2022年12月17日(土)
#398 CREEDENCE CLEARWATER REVIVAL「PENDULUM」(Fantasy FCD 4517-2)
米国のバンド、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの6枚目のオリジナル・アルバム。70年リリース。ジョン・フォガティによるプロデュース。
クリーデンスは70年7月に「コスモズ・ファクトリー」というアルバムをリリース、大ヒット(全米1位)させているが、なんとたった5か月足らずという短いインターバルで本作を出している。
前作はシングル両面ヒットを3枚も含むという超強力盤だったが、こちらは先行シングルなし、カットされたのも年明けリリースの「雨をみたかい」のみであった。
いかにも「急ごしらえ感」が否めない一枚だが、バンドのその後の状況をかんがみるに、なぜこのようなスピード・リリースになったのかが、おぼろげに見えてくる。
というのは、アルバムを出した直後の71年1月、バンドのマメジメントも兼任していたジョンの兄、トム・フォガティがバンドを脱退して、ソロ・アーティストへの道を選んだのである。
トムの脱退は、ある意味「いたしかたない」と、どのファンも感じた行動だ。
もともとトムはあるバンドでフロントマンをつとめていたのだが、弟とその学校友達が結成したバンドに参加するようになり、それがクリーデンスの前身となった。
その中で、歌や音作りでめきめきと頭角を表した弟のジョンが、自然とフロントマンになっていった、ということである。
トムは兄として弟の偉大な才能を認めざるを得なかったが、バンド内では黙々とリズム・ギターを弾くだけの役割であり、ライブ・ステージでこそコーラスは担当できたものの、スタジオ・アルバムのレコーディングでは一切歌をうたえないという、まことに情けないポジションだった。
これでは、いくらクリーデンスがアメリカを代表する大人気バンドとなっても、彼のフラストレーションは溜まる一方だったはずだ。
いつごろからトムが他のメンバー、とりわけ弟に対してバンドを辞めたいという意思表示をしていたかは分からないが、少なくとも昨日今日のことではなかっただろう。
短めに見積もっても、「コスモズ・ファクトリー」の大成功を見て、「もう潮時かな」と判断、弟に辞意を告げたということは十分にあり得るだろう。
そんなトムをなだめて「せめて次のアルバムを完成させ、代わりのマネージャーを見つけるまでは籍をおいていて欲しい」と、ジョンが説得したのではないかと、筆者は推測(というかほぼ妄想だけどね)する。
そして、いつものペース以上の猛烈な速さで、「ペンデュラム」というアルバムを録音し、仕上げたのだろう。
このアルバムは、クリーデンスでは毎度のことではあるが、ほぼジョン・フォガティのワンマン・バンド状態である。
これまでのアルバムと異なり、カバー曲はまったくなし。作詞作曲、アレンジ、歌、コーラス、リズム隊以外のほぼすべての楽器をひとりでこなしている。
器用なジョンのこと、ベースやドラムスだって出来ただろうから、それらも全部彼がやって、他のメンバーはクレジットされただけ、なんて説もあるくらいだ。
ま、それはいかにも邪推だろうし、ジョンがファンをだますようなことはしないと思うが、このアルバムにかかった労力の8割、いや9割以上は、ジョンひとりによったと考えて、間違いあるまい。
他の3人のメンバーは、彼に雇われているスタジオ・ミュージシャンのようなものであり、このアルバムに見られる音楽的アイデアは、すべてジョンが考え出したものと言っていい。
その状況に「ノー」を突きつけて、バンドを去っていってしまった兄、トム・フォガティ。
その後ろ姿を見て、ジョンはどのような思いを抱いたのだろうか。
おそらく、これまでの「独裁体制」に対する反省をせざるを得なかったのではなかろうか。
それは、翌年発表されるアルバム「マルディ・グラ」における、アルバム・プロデュース体制の変更にあらわれることになる。
とはいえ、その話は場を改めて語ることにしよう。
いまは「ペンデュラム」というアルバムについて語らねば、ね。
本作で大きく目立ったサウンドの変化といえば、ギターと同じくらい、キーボード(特にオルガン)やサクソフォーンもフィーチャーするようになったということだ。
以前のアルバムでも、ジョンによるピアノやサックスの演奏を聴くことは出来たが、それらはあくまでも曲の隠し味、アクセント的な使い方に限られていた。
が、本作ではギター以上にそれらの楽器が目立っている曲が多い。
たとえば「カメレオン」「モリーナ」でのテナーサックスのソロ。
オールディーズ風味のロックンロールに、ジョンのいなたいプレイがいかにもマッチしている。
「水兵の嘆き」「ボーン・トゥ・ムーブ」でもサックスは聴かれるが、こちらは以前の曲同様、バッキング中心でわりと控えめだ。
同様に、オルガンも本盤では前面に出て来るようになる。
たとえば「ハイダウェイ」「イッツ・ジャスト・ア・ソウト」は、完全にオルガン・サウンドがメインのバラード。ギターは基本、リズム・キープのみである。
それから「ボーン・トゥ・ムーブ」でのオルガンはブッカー・T・ジョーンズを思わせる、けっこう本格的なプレイ。演奏部分だけ聴くと、とてもクリーデンスと思えない。
こういったギター以外の楽器の本格的な導入により、ジョンは今後クリーデンスが向かうべき道を示して見せたのだと思う。
シンプルなギター・バンドから脱却して、より幅の広いサウンドを指向する様子は、どこか当時のローリング・ストーンズとも通ずるものを感じる。
ラストの「手荒い覚醒」は実験作にして問題作。
テープの逆回転、サウンド・エフェクトなどを大胆に駆使したアヴァンギャルドなインストゥルメンタル・ナンバー。
ひょっとして、ジョン・フォガティは彼なりの「ストロベリー・フィールズ」を作ろうとしたのかな? あるいは「アトム・ハート・マザー」?
