TBA

(仮)

それ相応の

2019-11-08 | ブログ

 

寒いという予報だったので、

きのうと同じような格好をしてみたら、やっぱり寒くはなかった。

検査は悪い結果ではなかったのでまあとりあえずはよかった。

病院は暖房が効いていたし、

そのあと買い物でもだいぶ歩き回ったのでやっぱり1枚よけいだったかも。

今晩はさんま。

 

 

「新聞と日本人」また病院で本を。

字も大きいし行間も広いのでさらっと読めた。

「吉田証言」と「吉田調書」

新聞がまず伝えるべきは正確な情報、とかいうのはわかる。

でも「言霊」がどうっていうのはちょっと。

 

戦前の号外が有料だったっていうのは初めて知った。

週刊誌や雑誌はともかく、

今の新聞が売らんがために記事を書いてるとは思えないから、

やっぱり、啓蒙が目的ではあるんだろう。

ただ、読者を見くびっている、というか、

情報をまた一手に握れていると勘違いしているのかもしれない。

 

今の時代、先日の「歓談」や「謝罪の手紙」みたいに、

ウソを書けばすぐにばれるし、

「質問通告」問題みたいに、本人の発言すら信頼がおけなかったりする。

新聞はもはや唯一の情報にはなりえないし、

それ相応の知識がないと、ネット上に無数に散らばっているちりあくたと見分けもつかない。

 

学校で教えるべきは新聞の読み方ではないし、

どうやってちりあくたの中から正しいものを見つけるかでもない。

どうすればちりあくたにおぼれずに、自分の進むべき方向を見つけられるか、ではないか。

もうこの時代に正しい方向なんかない。

でも、どの方向に進むかを決めるのはひとりひとりの国民だから。

 

自分は新聞は好きだし、読めるなら主要な4紙を読みたいくらいだけど、

できるだけ一次情報に触れたうえで、

この新聞はこういう書き方、こっちの新聞はこういう書き方って風にながめる感じ。

書いてることをうのみにするわけではない。

 

新聞っていうのは、国民に情報を公開して判断をゆだねる、というよりは、

社論のとおりに、民意を導こうとか、

まあ、悪く言えば、煽動しようという手練手管はあると思うので、

森さんが書いていたように、そのあたりの見極めができるようになるまでは、

こどもに新聞は読ませるべきではないのかも。

 

 

「上方落語の会」を見る。

「癪の合薬」はばかばかしくて好きな噺なんだけどなあ。

ハードル上がりすぎてたかも。

由瓶さんもネタもきらいではないのに、なんかちょっと残念。

誰のを聴いて気にいってたんだろう。

「べくない」「べくない」っていうのがすごくよかったやつなんだけど。

「茶漬幽霊」もさらっと聞き流れてしまった。

鉄瓶さんもわりと好きなんだけどなあ。

 

ねずみも気になるし、ゆうべは炊飯器も変な音してたせいかな。

 

 

「アメトーーク」はおもしろかった。

小藪さん、川島さん、品川さん。利き手側に、ジュニアさんと小杉さん。

そんなに知らないテーマでも、手練れがそろうと引き込まれてしまうっていう、

むかしの「アメトーーク」にはよくあった感じ。

見てよかった、って思える回。

 

「NOご利益」住吉大社とキリスト。小藪さん、大暴れ。

最近の金田さん、わりと好きなんだけど、今回は押しきれなかった感じ。

チャンさんもキノコの服と腹巻きみたいな服しか…

 

左端に知らん人いるなあって、はじめ気づかなかったくらい、

小杉さん、やせてメガネかけると別人みたいに貧相になってびっくりした。

メガネをはずすと小杉さんだったし、

御神神社のくだりで重なるボケをきっちり処理し続けるのはやっぱり小杉さんだった。

 

コメント
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