Design Manhole Cover

Design manhole cover that gathered throughout Japan

保土ヶ谷球場

2006年07月22日 | 身辺雑記
横浜保土ヶ谷区の高台にある県立保土ヶ谷公園内の球場です。
ここへ来たのは久し振りです。

早めに家を出たんですが、交通渋滞で到着が遅れ、球場近くの駐車場に入れず、少し離れた第二駐車場になってしまいました。

駐車場から公園内を歩き

サッカー場を
過ぎると球場です。

チケット(500円)を買いスタンドへ。
既に第一試合が始まっています。

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司馬遼太郎「功名が辻」にみる千代のコーチング 18

2006年07月21日 | 読書
安土城下に引っ越してから、一月も経たぬ天正十年十二月のはじめに、
「長浜を奪取せよ」
と言う軍命が下った。

柴田勝家に外交上の配慮で譲ったが、今は養子の柴田勝豊が守っている。
柴田勝家は越前におり、この時期、長浜城との間の北国街道は雪で閉ざされていて、援軍を出すことが出来ない。
秀吉は大軍で出陣しながら戦わずに、勝家と勝豊の不仲を利用して、降伏をすすめ、秀吉方に付けば領土の安泰と身分を保障するという条件で、長浜城を開城させた。

秀吉は、雪が融けて柴田勝家の大軍が南下してくる前に、勝家の同盟軍のうち最大の伊勢長島城に本拠を置く滝川一益を伐ちに出た。
天正十一年二月、総勢七万五千が伊勢路に入り、亀山城を囲んだ。
城将は滝川の武将佐治新助で、非常な戦上手されていた。

夕刻、敵の奇襲隊突っ込んできた。夕餉の準備などをしている各隊の中、戦闘準備をしていたのは伊右衛門の隊のみであった。
伊右衛門隊は敵の奇襲騎兵を城門まで押し戻した。
この活躍を観た秀吉は、驚喜して喜び伊右衛門を褒め称えた。

その翌朝に、総攻撃が始まった。

「殿、昨日はあれほど筑州様(秀吉)からお褒めを頂戴した以上、今日は全軍に先駆けて一番乗りせねばなりますまいぞ」
「そのとおりだ」
「殿、殿、殿は下手じゃな。そういうときには筑州様のように、我ら家来の胸が躍り血が狂うような言い方で言いなさるのが、上手の大将と申すべきではありませぬか。『そのとおりだ』では家来は喜んで死ぬ気にはなれませぬぞ」
「どうすればよい」
「吉兵衛よう申した、と、こう申されよ。わしこそおのれに死に遅れはせぬぞ、おのれとわしとは主従とはいえ幼いときから親代わり当然になってよう育ててきてくれた。今日の合戦は、わが武門が興るか興らぬかの瀬戸際、わしが死ねば供養を頼む、吉兵衛、そちが死ねば永代に供養し、子々孫々、必ず重用してそちの働きに報いるぞ、とこう申されよ。武士と名の付く者ならば、主人からこう申されれば、命も要らずに働くものでござるわ」
「なるほど」
「なんと威勢の悪いお返事であることよ。殿は正直にましますゆえ、大将の演技が出来ぬ。せめて、『吉兵衛、そのとおりぞ』とわしが手をお取りなされてはどうじゃ」
「吉兵衛、頼む」
と、手を取ろうとした。
吉兵衛は笑いだし、
「殿はほんにお正直。その素直さが財産じゃ。殿、殿のお正直はいい、しかしそれだけでは国主までにはなれませぬ。もし十にひとつ、吉兵衛がこの合戦で死にましたるときには、この言葉、よう覚えていて下され、何にもよらず、外での出来事は奥方様にお語りあそばすこと」
「あれは婦人だ。外での事をいちいち知っておく必要はない」
「それは常の婦人のこと。奥方様はどうやら、おもしろい女性にござる。男でも思いやらぬご意見をお持ちあそばす。今まではこの吉兵衛が、舌足らずながらも、世間のこと家中のこと、天下のことなど、聞き知り及びたる限り申し上げておりました」
ははあ、そうであったか。千代が屋敷に居ながら妙に世事に明るかったのは、そのせいであったか。
吉兵衛は、山内家興隆のために、全軍の先頭に立って城に入るつもりらしい。

