスケートするのは単に楽しいからですけどね。
楽しいですよー自分で滑るスケート(神戸ポーアイの大人のスケート教室は自分の経験上おすすめはしませんが)。
あんまり推敲できてないんで前のエントリーと重複してる部分もあるし、何よりネタが古いけど。
***
先日理由あって久しぶりにワイドショーを見てたら、丁度例のSTAPとかいう細胞に関する記者会見の翌日で、ひたすらその話題ばっかりでした。
あれ見てつくづく思ったのは、マスコミ各社万能細胞について報じてるんじゃなくて、万能細胞をダシにして「オボちゃん」というキャラクターをいじってるだけなんだな、という事でした。
ワイドショーなんて昔からそんなもんだと言えばその通りなんだけど。
***
このSTAP細胞と例の佐村河内騒動の共通点として、本質ではなく周辺の物語が取り沙汰されているだけだと指摘しているテキストを目にしました。
だって本質を語ろうにも、文系のアタシタチには最新の科学研究なんてさっぱりわからないし、クラッシック音楽を論じるような知識も教養も持ってないですもん。
昼間っからワイドショー見てる暇人な視聴者はもちろん、伝えるマスコミ関係者や偉そうなスタジオコメンテーターだって似たようなもんではないでしょうか。
だから「科学」も「音楽」も語らないというか語れない。
「被爆二世」で「全聾」だったり、「お祖母ちゃんの割烹着」を着た「リケジョの星」だったり、ロン毛にサングラスだったり巻髪にヴィヴィアン・ウエストウッドだったりする分かりやすいキャラクターに乗っかって騒ぐ。
…だけならいいけど、それで何かを分かったような気になってるのが滑稽だな、と思いました。だから簡単にだまされるんだよね、きっと。
***
翻ってフィギュアを見ると、これもまたワイドショーを中心としたマスコミに取っては同じ事なんだろうなと思いました。
これが野球やサッカーなら部活だのスポーツ少年団だのでの経験者が一定の割合でそこら中にいて、競技の中身について語れる人も少なくないけど、競技人口の少ないフィギュアスケートは話が違う。
前のエントリーに書いたように、スケートそのものについては「わからない」事が広く一般社会でのコンセンサスと化しているから、スケートそのものではなく、その周辺でしか語れない。…って事なのかなと漠然と思う今日この頃です。
「金メダル」「世界最高得点」「天才少年(少女)」「
4回転ジャンプ」「3回転半ジャンプ※」…そして「日本のエース」
(※ワイドショー的視点だと、3Aは「3回転のアクセルジャンプ」ではなく「3回転半のジャンプ」として語られているような気がします。ジャンプの種類は「わからないもの」けど回転数なら「わかる」って事なんでしょうね)
***
そもそも私、大ちゃんが自分を「日本のエース」と自称した発言を見聞きした記憶がないんですが、私が忘れているだけなんでしょうか?
私自身が、これと言った定義もない「日本のエース」とか言うキャッチフレーズにさしたるステイタスを感じていないせいもあるのかも知れませんが。
寧ろ、他の日本男子選手…というか、他選手を新しい「スター」として祭り上げたいマスコミや関係者の方が、「日本のエース」という言葉に拘っているように感じていました。
まるで、高橋大輔から「日本のエース」の称号を奪えば、ファンや人気もそっくりそのまま付いて来る、と思っているように見えて、そこにすごく違和感を感じたまま今に至っております。
だって私たちファンは、「日本のエース」の肩書きを見るためにショーや試合の会場に足を運んでいる訳じゃない。
点数ではないしメダルでもない、「高橋大輔の演技」が見たい、その一心でチケットを買い、会場に向かう訳ですよ。
***
バンクーバーの辺りから、大ちゃんと某女子選手をセットで語る人がたまにいますが、全く違うと私は思います。
某女子選手が華々しくシニアデビューを飾り、お茶の間の話題を独占し、大手企業がわんさかスポンサーに付いてトリノ五輪に出せ出せと皆が騒いでいた頃。
一方大ちゃんは「そういえば男子もいたっけ」みたいな扱いでした。
寧ろマスコミは、「有名戦国武将の子孫」という分かりやすい「キャラクター」を持ったもう一人の選手をスターとして持ち上げたがっていて、大ちゃんはどちらかというと引き立て役っぽく扱われていた印象があります。
