きのうやっと初もうで。
近所の歩いて行ける神社にひっそりと。
自分が行ったときにはご夫婦が一組だけ。
帰りに古本屋さんに行くのが習慣だったのだけど、
なくなってしまったのでもう楽しみがなくなってしまった。
紙袋にちょっと昔のゲーム機を提げている人とすれ違ったけど、
そこに行こうとしてたんだったら気の毒。
ドラッグストアではゲームの買い取りはやってないと思う。
ゆうべは「鑑定団」
結局、ずっとTVから離れられなかった。
こじるりさん、優勝したらおもしろかったのに。
あとはまた「らくごのお時間」
米朝さんは「けんげしゃ茶屋」もこういう感じで好き。
「100分de名著」を見てすっきりしなかったので、
講師の方の「近代政治哲学」を読んでみる。
引っかかったのは、
スピノザの「真理」は正しさを検証できない、とか、
主体が変容することによって「真理」を獲得することができる、とかいうところ。
裏を返せば「真理」というものは正しいものと決まっていて、
変容しなければ「真理」は獲得できない。
これは宗教や哲学ならそれでいいんだろうけど、
政治にまであてはめるとなるといろいろおかしいことになるのでは。
いわゆる"リベラル"な人ってそういう考えをするんだろうな。
憲法9条は絶対に正しいのだから改悪などあり得ない。
クジラは絶対に食べてはいけない。
絶対なのだから議論の余地などあるはずがない。
ただ、自分たちの意見に従えばいい。
個人と社会の理想的な関係、もそう。
すべての人間が共通した利益を求めること。
自分のことを大切にできる人は他人のことも大切にできる。
すべての人間に共通した利益ってなんだろうか?
そして、自分のことしか大切にできない人間も限りなくいる。
でも、そういう「真理」を獲得できない愚かな大衆は、
進歩的な"市民"がメディアを駆使して世論を誘導して啓蒙すればいい。
たぶん、それは同調圧力ともいわれるし、そういう社会を全体主義といえるかも。
人間が"進歩すること"が前提になるのはおかしい。
むりやり"進歩"させるのなら、"恐怖による服従"とたいして違わないのでは。
結局、この本を読んでもすっきりしなかった。
この方の考え方に沿って哲学者を紹介しているだけという感じ。
政治哲学の教科書として読むなら、
個々の哲学者の考え方だけを紹介した本を読んだ方がいいと思う。
理想を扱うのが哲学で、現実に対処するのが政治、なのかな。
どちらも大事なことだけど、ベクトルが違う。
体調が悪くなる前にいろんな方法で体質改善をすることはできるけれど、
ほんとうに病気になってしまえば、
薬も飲まないといけないし、手術することも必要、というような。
あと、この本を読んで新たに引っかかったのは自然権の放棄。
刀狩とか廃刀令とかを考えると、
信頼できる行政機関さえ整って自分の権利が保障されるのなら、
いがみあう必要もなくなるから放棄できる、ということなのでは。
でも、その契約は永遠なものではないからこそ定期的に選挙が行われる。
で、選挙では少数意見が無視されるということではなく、
多数の意見がより尊重されるということ。
自分の意見を通したいなら、デモや暴力、宣伝によってではなく、
話し合いで説得して多数派になればいい。
自分たちは「正しい」のだからただ従え、というのなら、
王権神授説に支えられた暴君とやってることは違わないのでは。