伊右衛門隊は、先陣を切って戦い、その日、亀山城は落ちた。

戦いの中で、吉兵衛伊右衛門とともに働いたが、ついに敵の槍に倒れ死んだ。
夜、陣中で吉兵衛の遺骸を焼き、その骨は祖父江新右衛門があずかり、直ぐに戦場から遺品と共に千代のもとにやり、遺族を慰めさせた。

千代は、数日、泣き暮らし、何度も
「もう、武士はいやです」
と言った。

伊右衛門を書いた、古い記録には、こうある。
「我と吉兵衛のむつまじきこと、親族に越えたり。つねに怒ることなく、隠すことなく、戦場に臨んでも共に励みしかども、我は吉兵衛に毎度劣りし。(中略)かくて我、比翼の友を失ひぬれば、戦場に臨みても勇ことなく、酒宴の席にて楽しむことなし、と、涙を流してぞ語りける」

天正十一年(1583)四月二十四日、越前北ノ庄城が落ち、柴田勝家とお市ノ方が自刃した。

秀吉は、五月に安土に帰り、将士の論功行賞をした。
伊右衛門は、五百石の加増を得たが、気持ちは晴れない。
今度の戦では、吉兵衛が討ち死にまでしたのに、たったの五百石か。他の将士にけっして遅れを取ってはいないのに、伊右衛門には納得できない行賞だった。

帰宅後、伊右衛門は千代に、
「浪人したい」
と、言った。
「一豊様のご決心次第でございます。千代は、一豊様がたとえ乞食をなさろうとついて参ります」
千代は、一豊を一国一城の主にすることに少し疲れていた。
夫に功名を強い、栄達を強いていたことが、伊右衛門の重荷になっていた。
そう、思ったとき自分が、いやな女だったと思ったのである。

つづく

千代は、無理に自分の考えを押しつけようとはしない。伊右衛門が浪人したいと言えば、それを受け入れる。そして、自分を振り返り反省をする。
コーチングには、いつもフラットな気持ちで相手と自分を見ることが求められています。

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浜松

2006年07月20日 | 情報日記(スーパー他)
遠鉄ストア桜台店
静岡県浜松市桜台3丁目28-1
電話 053-414-1711
営業時間 10:00~21:00

店内に入って、先ず感心したのが、雨の日の対応。傘袋置き場の所に綺麗な雑巾が何枚も重ねて置いてありました。こういうサービスは始めて見ました
随分親切ですね、雑巾を黙って持って行ったりする人はいないんでしょうか。
お店とお客様との信頼関係が有るから出来るんだと思います。

平日の来店客が少ないんでしょうか、生鮮は陳列に苦労しているようでしたが、POPに一言添えたりして、きめ細かい対応でした。

鮮魚のにぎり寿司
特売品に目が留まりました。生しらすが入ってます。これで398円ですから、もう、買うっきゃない。
運転しながら、夕飯に食べました。旨かった!


遠鉄ストア姫街道店
静岡県浜松市葵西3-6-1
電話 053-430-1101
営業時間 10:00~22:00

桜台店とは趣が異なり、まあ、フツーのお店です。特売のチラシ広告も別のものでした。

姫街道なんて、なんか風情のある名前だなと思ったら、東海道の脇海道で浜名湖の北側を通る街道だそうです。


シーズンセレクト可美店
(マツビシマート)
静岡県浜松市増楽町655
電話 053-440-0100
営業時間 10:00~22:00

セルフに拘っているんでしょうか。精肉や鮮魚の一部商品(ばら売り)とか、惣菜だけでなく、弁当もご飯を自分で量るセルフを取り入れているようでしたが、情けないことに、私はやり方が解りませんでした。

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フードワン大野台店(三和大野台店)開店

2006年07月19日 | 情報日記(スーパー他)
相模原市大野台2-31-8
電話 042-751-0801
営業時間 10:00~21:00
2006年7月19日開店  地図

三和の生鮮流通センター跡地に建てられました。前面と屋上に駐車場、ワンフロア約600坪、テナントにしまむら(衣料)が入っていますが、こちらは7月27日開店だそうです。