(当時は大ちゃんのファンじゃなかったというか、フィギュア自体に興味なかったから、これはファンのヒイキ目ではない、はず)
個人的には、大ちゃんの人気はマスコミ主導ではなく、ファンの口コミで草の根的に広まった感じに近いと思います。
私自身、「ノクターン」の「演技」を見て決定的に「ハマった」訳ですが、当時ブログに大ちゃんの事を書いた時のアクセス数の増加はすごかった。
潜在的なファンの需要はあるのに、マスコミなどの発信する情報の供給が追いついていない、故にこんな辺境のブログにも、情報に飢えたファンたちが押し寄せて来る…そんな印象がありました。
これ、マスコミ主導ではなく口コミで人気がじわじわ来てる時の感覚なんですよね。
試合で結果を出せばマスコミの扱いは大きくなる。
でもそれだけなら、ニュース見て終わり。時が経てばマスコミの話題も他に移ります。
ニュースでの扱いはあくまで入り口。そこで「たまたま」演技を目にして、「素敵だな」と思うところが本当の始まりだと思います。
そこで試合なりショーなりの番組をチェックして、そうこうする内に会場で生で見たいと思う。そうしていざ生で演技を見て感動するからこそ、2度、3度と足を運ぼうという気になる。
お店でもテーマパークでも、人気を維持するには「リピーター」の獲得が必須だと申します。一見さんが一見さんのままで終わるようなら長くは持ちません。
高橋大輔の人気は、そうして積み上げられて来た、と私は思います。
自分自身もファンなのに、たまにすごく熱いファンが多いなってびっくりするんですよね。私がハマッたトリノの頃から比べても、随分増えたと感じます。
でもファンの多くはトリノの頃の私と同じく、何かのきっかけでたまたま目にした彼の演技がドツボにハマったんだろうなあ、とも思います。
そう言えば大ちゃんは、「ソナチネ」を、作曲者(を自称する人)のプロフィール(当時はみんな信じてた)ではなく、曲そのものを気に入って選んだと言ってました。
さもありなん、と思います。
バンクーバーの「道」だって、映画は見てないとかどっかで言ってたし、基本的には「音楽」それ自体に共鳴するのであって、音楽に付随する「物語」にはそれほど興味を持たないタイプなんだろうなと。
そういう人だからこそ、フィギュアスケートを語る言葉を持たない私たちにも、問答無用で「素敵だ」と思わせて引き寄せる、そんな演技ができるのかも知れません。
***
実は私、4月6日のなみはやドームでのショーのチケットを持っていました。大ちゃんが出なくても、一応、8割くらいは見に行く方向に傾いてはいたのですよ。
でも世界選手権男子シングルの優勝者様の、高橋大輔が出てなくても客席が埋まってて良かっただの何だのいう有り難いお言葉を伝え聞いて見に行くのやめました。
何か、アホらしくなってしまった。
なにが悲しくて、高いチケット買ってわざわざ会場に足を運んだ挙げ句に出場者からディスられにゃならんのかと。
ここ最近、高橋大輔のファンを非難する風潮が一部にありますが(他スケーターの痛いファンだけじゃなく、一応プロのライターまでが一緒になってやってる)、言われてる事の大半は、別に非難されるようなものではないと思います。
私たちは、自分が良いと思ったものを賞賛し、良いと思った演技に喝采を贈り、その人の演技が好きだと思ったスケーターを応援しています。
すべてのスケーターを「平等に」応援する義務なんてないし、スケート連盟がプッシュするスケーターのファンにならなければならない理由もありません。
そもそも「フィギュアスケート」を見に来なければならない義務もないし、ファンになる対象をフィギュアの選手の中から選ぶ必要もありません。
決して安くないチケットを買い、交通費と、時には宿泊料をかけ、時間と労力を使って会場に足を運ぶのは、そうしてでも見るだけの価値が高橋大輔の演技にあると思うからです。
***
本当に不思議なんだけど、大ちゃんのファンに対していちいち当てつけがましい事を言うライターや選手は、一体観客が何のために大枚はたいて会場に来てると思ってるんでしょう。
理由はなくても、黙ってチケットを買って馳せ参じるのが当たり前だとでも思ってる?
