雨は私が思ったとおりに降らないでいてくれた。
新宿三井ビルの地階テラスは爽やかな風が吹いていた。
なーんかイメージどおり過ぎたので
私は魔法使いかと悩んでしまった。
まぁ、思うとおりいくのが天候だけで
本来の意味での宝くじへの熱き思いは通じないわけである。
本日のガッツグリルの集いは
『エンジョイリブロースステーキアンドラッキーフランズワイワイガヤガヤ』
というものであった。
実を言うとその前にもう一言あったのだ『レッツ』という文言。
集合メールを送る時に忘れてしまったのだけど
まぁ、会の名前はどうでも良い事にしよう。
喰った~!
肉も美味いがピザも美味いなぁ、で飲み放題もグッドだ。
一番グッドなのが職場はバラバラなメンバーがたまに会えるのが
良い。なんか親戚の甥っ子姪っ子と久々に逢う様な感じだ。
若い頃から知っているメンバーはいつまでたっても若い。
世間一般から見れば、家も買ったし、家族も居るし
仕事もバリバリこなす充分おとなな社会人なのに
始めて会った時のイメージが頭の中にすり込まれている。
理解はしているのだけど、いつまでたっても若いままだ。
良いんじゃないの!そういう会。『喰らう会』
次回はまた、洒落た名前の会合にしようと思う。
でも、つくづく自分は晴れ男なのだなぁ。
なんかひとつの才能に思えてくるよ。
お金にはならない才能は満ち溢れているのだろうな、
そんな気がする、ラッキーあぐら。
出来れば、実をとるような才能が開花すれば
また人生も、より楽しくなるような気がする。
その加減というのが難しい所である。
それを知らないから才能が満ち溢れてくるような気がする。
雨を見ないで済んだ今日であった。なるべくなら夜遅く降って
明日の朝は涼しく空気の澄んだ気持ちよい曇りになって欲しい。
『明日、久々のガッツの日である。雨が降っても決行だ。』
雨降りとガッツは室内にあるので無縁であるけど
なにか、スポーツ的な乗りがガッツにはあるのである。
報告は明日だ。
今日の朝はセブンイレブンで飲み物を買ったのだけど
時間帯のせいか、相当に長い列がレジ前に出来るのだ。
エル字方になったレジなのだけど、4つあるので
1列にならんで空いたところに向っていくわけです。
よく昼時の銀行のキャッシュコーナーみたいに。
でも、時々訳のわからん並ばない人が居るのです。
エル字型なので列から遠いレジにいきなり横はいりする
その手際の良さに並んでいる我々は眼が点になる
気がつかないのではなく故意に横入りしているのだ。
そういう輩が私どもの会社のあるビルに入って行くのを見ると
なんだか、常識知らずの仲間みたいで恥ずかしくなる。
ああいった時は店の人も注意しずらいのだろうなぁ、
ああいう真似は決して出来ない私だ。
出来ちゃう人はどういう人なんだろう?
私は神経を疑う人とは係わりになりたくない小市民なので
聞く訳にもいかず、ただただ、首をひねるのである。
明日からはまた雨の季節になるようだ。
傘の日々が戻ってきてしまったというわけである。
ゆっくりとアジサイとかってまだ見ていない事を思い出した。
中野富士見町は始発駅である為、必ず座れるし
帰りも丸の内線の大手町からは100%座れる。
今週になってから行きも帰りも端っこに座る私の隣はおばちゃんである。
同じ人ではないけど100%おばちゃんである。
おばちゃんと呼んでは失礼にあたらないし、おばぁちゃんと呼べば
きっと怒られそうな年齢の人だ。
若い綺麗な女性だったら、なんか良い匂いがして嬉しいし
でっかくてズゥズゥシイ男に座れるとウンザリする。
まぁどうしょも無いのが臭いおじさんだったり
肩肘張るような座り方をしてゴシゴシ押してくるアホサラリーマンだ。
ジャカジャカ喧しいIpad馬鹿だとか
化粧したって変らないよ撫すとしたブスの化粧だったり
お前、自意識過剰なんだよ、色ボケ女だったりと
いろいろな人種がいるのだが、今週は必ずおばさんが座ってくる。
(考えてみると隣に座る人は若くて綺麗な人以外認めてないな、私は)
今週はおばさん週間と名付けよう、意味無いけど。
今日読み終わった本は金城一紀『映画篇』である。
お薦めする。騙されたと思って読んで欲しい。
帯に書いてあるのは金城一紀の最高傑作だ!異論は勿論無い。
今年読んだ本の中で№1だと言える。
気持ちの良い読後感だ、ありがとう。
映画篇 価格:¥ 1,470(税込) 発売日:2007-07 |
隣の町のお嬢さんがボクの町にやってきた~
都会の香り振りまいて・・・・・・・好きになっちまたんだよ。
残業ばっかりやっていた桑田君が好きだった歌だ。
元気でやっているだろうか?友達できただろうか?
大きなお世話な事考えてる。
吉田拓郎、最近ニュースに出ていないけど頑張っているのだろうか?
テレビに出ていないと重病だと思われる芸能界は大変だ。
有給休暇をキッちと取れないワーキングホリックの人は
幸せなのか不幸なのか判断出来ないけど、自分は
多分、中途半端に幸せだ。いいじゃないか中途半端。
病院のベッドで一週間過せば、いろいろな事が判ってくる。
過さない人には判らないだろう何かが見えてくる。
見えてはいるんだけど、基の世界に戻るという選択を選んじゃうわけで。
入院前と後で驚くくらいの違いは実は健常者にとっては
どうでも良い事だったりする。
あたり前の一日が貴重な一日だと感じる時がある。
貴重な毎日の積み重ねであるはずなのに
時々どうでも良い日だったように忘れていく。
そういう日が実は素晴らしい日のような気がする。
最近、いろいろな宿題を頂戴するようになった。
やらなくても良い宿題なのかもしれないけど
期待されているのに、それに答えないという事が出来そうに無い。
期待はずれの結果は出せても、宿題やっていないって言えない。
出来れば100点満点を取って、ビックリさせたい気持ちだ。
少なくとも自分で採点して100点という物を出したい。
一番難しい気がする。自分という判定基準。
こいつが100点くれたら誰が何と言おうが100点に違いない。
そんな自信のある100点をいままで自分に与えた事が無い正直者は私だ。
貴方は100点を自分に与えた事がありますか?
さて、今の貴方は何点貰えるのだろう?
自分以外の人に100点貰えるのは簡単なのに自分の100点付けられない
それはマットウに活きてるって事のような気がする。
きっとそうだよ、ラッキーあぐら。