三和のEDLP型店舗の多分2号店だと思います。
(1号店はミスターマックス辻堂に入っている藤沢店

入口に生花、店内のレイアウトは、青果から始まりデイリー、鮮魚、精肉、惣菜で外周を囲む一般的なもの。
グロサリーは、中通路なしでゴンドラがズドンと続いているので、陳列の迫力は有るんですが、店内を回遊しにくいように感じました。

大袋や箱売りも取り入れ、低価格商品を品揃えしたことで、安さをアピールしているようです。

この店舗でも藤沢店同様、電子棚札を使用しています。どうも腑に落ちないのがこれなんです。果たしてEDLP店に必要なんでしょうか。それともレジとセットでもれなく付いてくる、お得な電子棚札パックなんてのがあるんでしょうか。

フードワンではオーケーのように、他店の特売価格に合わせて自店の価格を下げるようなことはしていません。
ジャスコ、IYが競合の地域ですから、競合店のNB(ナショナルブランド)特売に、この先EDLP店舗として、どう対応していくのか、しないのかを、見守りたいと思います。


競合店

ジャスコ相模原店 (直線距離 900m)
イトーヨーカドー古淵店(直線距離 1km)

神奈川のスーパーマーケット
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コンフリクト

2006年07月18日 | コーチング
コーチは、常にコーチングについて勉強しています。
学び続けることが、自らのコーチングスキルを磨くことになり、クライアントのゴールへの過程をより短縮することに繋がるからです。

今回の勉強は、十数人によるロールプレイングでした。
参加者中から、選ばれた人がクライアント役になり、今抱えている問題を発表して、自分をコーチしてもらいたい人を指名します。

大変名誉なことに、何故か私がコーチ役の指名を受けました。

テーマが、これが厄介なことに、「コンフリクトな同僚とどう付き合うか」と、云うことでした。

このコンフリクトと云うのは、「人と対立する」と云うことです。
コンフリクト傾向のある人達をタイプ別に分けると次のようになります。
・攻撃的
・不平不満
・沈黙
このようなタイプが、混ざり合っている人も居ます。

それで、コーチングのロールプレイなんですが、持ち時間が5分間なんですね。
この間に、クライアントに新たな気づきや、問題に対する解決策、或いはヒントを示さなければなりません。

先ずは、質問をしてみました。
「その人の問題なところはどんなところなんですか」
「何でも人のせいにする人で、リーダーシップがないんです」

今考えれば、ここで私はチョッと違う方向へ進んでしまったようです。
「人のせいにするってどういうことですか」
質問と応答をくりかえしながら、核心に近づけないまま、残り1分。

「それでは、その人のことについて、個人的にはどんなことを知っていますか」
通り一遍な答えだったので、「困った人だ」と悩んでいる相手のことを、どれだけ知っているのかを直接聞いてみました。

クライアントは、しばし沈黙。
相手の個人的な事は知らなかったし、興味も持っていなかった。相手が苦手なタイプなので敬遠していた。
と、云うことだったんです。

残念ながら、ここでタイムアップ。

何でも、人のせいにする、リーダーシップがないと、言っていた相手のことを、理解しようとしたことがない、と気付いていただけた事が成果でして。

限られた時間の中で、クライアントの話を聴きながら、どうやって視点を変えようかと次の質問を用意したり、クライアントの答えになんと返答しようかと考えたり、頭をフル回転させての5分間でした。

後から振り返って、ああすれば良かった、こんな質問が良かったのかな、なんてことを考えるのも、又、勉強になりました。

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読書 暗殺の年輪

2006年07月17日 | 読書
暗殺の年輪

文藝春秋

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文庫本
藤沢周平の短編。黒い縄、暗殺の年輪、ただの一撃、くらい海、囮の5作品。

