Mさんは、その高齢さにもよるのか、一種超然とした雰囲気を醸している。
すでに年の頃は、70歳を大分超えているのだろうが、
正確な年齢は訊いたことがない。
週に一度は顔を見せてくれる、いわゆる常連さんの一人である。
飲むのは、ジン系のカクテルで、マティーニが多い。
ジン 、ドライベルモット、レモンピールが材料でオリーブを添える。
カクテルの王道ともいえるカクテルである。
マティーニは様々な映画で使われたが、
初代ジェームス=ボンドのショーン=コネリーがオーダーしたセリフが、
彼のダンディさと共に強く私の印象に残っている。
Mさんは、今の季節になると、ジンジャーワインの甘味と爽快な香りの、オータム・リーブスを飲んだりする。
Mさんによると、ジンジャーワインに秋の香りを感じるのだそうだ。
このカクテルは、1984年のサントリー・カクテル・コンペティションでグランプリに輝いたことでも有名である。
カクテルを口にするMさんの姿は、何にも煩わされることがなく、
ただ、今という時を味わっている人の、豊かさというか幸福感みたいなものを感じて、
バーテンダーとしてもホッと幸せな気分になる。
コの字型のカウンターの、短い辺の真ん中あたりに席を取り、
ラムウールのハイネックのセーターに、コーデュロイのジャケット、
シックな色合いのその姿は、豊かな白髪も相まって、
Mさんのいる風景は、外国のバーの中にいるような感じさえすることがある。
Mさんの話し相手は、だいたい私ということになっている。
一番年齢が近いからだろうと思っている。
それに、Mさんはほとんど一人で来るから、話し相手は必然私かマキちゃんになってしまう。
一度聞いたところでは、Mさんの奥さんは、
10年ほど前に胃ガンでなくなったということだった。
スキルス性の胃ガンで、進行が早く、ガンが発見されたときはすでに手遅れだったらしい。
亡くなるまでの半年間のMさんの献身的な看病は、
Mさんを知る人には有名だったらしいことを、Mさんの知人であるKさんが話してくれた。
そのことについては、Mさんは一度も店で話したことはない。
Mさんはいくつかの大学で教鞭を執り、最後は熊本市の私大で終えたということだった。
その私大に来た当初、Mさんは60歳になんなんとする頃で、
いわゆるロマンスグレーの、彫りの深い顔立ちは外人のようで、
女子大生にもかなり人気があったらしい。
Mさんの専門は文化人類学で、フィールドワークに出ることも多く、
助手の女性や学生と一緒に数日の遠出になることもあった。
Mさんの教室の助手であるTさんは、2度ほどMさんが私の店に連れてきたことがあるが、
眼鏡の奥のキラキラした瞳と、薄くてきれいな形の耳が印象的な女性だった。
Tさんは、オレンジブロッサムが好みで、Mさんの話を、
いくらか酔って頬を染めながら、敬愛の眼差しで聞いていたのを思い出す。
オレンジブロッサムは、ウオッカベースのカクテルで有名なスクリュードライバーの、
ウオッカの代わりにジンにオレンジジュースを加えたものである。
「尊敬の気持ちが、いつか愛情に変わることもあるのさ。」
Kさんはそう言って、MさんとTさんが理無い仲になって、
そのことが奥さんに知れ、
結局は助手のTさんが大学を去らなければならなくなったことを話した。
Mさんの献身的な看病は、その時の罪滅ぼしだったのだろうか。
今では、傍目には全てを超越した雰囲気でマティーニを飲むMさんが、
カウンターで思い浮かべているのは、
自分のせいで大学を去って行かなければならなくなったTさんのことか、
それとも、死によって自分のもとを去っていった亡き奥さんのことか、
誰にも窺い知ることはできない。
え、どちらのことを思っているか訊いてみたいですって。
野暮を承知でということであれば、一度名も知らぬ駅に来てみませんか。
※名も知らぬ駅という店はありますが、話はフィクションです。