他選手の人気に、大ちゃんのファンがどうのこうの、は関係ないと思います。
高い代償に見合うだけの価値があるものを提供できるかどうか、それがすべてではないでしょうか。
その選手の演技に、お金と時間と労力を注ぐ価値があると思う、そういう人が多数いるなら、マスコミ使って「○○フィーバー!」なんて宣伝せずともお客様は集まって来るでしょう。
(ていうか、とりあえず「点数」の上では基礎のスケーティングも音楽の表現も世界最高レベルと評価されている訳で、採点が適切に行われた上でその結果が出ているというのであれば、その選手の「演技」に感動する人続出で黙ってても大フィーバー起きてるはずなので、何も心配する必要はないと思うんですけどね。あくまで採点が正しければ、の話ですけどね)
***
それにしても。
化学もクラシック音楽も分からない私たちが、どうやってそれを本物だと認識したんでしょうか。
そこには、無知な私たちに代わって「お墨付き」を与える「権威」が存在していたはず。
それが偽物だとなれば、祭り上げられた本人たちだけでなく、お墨付きを与えた「権威」への信用も失墜するというものです。
佐村河内騒動では、NHKがそうでしたね。天下のNHKがもっともらしいドキュメンタリーで取り上げたからこそ、私たちはそれを信じました。
STAP細胞にしても、お墨付きを与えた「権威」が最初にいたはずですけど…どこの誰?私この騒ぎよく知らないので分かりませんが、「オボちゃん」ひとりでこんな大騒ぎにはならないと思うんですけど。
(あと、先端科学の分野ではそう簡単に真偽の結論は出ないもの、らしいですよ)
そしてフィギュアの場合は、審判が「お墨付き」を与える「権威」のはずです。
そして私は彼らを信用していません。
そう言えば、ソチ五輪の女子シングルの結果に異を唱える韓国の抗議はまだまだ続きそうですね。
金メダリストへの得点を疑問視し、銀メダリストを真の勝者と主張して、あわよくば結果を覆そうとしている様子は、まんま4年前の、バンクーバーの女子銀メダリストのファンたちを見ているようです。
…というとバンクーバー女子銀メダリストのファンから怒られそうですが。
でも、対象となる選手が違っても、審判の出した得点を信用していない、という点では同じです。
人間の目は案外いい加減で自分の見たいものを見てしまうから、自分の応援する選手の演技は甘く、ライバルの演技は厳しい目で見てしまうものです。
だからこそ、審判に対する「客観的で適切な判定をしている」という信頼がなければ競技が成立しないはずなんですけどね。
(私を含めて)誰もが好き勝手な主張を繰り広げている現状を見るに、この競技の審判は最早誰からも信頼されていないんじゃないかって気がして来ます。
***
フィギュアスケートという競技自体の繁栄を考えている大ちゃんには大変申し訳ないんですけど、やはり私が見たいのは、「フィギュアスケート」ではなく「高橋大輔のスケート」のようです。
それを非難する向きもあるようですが、ただの観客に過ぎない私が、何に対してお財布のヒモをゆるめるのかは私の自由だと思います。
自分が、それに対してお金を払うに値する、それだけの価値があると思うなら、他のものにももちろんお金は払います。それは何もスケートに関するものでなくても良いんですよね。
現状、大ちゃんの出ない試合やショーに行くよりも、自分が滑るためにリンクに足を運ぶ方がずっと楽しいです。
でも、本当の意味でフィギュアが「人気競技」になるには、選手をタレントとして扱うのではなく、競技の中身を語れる人がもっと増える必要があると思うし、その為には「ちゃんと」スケートを滑る人が増える事こそ、本当に必要な事なんじゃないかな、とも思います。
当のフィギュアの関係者が望んでいるのはその逆のようですが。
…まあ、私がスケートするのは単に楽しいからですけどね。
楽しいですよー自分で滑るスケート(神戸ポーアイの大人のスケート教室は自分の経験上おすすめはしませんが)。