黒い縄は、町人もの。出戻りのしのと、幼なじみ。元岡っ引きの老人の執念と人情が織り混ざるストーリー。

暗殺の年輪は、藩の政争に心ならずも、巻き込まれてしまう、若者達の運命を描いている。

ただの一撃は、藩主の命で御前試合をしなければならなくなった老人の、剣士としての本能と老いた者の悲しみが描かれている。

くらい海は、晩年の葛飾北斎の心情を描いている。

囮。版木の彫り師甲吉は、下っ引きをやっており、張り込みを続ける中で心が揺れ動く。

私は、藤沢周平の作品の中では、やっぱり武家社会のしがらみや下級武士の心意気のようなものを描いた作品が好きですね。
この作品の中では、ただの一撃が好きですが、結末が暗くなり過ぎて、少し心に鬱屈が残ります。

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司馬遼太郎「功名が辻」にみる千代のコーチング 17

2006年07月16日 | 読書
馬揃えの翌年の春、信長は秀吉に三万の兵を与えて中国毛利攻撃の再興を命じた。
むろん伊右衛門も従軍した。
「千代、そなたが買ってくれた馬の手前、今度は生涯の開運の働きをするぞ」
面白いものだ、新しい馬を与えられるとそう云う具合に、気分がすっかり改まるらしい。
千代も、いつもの出陣よりも生き生きして別人のようにみえる伊右衛門を送り出すのが楽しかった。

秀吉の今回の攻撃目標は、備中高松城(現在の岡山県)である。
秀吉は、この城を大土木工事と梅雨の雨を利用した水攻めで落とそうと考えた。

伊右衛門はこの戦いの中で、毛利の宍戸修理と云う武者を討ち取り、宍戸修理の持ち槍をぶんどった。
この槍の銘は、来国俊という名槍だった。
この後、伊右衛門はどの戦場にもこの槍を持って出掛けた。
後年土佐二十四万石に封ぜられてから、奇抜な鞘を作った。
これは、意匠を考えることが好きな千代が考案したといわれている。
この鞘は、尾長鶏の真っ黒な尻尾を集めて作ったもので「土佐の大鳥毛の御槍」と呼ばれ、今は高知城に展覧されているとか。槍は国宝で、山内旧侯爵家に所蔵されているとか。

六月二日未明、本能寺の変がおこった。
知らせは、その翌日三日の夜、備中の秀吉に届いた。
秀吉はこれをひた隠しにして、軍師の黒田官兵衛に毛利との和平交渉を進めさせた。
高松城主清水宗治の切腹を条件に和議が成立するや、秀吉は急ぎ、兵をめぐらせ山陽道を東上した。
ときに、天正十年六月六日午後二時過ぎである。

秀吉は、備中の陣地から姫路まで、雨中の猛行軍、一日一夜で駆けとおして、八日の早朝姫路城に入った。
秀吉は直ぐ湯殿に駆け込み入浴した。入浴しながら。
「出陣は明日、皆、寝よ」
そう命じてから、金奉行(会計官)を呼び、城の金全てを知行取り(将校)に分け与えた。
次に蔵奉行を呼び、城中の米を全て扶持取り(従士、足軽)に与えた。
秀吉はこの戦では籠城はせぬと決めて、全財産を褒美の前払いとした。

午前二時に出発し、摂津尼崎に着いたのは、十一日午前八時頃だった。
尼崎で一泊しているうちに、織田家の大小名が続々と集まってきた。

十二日、尼崎進発。
西国街道を二万六千五百の秀吉軍が上り始めた。
秀吉軍の先方が山崎駅(宿場)に進出した十二日は午後から豪雨が降った。
秀吉は軍令を発し、
「雨に濡れるな、在所在所の民家に入って雨宿りせよ」
と、無理な行軍を戒めた。
これは、足軽衆が携行している煙硝が濡れるのを恐れたからだ。
いざ合戦になっても火薬が湿っていては鉄砲が使えない。

ところが、明智光秀の側は、この豪雨の十二日は、行軍中であった。
中国征伐中の秀吉が、恐ろしいほどの速さで軍をひるがえし、光秀に迫ろうとしていた。
織田家の秀才作戦家と言われた男の予想を上回った秀吉の速度は、光秀の計算を狂わせた。

よく、今でも勝負事や重要な事などをするときに、
「ここが天王山だ」
という、勝負の決め手の場所をいう。その場所を先に取れば勝ちだという場合につかう。
天王山は、山崎にある。