すでに年の頃は、70歳を大分超えているのだろうが、
正確な年齢は訊いたことがない。
週に一度は顔を見せてくれる、いわゆる常連さんの一人である。
飲むのは、ジン系のカクテルで、マティーニが多い。
ジン 、ドライベルモット、レモンピールが材料でオリーブを添える。
カクテルの王道ともいえるカクテルである。
マティーニは様々な映画で使われたが、
初代ジェームス=ボンドのショーン=コネリーがオーダーしたセリフが、
彼のダンディさと共に強く私の印象に残っている。
Mさんは、今の季節になると、ジンジャーワインの甘味と爽快な香りの、オータム・リーブスを飲んだりする。
Mさんによると、ジンジャーワインに秋の香りを感じるのだそうだ。
このカクテルは、1984年のサントリー・カクテル・コンペティションでグランプリに輝いたことでも有名である。
カクテルを口にするMさんの姿は、何にも煩わされることがなく、
ただ、今という時を味わっている人の、豊かさというか幸福感みたいなものを感じて、
バーテンダーとしてもホッと幸せな気分になる。
コの字型のカウンターの、短い辺の真ん中あたりに席を取り、
ラムウールのハイネックのセーターに、コーデュロイのジャケット、
シックな色合いのその姿は、豊かな白髪も相まって、
Mさんのいる風景は、外国のバーの中にいるような感じさえすることがある。
Mさんの話し相手は、だいたい私ということになっている。
一番年齢が近いからだろうと思っている。
それに、Mさんはほとんど一人で来るから、話し相手は必然私かマキちゃんになってしまう。
一度聞いたところでは、Mさんの奥さんは、
10年ほど前に胃ガンでなくなったということだった。
スキルス性の胃ガンで、進行が早く、ガンが発見されたときはすでに手遅れだったらしい。
亡くなるまでの半年間のMさんの献身的な看病は、
Mさんを知る人には有名だったらしいことを、Mさんの知人であるKさんが話してくれた。
そのことについては、Mさんは一度も店で話したことはない。
Mさんはいくつかの大学で教鞭を執り、最後は熊本市の私大で終えたということだった。
その私大に来た当初、Mさんは60歳になんなんとする頃で、
いわゆるロマンスグレーの、彫りの深い顔立ちは外人のようで、
女子大生にもかなり人気があったらしい。
Mさんの専門は文化人類学で、フィールドワークに出ることも多く、
助手の女性や学生と一緒に数日の遠出になることもあった。
Mさんの教室の助手であるTさんは、2度ほどMさんが私の店に連れてきたことがあるが、
眼鏡の奥のキラキラした瞳と、薄くてきれいな形の耳が印象的な女性だった。
Tさんは、オレンジブロッサムが好みで、Mさんの話を、
いくらか酔って頬を染めながら、敬愛の眼差しで聞いていたのを思い出す。
オレンジブロッサムは、ウオッカベースのカクテルで有名なスクリュードライバーの、
ウオッカの代わりにジンにオレンジジュースを加えたものである。
「尊敬の気持ちが、いつか愛情に変わることもあるのさ。」
Kさんはそう言って、MさんとTさんが理無い仲になって、
そのことが奥さんに知れ、
結局は助手のTさんが大学を去らなければならなくなったことを話した。
Mさんの献身的な看病は、その時の罪滅ぼしだったのだろうか。
今では、傍目には全てを超越した雰囲気でマティーニを飲むMさんが、
カウンターで思い浮かべているのは、
自分のせいで大学を去って行かなければならなくなったTさんのことか、
それとも、死によって自分のもとを去っていった亡き奥さんのことか、
誰にも窺い知ることはできない。
え、どちらのことを思っているか訊いてみたいですって。
野暮を承知でということであれば、一度名も知らぬ駅に来てみませんか。
※名も知らぬ駅という店はありますが、話はフィクションです。
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