ウロコのつぶやき

昭和生まれの深海魚が海の底からお送りします。

火定(かじょう)~パンデミックと「利他」の心~

2021-09-20 16:01:00 | 読書感想文

火定(かじょう)~パンデミックと「利他」の心~

私が昔から好きな言葉に「情けは人のためならず」というのがあります。
「誤解されやすいことわざ」としても有名ですね。

誤)情けをかける(甘やかす)のは相手のためになりません。
正)(相手のためだけでなく)自分のためにも他人には親切にしておきなさい。
   他人にかけた情け(親切)は、巡りめぐって自分の所へ帰って来ます。

私が好きなのはもちろん、正しい方の意味ですが、最近知った仏教用語で「利他(りた)」っていうのも同じことを言っているのかなと思いました。

コロナで世界が変わって久しいですが、こういう時に「利他」の心が試されているようにも感じられます。
「利他」の対義語は「利己」ですが、自分さえよければ、自分だけ助かればという考えでみんなが行動すると、結局はいつまでたっても流行が収まりません。
「自粛疲れ」なんて自分に言い訳して遊びに行った先で感染してしまったら、苦しむのは自分。

前置きが長くなりました。
澤田瞳子作・火定(かじょう)

奈良時代の平城京を襲った天平の疫病大流行を題材にした物語です。
天平7年(735年)~9年(737年)に発生した天然痘の大流行は、当時政治の中枢を占めていた藤原四兄弟の病死・墾田永年私財法や奈良の大仏建立など、日本の歴史に少なからぬ影響を与えた事件でした。

「火定」は、この天平のパンデミックを、二人の医師を中心に描いた物語です。
一人は施薬院という、都の庶民に向けた無料の診療所で働く里中医(町医者)の綱手(つなで)。奈良版の赤ひげ先生のような人。
もう一人は元は内薬司の侍医、つまり宮仕えのエリート医師でありながら、何者かに嵌められて投獄された過去を持つ猪名部諸男(いなべのもろお)。物語の開始時点では恩赦を受けていて、藤原房前(四兄弟の次男)の使用人として登場。

但し、町医者・綱手側は綱手本人ではなく、施薬院に派遣された若い官人・蜂田名代(はちだのなしろ)の視点で語られていてつまりこの名代が主人公。

描かれている時代が時代なので一見難しそうな感じがしますが、どこか宝探しみたいな治療法探し(当時最先端の治療法を示した唐の書物を探すミッション)や、諸男が投獄された事件の真相究明など、謎解きの要素を孕んでテンポよく物語が進むので、意外にサクサク読めました。

それにしても、初版2017年の本なのに、この中で起きている出来事は2020年に始まったコロナ禍での出来事と大差ないじゃないか…と思ってしまいます。

外(この話では九州方面)から入って来た者たちが最初に倒れ、酒席で彼らを接待した女性たちの間に感染が広がり、そこからあっという間に市中感染が大爆発。

人の足元を見て薬(漢方薬ですが)の値段を釣り上げる者。それどころか何の効果もない怪しいお札を高値で売りつける者。そのお札に大枚をはたき、「これさえあれば」と本来の医療を拒否する者。感染を広げた責任に打ちひしがれる者があれば、自分だけ助かろうと引きこもる者もいます。
政府は有効な対策を打てず、混乱した民衆がついには暴動を起こすまでに。

人間が1300年前も今も変わらないなと思うのは、未知の病気に対して、どうにかしてわかりやすい結論と手っ取り早い対処法に飛びつこうとする所ではないでしょうか。

ウイルスの存在が知られるようになるのは1000年以上も先の話。でも現場の医師たちは、手探りで感染予防法や対症療法を見つけて行く。それは例えば、何を食べれば良いかとか体を冷やすなとか病人の衣類の扱いに注意するとか、細々した地道な対策の積み重ねなのですね。

それを面倒だと思う心理が「これさえあれば」と怪しいお札に頼ったり、無関係な外国人を攻撃したり、不織布マスクを高額で買い漁ったり、消費者庁等からNGが出ている空間除菌グッズを首からぶら下げたりと非合理的な行動に人を走らせるのではないかなと思いました。

この話の主役の一人・綱手と共に施薬院で働く若き官人の名代(なしろ)は、当初は利己的な人物として描かれます(いや、いい人なんだけど)。
彼にとっては施薬院は窓際部署なので、どうにかして脱出して出世コースに戻りたい。しかし根が真面目なのか目の前の仕事を放り出すこともできず、不本意ながら伝染病との戦いに明け暮れる事に。
そんな名代が、「利他」の心に目覚める場面がこのお話の一番のハイライトでした。

自分一人のために生きるなら、死ねばそれまで。
しかし他人のためにした事は、自分が死んでも相手の中に残って生き続け、受け継がれて行く。
そして病に倒れた人々の記録が後の世に語り継がれ、それが別の人々を救うなら、その死はただの終わりではない。
人の命を救うだけでなく、救えなかった命に意味を与え、次の命に繋げるのもまた医師の役目なのだと彼は気づくのです。

本文にそのものズバリの「利他」という言葉が出て来る訳ではないのですが。
でも「自分さえよければ」の行動が結局は自分を苦しめ、人を助けようとする事で自身が救われるあの感覚は、「利他」の精神の真髄を表しているのではないかなと思いました。
ひたすら己の利益=「利己」を追い求める札売りの男の顛末を含めて、考えさせられるお話でした。

作者の澤田瞳子さんはこの度めでたく直木賞を受賞されたそうで、受賞記念にこの本も文庫版が出ています。この機会に是非。