十三日、敗れた光秀は敗走の途中、落ち武者狩りの土民の槍に刺されて死んだ。

戦後の論功行賞で、伊右衛門は、長浜三千石になった。
城主ではなく城番である。
ところが、この後直ぐに、秀吉が柴田勝家の機嫌取りの為に、長浜一帯の領地と城を勝家に譲ってしまったのだ。

伊右衛門は、長浜から播州へ移ることになってしまった。

「よいではありませぬか」
「そなたは、いつもそういうのんきな顔をする」
播州に居住していては、いざ合戦のときにとても間に合わない。
今度の合戦は、早晩、北国の柴田勝家との間に行われる事になるであろう。
第二の天下分け目の戦いになるわけで、播州にいてはその合戦に間に合わない。

たしかに軽微な不運が続いたと千代も思うのだ。しかし、不運と思うのは愚者だと千代は考えている。運、不運は「事」の表裏にすぎない。裏目が出ても、直ぐ良い方に翻転出来る手さえ講ずれば何でもないことだ。
「知行地にたれぞ代官をやり、お屋敷は京都に頂くようお願いすれば良いではありませぬか」
あっ、と伊右衛門は驚いた。
成る程、妙案である。秀吉も当分は京都に居ろう。そこに屋敷を持つというのは、常に秀吉の指令の下で働ける態勢をとっていることだ。
が、この千代の妙案が、ちょっと現実的でないのは、信長時代に先例がないことだった。
「先例がないからこそ、お願いすればおもしろうございましょう」
と千代は言った。
千代は見抜いていた。秀吉は京都に侍屋敷を持ちたいはずだと言うことを。信長の本能寺の二の舞を今度は秀吉が受けるかも知れないし、そうでないにしても、いざ出兵となれば軽快に動員出来るではないか。

伊右衛門は願い出た。
秀吉は忙しいさなかであったが、伊右衛門の申し出に、はたと膝を打った。
「それは妙案じゃ、しかし伊右衛門、しばし待て、わしは京よりも大阪を考えておる。大阪に巨城を築き、大小名の屋敷を集中させようと思う。それまでの間、安土城下の空き屋敷にでも入っていてくれ」
千代のあんは、場所の違いこそあれ、秀吉の構想と一致していた。それだけに伊右衛門の着想に感心した。
秀吉が、これは大名になれる男だなと、ちらりと思ったのはこのときであった。ただ、大軍を指揮する能力がない。

つづく

千代の考えは、常にプラス思考。どんなことでも見方を変えると違ったものが見えてくる。これをコーチングでは「視点を変える」と言っています。
視点を変え、従来にない新しい発想で伊右衛門をサポートする素晴らしいコーチです。


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第88回全国高等学校野球選手権神奈川大会

2006年07月15日 | 身辺雑記
我が母校が、春の選抜で優勝したからなのか、地元の高校が出るからなのか、試合開始2時間前だと云うのに、入場券売場の前には、もうこんなに行列が出来ている。

ここは、ドカベン球場
あの明訓高校の山田太郎が、入口前で素振りをしていた。
流石、山田太郎のスイングはバットがしなっている。
「おばちゃん! そんなとこに立ってると、腹をぶったたかられるぞ」

内野スタンドバックネット裏
日蔭を選んで試合を待つ。対戦相手は地元の座間高校。
徐々に席も埋まってきて試合開始。
1回の表に1点入れた。順調な滑り出し。
横浜は、ピッチャー西嶋の好投で相手に得点を与えない。
その後、座間のピッチャー米村を捕まえきれず、4回まで無得点だったが、5回佐藤のライトへの3ラン、7回には座間の米村に代わった菅原から4点を奪い、

7回コールド勝ち。

校歌を歌って、球場を後にした。

それにしても、お客さんが沢山入っていました。
3回ぐらいだったか、内野席がいっぱいになり通路階段にも人があふれたので、普段開けない芝生の外野スタンドを開放した。
これだと、一万人ぐらい入ったのかな。

