TBA

(仮)

現実ではないなにか

2021-01-03 | ブログ

 

きょうは体調は戻ったけれど、

結局、初もうでには行かなかった。

あしたからはもう行けないだろうな。

あいまにどっかにさっとお参りさせてもらう、とかそんな感じかな。

 

テレビ千鳥の再放送を見たり、

吉本新喜劇を見たり。

 

NHKの「東西笑いの殿堂2021」にアメザリが出るということで、

どうにか見ようと思って、

NHKプラスの生配信でなんとか見ようと思ったら、

もたもたしてるあいだに出番が来てよかった。

あいかわらず。お元気そうで。

アメザリも3回連続でM‐1決勝進出ってすごかったんだし、

もっとテレビで見られると思っただけどなあ。

スレキンもいつか復活してくれると思ってたし。

 

 

ゆうべは「100分de~」というのを見てた。

not for me だった。

日本のSFというか、一昔前の日本のSFマンガの、

そういうとこがニガテなんだなあっていうのがずっと続いた感じ。

宇宙とか未来とか舞台は大きいのに、

結局、個人や家族の話にもどってきてしまう。

フェミニズム云々もニガテだし。

 

よく言われる「主語が大きい」っていうのも、こういうことか、と。

女性と社会じゃなくて、自分と母親との関係というべきで、

親が怖い・大人が怖い・社会が怖い、というのも、

やっぱり個人の思いであって、

必ずしもみんながそう思ってるとも言い切れない。

 

なんか置いてきぼりにされてしまって、

共感できないと、

つるし上げられる恐怖をこっちが感じてしまう。

ポリティカルコレクトネスと同じ。

 

女性を縛っているのは母親で、

母親を縛っているのは社会、というのも、

結局、遠回しに社会のせいにしているように見える。

母親と問題を抱えているのなら、

直で向き合って解決しようとするか、切り捨てて拒絶するかしかない。

そこから、急に社会や政治の問題にされてしまうとついていけない。

 

母親と娘の関係が父親と息子の関係と違ってるっていうところを、

学問的に考えてる人っていないんだろうか。

 

いまのところは父親と息子の関係だと、

初めからある時点で関係が切れるっていうのが前提になってる気がするし、

そうなると、母親と娘の関係もいずれ変わっていくものなのかもしれない。

 

あと、たぶん14歳の少年はそんなに自由じゃない。

ヤマザキマリさんはさすがに一歩引いて冷静な意見だったと思うけど、

実在する中高生の男子寮はそんな美しいものではないだろうし。

いわゆるBLと言われてるものと、

現実のLGBTがちがうのと似た構図なのでは?

 

そういう現実から逃れるための「SF」と、

自分が好きな「SF」ってたぶん違うんだろうな。

はやりの「なろう」に近いものを感じる。

 

 

で、「氷結の絆」を見た。

「リゼロ」は現実から逃げさせてはもらえないものだけど。

 

これは、いまのタイミングで見るのがちょうどよかったんだろうな。

いま見ると、パックの言う「制約」っていうのが、

エキドナ絡みというのもわかるわけで、

2期始まる前だと、あの声はだれ?ってなるんだろうし、

「リア」とか「ぼくの娘」っていうのもわかった。

 

ちょっとわかったこととまだまだわからないこと。

 

あ、EDの曲いい曲だったし、入るタイミングもすごくよかった。

 

 

それと、カズレーザーさん、もっと期待してたんだけど、

なんかそつなさ過ぎて、

別にカズさんでなくてもよかったくらいの感じ。

まだまだ伊集院さんにがんばってもらいたいなあと思った。

 

コメント
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