重い存在「鉄」新時代 [09/09/22] 朝日新聞より
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ビルや橋、電車や車、身近な調理器具まで欠かせない「鉄」。血液や土の中でも生命にとっても不可欠な役割を担っている。純度を徹底的に高めていくと、鉄の常識を覆す性質を示すことが分かってきた。含まれる不純物を微妙に調整することで不思議な性質を持つ鉄素材も生まれ、新しい用途にも注目が集まっている。
◇純度99.9998% やわらかい・とけない・さびない
銀色に輝く約10キログラムの鉄のかたまり――。純度99・9998%以上という世界最高純度の鉄は不思議な光沢を放っている。
東北大金属材料研究所の安彦(あ・びこ)兼次・客員教授らが開発した。
不純物は、鉄原子100万個に対して1個程度しか入っていない。「さびない」「(塩酸に)とけない」という意外な性質を示し、普通の鉄より「やわらかい」。
安彦さんは「これが本当の鉄。鉄がどういうものなのかの標準となる『鉄の原器』になる」と自負する。
どうやって作るのか。
まず、鉄を溶かした塩酸を電気分解して、電極に集まった鉄を取り出す。この段階では、ビーカーに入った不純物で純度は99・99%程度にとどまる。
そこで、国際宇宙ステーションが飛ぶ地上数百キロメートルの宇宙空間の約1万倍の真空度を実現する装置を開発。装置に据えた「るつぼ」の中で電解鉄を溶解して、不純物を熱で飛ばした。
できた鉄に含まれる64の元素を分析して、純度99・9998%以上であることを確かめた。
「さびない」「とけない」という性質は、表面に通常の「さび」とは違う鉄と酸素の被膜によると予想されるが、膜の厚さが数原子程度と薄いため、まだ構造解析ができないという。金属は純度を高めるとやわらかくなるため、普通の鉄の5分の1程度のやわらかさになった。
安彦さんは、クロムを混ぜて高強度で耐腐食性をさらに高めた合金も開発。新エネルギー・産業技術総合開発機構は、この鉄を利用して高温高圧下にさらされる発電設備用の材料の開発を進めている。安彦さんは「素材の開発で、ロケットなどの構造自体を変えてしまう可能性も秘めている」と話す。
◇衝撃受け瞬時に硬く
不純物は鉄の性質を左右する。
新日本製鉄は、不純物を利用して性質が瞬時に変わる鉄「TRIP鋼」を開発した。高橋学・鋼材第一研究部長は「加工する時はやわらかいが、衝撃が加わると急に硬くなる」と説明する。衝突時の安全性を高めるため、自動車の骨組みに使われ始めた。
開発は、精製するときの高温状態で存在する「オーステナイト」が鍵になった。
オーステナイトは、高温で鉄原子のまわりを炭素原子が自由に動き回っている。これに独自の熱処理を加えて、8割を「フェライト」と呼ばれるやわらかい鉄、2割を「マルテンサイト」という硬い鉄が均等に混ざり合った構造をつくった。
この製法を改良し、シリコンなどを混ぜることで、本来マルテンサイトになる一部を常温で存在できるオーステナイトにすることに成功。これが、衝撃を受けると瞬時に硬いマルテンサイトに変身する。
高橋さんは「硬いものとやわらかいものをどう混ぜていくのかが生涯のテーマ。並べ方、かたち、まだまだいろんな組み合わせで、いろんな鉄を生み出せる」と話す。
◇吸収高めたイネ開発
鉄は、恒星内部の核融合ででき、恒星の大爆発で宇宙にまき散らされた。重い金属元素ほど少ない宇宙で奇妙なほど多く存在している。
東京大の宮本英昭・准教授(惑星科学)は「鉄原子の原子核を構成する中性子と陽子の結合は特殊な例外を除き、全元素の中で最も強く安定している」と説明する。地球も重さの3分の1を鉄が占める。
地球内部の溶けた鉄は磁場を形成、宇宙からの放射線を防ぎ、人類を守る役目も果たす。動物の血液が酸素を運ぶのに鉄は重要な役割を果たすが、植物にも必要な存在だ。
植物が光合成に必要な葉緑素を作るのに鉄が必要。東京大農学生命科学研究科の西澤直子特任教授らは、イネ科の植物が土壌中の鉄を水に溶かして取り込む性質に着目した。
植物が合成する鉄を溶かすムギネ酸の合成酵素の遺伝子を特定。植物が鉄を取り込みやすいように、ムギネ酸を作る能力が高いオオムギの遺伝子を組み込んだイネをつくった。
世界の約3分の1を占め、鉄が水に溶けにくいアルカリ土壌で生育実験をして、鉄の吸収能力が高まったことを示した。「植物の鉄の吸収を増やせば、食糧増産に役立つ」
東京・本郷の東京大総合研究博物館で開かれている「鉄―137億年の宇宙誌」展(10月末まで)を企画した宮本さんは「鉄の様々な新しい可能性が見えてきており、これまでとは違う新しい『鉄の時代』が訪れるのではないか」と話している。
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《筆者の田中康晴から》
鉄にはどんなイメージがありますか?
私は幼いころ、近くの鉄工所に転がっていた「エ」の形をした鋼材を思い出します。雨風にさらされて表面はボロボロになり、金や銀にように高級そうでもないし、アルミニウムのようにハイテクなイメージもありませんでした。この取材をするまで、鉄にはそんな印象を持っていました。
自宅にある自転車のホイールもさびてボロボロになっています。
こんな「さびる」「古くさい」と思っていた鉄の性質が実は、鉄という元素そのものの性質ではなく、そこに混ざる炭素や硫黄など、様々な不純物があってこその姿だったということに、非常にショックを受けました。
鉄はこれまでの歴史の積み重ねで、安く大量に生産できる仕組みがあります。記事で紹介した超高純度な鉄をつくるにはコストがかかり、すぐに世の中に広く使われるものではありません。
でも、記事に書いたほかにも、高温超伝導の研究で東京工業大が開発した鉄系の素材が世界中で注目を集めていますし、東京大はパラジウムなどの貴金属にかわる触媒に使うための研究も進めています。
純度を高めると変わる性質は、鉄だけに当てはまることではないと思います。他の金属でも、今まで知らなかったような魅力があらわれてくるかもしれません。このような研究は目立ちにくく、最終製品のように華々しくもないので見落としがちです。
資源に乏しい日本だからこそ、このような研究をしっかりと進めていく必要があるのではないかと考えさせられました。
ほんとうの「鉄」は素晴らしいものだったんだね!