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梅雨の晴れ間

2006年07月13日 | 身辺雑記
蒸し暑いです。

蒸し暑いと、みんな体調が悪くなったり、精神的に不安定になるんでしょうか。
私も、ちょっといらついてました。

「ちょっと、これやって来てくれないかな」

暫くの沈黙。

なんだよ、やりたくないのかよ。なんて思っていると。

「どうやるのか解らないから、出来ないよ」

やっぱり、やりたくないんだな。

「解ったよ、もういいよ、頼まないから」

怒ったような顔で、
「やり方が解らないのに、引き受けられないよ」

なに言ってやがんだ、引き受ける気持ちが無いから、出来ない理由を探してたんだろ。引き受ける気持ちが有るんなら先に、どうすればいいか聞くはずだろ。

「だから、嫌ならいいんだよ、無理にやってもらおうなんて思ってないんだから」

その瞬間、激怒した声が帰ってきた。

「だれも、嫌だなんて言ってないだろ。なんにも解らないのに、ただこれやって来てなんて言われたって、何をどうしていいのか解らないじゃないか。いつも、そうやって、俺になんにも言わないで勝手に決めつけるなよ」


この辺で、漸く私も平常心を取り戻してきた。

息子は、情報が無いと動き出せないタイプだったんだな。
始めの、「ちょっと、これやって来てくれないかな」の言葉を違う形で投げかけるべきだったんだ。
それから、自分が「どうやればいいの?」って云う言葉を待っていたんだってことに気付いた。
その時、「どうやるのか解らないから、出来ないよ」って言われて、期待を裏切られた様な気分になっていた。

ふたりとも、この関係を修復しないといけないと思っていたようで、息子が話し出した。

「なにも、やるのが嫌だった訳じゃないよ、情報も無いのに引き受けられないじゃないか。俺もはじめに『どうやればいいのか教えて』って言えば良かったんだと思う。だけど『無理にやってもらおうなんて思ってない』なんて見捨てるような事を言わなくたっいいじゃないか。どうしてそこで、俺のことを救う様な事を言ってくれないんだよ」

成る程な、俺の言葉にも態度にも、配慮が欠けていたな。
よくよく考えると、自分の気持ちを優先していて、息子の気持ちを考えていなかったってことだな。

その後、暫くこの件について、自分はこう思っていた。こうして欲しかった。ってことをお互いに話し、相手の気持ちを理解しあった。

「配慮はするが、遠慮はしない」
今日は、配慮に欠けていた。
蒸し暑さのせいにしてばかりはいられない。


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海を見に!

2006年07月12日 | 身辺雑記
海岸をドライブ。

思いたって立ち寄った店で、昔の友人にバッタリと出会った。

やあやあ、元気ですかって、お互いに声を掛けたが、生憎と私は現在不自由な姿を見られちまったよ。

まあ、これは一時のもんだから、なんてことで、長居して仕事の邪魔をしないように、
「じゃ、又ね」

♪江ノ島が見えてきた♪
曇り空でパッとしないが、海岸では海の家の建設が進んでいる。

鎌倉の湾内ではウィンドサーフィンが沢山見られたが、その中を縫うようにして水上スクーターが走り回っていた。

何か嫌な風景だな。

海岸でのパトロールは良く見かける。人がドッと押し寄せる夏の間は、大変だとは思うんですが、所轄の警察には、海上での事故防止、警備についても取り組んで貰いたいと思うんですよ。

水上の規制を強化しないと、無謀な輩のせいで悲惨な事故が起こるような気がしてならないんですよ。

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ごはんや 横浜立場食堂

2006年07月12日 | 食堂・レストラン
まいどおおきに食堂
横浜市泉区中田町2734-5
電話 045-803-3252
営業時間 11:00~23:00

塩焼秋刀魚 きんぴらごぼう
わかめ酢、 めし(小)、 みそ汁、 641円
秋刀魚の塩焼きには、もう少し大根おろしを増やしてくれると嬉しいんだけど、この価格(210円)じゃしょうがないか。きんぴらもわかめ酢も良い味でした。
ご飯が旨いのが何よりです。

ここの、従業員は、会話の受け答えがシッカリしているし、動作も機敏、その上親切ときてるんだから、接客については言うこと無し、非常に優秀です。

ビュッフェスタイルで選んだものを、お盆に乗せ会計をしました。
連れが居たんですが、レジの方が、私の足が不自由なのを見て、お盆をテーブルまで運んでくれました。

こんな事が嬉しいんです。

先日行った、ミニスーパーでは、レジで袋に入れてくれないのは良いとして、次のお客様がつかえているから、早くどいてくれないかな、の様な態度に思えてしまったんです。私も、松葉杖じゃなかったらもっとテキパキと動きますよ。

