受験なんてもういつのことやら。
でも、覚えてるのはなるべく平常心になろうとしてたこと。
いまさら新しい参考書とか見はじめても不安になるだけだし、
やったことよりもやってないことを見つけることの方がおそろしい。
だから、まだ近くにあった本屋さんまで歩いて行ってみたり、
お弁当は作ってもらうとして、
そのときに飲む、お気に入りの缶入りのミルクティーを買いに行ったり。
午後の紅茶じゃなくてピコーが好きだったっけ。
おそろしいことにまだペットボトルはまだなかったんだな、そのころ。
自販機で買えばよかったんだろうけど、
たぶん模試のときも同じことをしてたかなにかで、
売ってないと不安になるんじゃないかとか、
ほんとにいつもと同じことをしようとしてたんだろうな。
「あの日に帰りたい」みたいなフィクションもあるけれど、
帰れるとしても絶対にイヤ。
学生時代なんて恥ずかしいことしかないし、
「四畳半神話体系」みたいに、どんなにあがいたとしても、
結局、全力で同じような泥沼に落ちる想像しかできないし。
月曜から病院。
そこの病院は待たされるっていうのはわかっているので、
いろいろ心構えをしてはいたのだけど、
10時50分受付でそのあいだ検査やらなにやらあったとはいえ、
終わったのが1時半というのはつらかった。
午前中は想定内だったけど、午後の予定までくるうとは。
しょうがない。
先生やスタッフの方々のほうがたいへんなんだし。
そのあいださらっと1冊読んだ。
「知の仕事術」
はじめに、とか序盤のあたりでもう読むのをやめようかと。
いわゆる「進歩的文化人」の方が一般大衆に向けて、
こうやって「知識人」になりなさいと啓蒙している感じ。
自分たちの意見は正しいに決まっているのに、
大衆が従わないのは知性がないからだ、みたいな考え方ってどうなんだろうか。
"ものを知っている人間が、ものを知っているというだけでバカにされる。"
とあるけれど、それは一面からだけしかものを知っていないのに、
「ものを知っている」と威張っているのがこっけいだからなのでは。
裸の王様と同じ。
石垣の市長さんからすれば、沖縄には「御用新聞」しかないように見えるかもしれない。
ものの見方は立場によっても、状況によっても変わってくる。
自分たちの見方だけが常に正しいと信じ込めるのは、
ものを知っている"つもり"なだけか、神さまかどちらかのような。
感情的ではなく客観的に見て、"つもり"なだけに見えたならバカにされても…
チャンピオンシップ。
生放送だけで夜中に録画放送ってないんだろうか。
まだ結果は見てないけど…