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イスラム国の誕生はイラク戦争に原因ある

2016年01月18日 | 国際政治
初歩からの中東 スンニ派とシーア派
利権や権力争い結びつく
2016/1/18 3:30 日経朝刊

 中東に暮らす人の多くが信仰するのがイスラム教だ。この宗教には
大きく分けると2つの宗派がある。神の言葉が伝えられた預言者ムハンマド
の後継をめぐる争いから、7世紀以降に宗派が分かれたのがきっかけだ。
別々の信仰の形や考え方をとるようになった。



 たとえばスンニ派は偶像崇拝を原則禁じており、肖像画を掲げるのも
タブーだ。一方、シーア派の国では宗教指導者の巨大な肖像画を見かける。
 イスラム教徒全体はスンニ派が9割を占める。イスラム教が生まれた
現在のサウジアラビアやカタール、アラブ首長国連邦(UAE)などに
多い。シーア派はイランやイラクなどに広がる。
 基本的に多くの信者は他の宗派を敵視しているわけではない。
ではなぜ、宗派対立が問題になるのかというと、それが経済の利権や
政治の権力争いに結びつくからだ。
 1980年代のイランとイラクによる戦争では、スンニ派のサダム・フセイン
政権が、ペルシャ湾の石油利権を狙うとともに、シーア派イランの弱体化
を図った。
 現代でもさまざまな国で宗派対立が表面化している。今年に入ってから
スンニ派の王室が支配するサウジアラビアが、国内でシーア派の宗教指導者
を処刑したことから、シーア派のイランが激怒した。イランにあるサウジ
大使館が襲われる事件に発展し、サウジが国交の断絶を発表した。
 シリアではシーア派に近いアサド大統領と、スンニ派の反政府勢力の内戦
が続く。イエメンではスンニ派の大統領と、イランが支援するシーア派の
民兵組織が対立し、サウジなどが軍事介入した。

→ 上記は、スンニ派とシーア派の解説である。今、問題になっているイスラム国
について言及する必要がある。
イスラム国の問題についていえば、アメリカのイラク戦争が非常に大きな要因
となっている。
米国主導で行われたイラク戦争では19万人(実は50万人、60万人ともいわれる)
のイラク人が殺害された。
米国は、イラク戦争はまったく取材させなかったので事実が伝わっていないが、
米軍がイラク戦争で使ったデイジーカッターという兵器は、ベトナム戦争のときの
ナパーム弾よりはるかに広い範囲を焼き尽くす火炎爆弾で、イラク軍が「アメリカ
はイラク戦争で原爆を使った」という表現をしたくらい破壊力があった。
結局、米国は、イラク戦争でフセイン政権を倒したのであるが、サダム・フセインは
少数派のスンニ派であり、なぜイラクにおいてスンニ派政権ができたのかを考える
必要がある。
サダムフセインは米国と蜜月であり、米国は、武器を与えて支援してきたのであった。
同氏は、戦争という対外的な国家的危機を絶えずつくり出して国民をまとめあげる
手法をとってきた。
しかし、フセインが米国の言うことを聞かなくなる。決定的だったのは、2000年に
フセインが原油の輸出でドルではなくユーロをつ使うことを宣言したことであった。
ドルが原油取引で使用されるのは、基軸通貨としての地位を低くするものであり、
米国の逆鱗に触れたのであった。
結局は、サダムフセインを拘束して処刑することになるのであるが、アメリカの
占領政策は、軍隊を解体し、国営企業を民営化して職を奪うとともに、シーア派を
登用する一方、スンニ派を徹底的に排除したのであった。
アメリカは250億㌦を援助して今のイラク政府軍を創設したが、イスラム国に
対して非常に弱体で、イランなどの支えでもっている状況である。

「イスラム国」を構成しているのは主にスンニ派で、サダム政権時代の官僚とか
軍人たちが多い。「イスラム国」はフセイン政権の崩壊がなければ誕生しなかった
のである。