まあ、つくづく思うのは、接客は心なんだなと云うことです。

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オムライス

2006年07月11日 | 身辺雑記
今日のお昼は、サティのおむらいす亭で、デミでした。
ふわふわのたまごに、デミグラスソースの味がマッチしてますね。
私しゃ、このふわふわのたまごが作れないんだな~。
なもんで、たまには食べたくなるんですよ。
アイスコーヒーとのセットで640円。

食事後、所用で出掛けていた息子を、イートインコーナーの端で本などを読みながら待つ。

息子が戻ってきたので、お茶をしながら話し込む。
最近は、本音の話をよくするようになりました。
以前は、お互いの言葉の端々を捕らえては、誤解や邪推でお互いを傷つけ合っていたんです。

こういう風に、話し合いをするようになったのは、自分の気持ちをストレートにぶつけなければ、息子の心が開かないなと思ったことがきっかけでした。
「お父さんは、こう思って居るんだよ」
「お前のことが好きだから、こうして貰えると嬉しいんだよ」
こう云う風に、正直に自分の気持ちを、息子に話すには、凄く勇気がいったし、恥ずかしくもありましたね。
それでも、「黙って俺に付いてこい」じゃ、心の中は解らないんですね。

親子と言えども他人ですからね、ひとつの物を見ても違った見方、違った考え方をしてたんですよ。
他人は自分と違うんだって思えたのが、50代も半ばを過ぎてからですからね。
私しゃ、随分遅く大人になったんだなって思いました。

息子の態度が少しずつ変化してきたのを感じられるようになったんです。
まず、感情の爆発が減りましたね。

そんな話も面と向かって出来るようになりました。

そしたら、
「俺が変われたのは、お父さんが変わったからだよ」って言ってくれました。

今でも、時々衝突することはありますよ。
その度に、
「人はそれぞれ違うんだから、自分の意見を押しつけちゃいけないよ」って言うと、
「お父さん、今、自分の意見を押しつけたじゃん」なんて、言うんですね。
「そう、聞こえたら謝るけど、お父さんは自分の意見を言っただけなんだよ、お前も自分の意見を言えば良いんだよ」
「大きい声で言われて、睨まれたら何も言えないよ」
そこまで来ると、ああ、俺も興奮してて声がでかくなってたんだなって気付くんですよ。
お互いが相手を見ていて、相手の危険信号に気付くようになったんですね。
それを、素直に言われて、素直に受け入れられるまでになったって云うことでしょう。

何度も衝突して、お互いを確認し合って、永年掛かって出来た溝を少しずつ埋めているところなんです。


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ハリー・ポッターと謎のプリンス

2006年07月10日 | 読書
ハリー・ポッターと謎のプリンス ハリー・ポッターシリーズ第六巻 上下巻2冊セット (6)

静山社

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このハリーポッターシリーズは、読み出すと止まらなくって困るんだが、今回も上下巻を3日間で読み切った。
ハリーも16歳、魔法魔術学校の6年生になった。
魔法界では、17歳が成人だそうだ。

思春期の恋愛感情、友情、宿敵の秘密、過去の出来事、クィディッチの試合、学校の勉強、敵との戦い、大事な人の死。
今回も中身がてんこ盛り、次回の7作目が最終章だそうだが、それは、あと一年経たないと読めない。

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焼魚食堂 魚角 淵野辺店

2006年07月09日 | 食堂・レストラン
相模原市共和4-7-10
電話 042-751-5601
営業時間 11:00~23:00

このお店、(株)レインズって言うよりも、牛角って言ったら解りやすいかな、その牛角プロデュースのお店です。

定食と一品料理、お酒もあるので、肴もあります。

今日は、かつおのたたき定食
冷や奴、ひじき、漬け物、シジミのみそ汁、これで880円。
ご飯を、小で注文したら、20円引きでした。
大盛りの場合は無料です。

店も店員も感じが良くて、仲々美味しい定食でした。

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