おおよそ、クリーデンスの従来のスタイルからは想像がつかない珍曲。
なぜ、このような試みをしたのか、皆さん、推理してみていただきたい。
本盤は当時日本でもヒットした「雨を見たかい」とそのB面「ヘイ・トゥナイト」を聴くために買う人が多かった印象があるが、他の曲を飛ばして聴いちゃあもったいないってもの。
「雨を見たかい」だけではない「ペンデュラム」の多彩な魅力を、再発見してみて欲しい。
<独断評価>★★★★
米国のバンド、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの6枚目のオリジナル・アルバム。70年リリース。ジョン・フォガティによるプロデュース。
クリーデンスは70年7月に「コスモズ・ファクトリー」というアルバムをリリース、大ヒット(全米1位)させているが、なんとたった5か月足らずという短いインターバルで本作を出している。
前作はシングル両面ヒットを3枚も含むという超強力盤だったが、こちらは先行シングルなし、カットされたのも年明けリリースの「雨をみたかい」のみであった。
いかにも「急ごしらえ感」が否めない一枚だが、バンドのその後の状況をかんがみるに、なぜこのようなスピード・リリースになったのかが、おぼろげに見えてくる。
というのは、アルバムを出した直後の71年1月、バンドのマメジメントも兼任していたジョンの兄、トム・フォガティがバンドを脱退して、ソロ・アーティストへの道を選んだのである。
トムの脱退は、ある意味「いたしかたない」と、どのファンも感じた行動だ。
もともとトムはあるバンドでフロントマンをつとめていたのだが、弟とその学校友達が結成したバンドに参加するようになり、それがクリーデンスの前身となった。
その中で、歌や音作りでめきめきと頭角を表した弟のジョンが、自然とフロントマンになっていった、ということである。
トムは兄として弟の偉大な才能を認めざるを得なかったが、バンド内では黙々とリズム・ギターを弾くだけの役割であり、ライブ・ステージでこそコーラスは担当できたものの、スタジオ・アルバムのレコーディングでは一切歌をうたえないという、まことに情けないポジションだった。
これでは、いくらクリーデンスがアメリカを代表する大人気バンドとなっても、彼のフラストレーションは溜まる一方だったはずだ。
いつごろからトムが他のメンバー、とりわけ弟に対してバンドを辞めたいという意思表示をしていたかは分からないが、少なくとも昨日今日のことではなかっただろう。
短めに見積もっても、「コスモズ・ファクトリー」の大成功を見て、「もう潮時かな」と判断、弟に辞意を告げたということは十分にあり得るだろう。
そんなトムをなだめて「せめて次のアルバムを完成させ、代わりのマネージャーを見つけるまでは籍をおいていて欲しい」と、ジョンが説得したのではないかと、筆者は推測(というかほぼ妄想だけどね)する。
そして、いつものペース以上の猛烈な速さで、「ペンデュラム」というアルバムを録音し、仕上げたのだろう。
このアルバムは、クリーデンスでは毎度のことではあるが、ほぼジョン・フォガティのワンマン・バンド状態である。
これまでのアルバムと異なり、カバー曲はまったくなし。作詞作曲、アレンジ、歌、コーラス、リズム隊以外のほぼすべての楽器をひとりでこなしている。
器用なジョンのこと、ベースやドラムスだって出来ただろうから、それらも全部彼がやって、他のメンバーはクレジットされただけ、なんて説もあるくらいだ。
ま、それはいかにも邪推だろうし、ジョンがファンをだますようなことはしないと思うが、このアルバムにかかった労力の8割、いや9割以上は、ジョンひとりによったと考えて、間違いあるまい。
他の3人のメンバーは、彼に雇われているスタジオ・ミュージシャンのようなものであり、このアルバムに見られる音楽的アイデアは、すべてジョンが考え出したものと言っていい。
その状況に「ノー」を突きつけて、バンドを去っていってしまった兄、トム・フォガティ。
その後ろ姿を見て、ジョンはどのような思いを抱いたのだろうか。
おそらく、これまでの「独裁体制」に対する反省をせざるを得なかったのではなかろうか。
それは、翌年発表されるアルバム「マルディ・グラ」における、アルバム・プロデュース体制の変更にあらわれることになる。
とはいえ、その話は場を改めて語ることにしよう。
いまは「ペンデュラム」というアルバムについて語らねば、ね。
本作で大きく目立ったサウンドの変化といえば、ギターと同じくらい、キーボード(特にオルガン)やサクソフォーンもフィーチャーするようになったということだ。
以前のアルバムでも、ジョンによるピアノやサックスの演奏を聴くことは出来たが、それらはあくまでも曲の隠し味、アクセント的な使い方に限られていた。
が、本作ではギター以上にそれらの楽器が目立っている曲が多い。
たとえば「カメレオン」「モリーナ」でのテナーサックスのソロ。
オールディーズ風味のロックンロールに、ジョンのいなたいプレイがいかにもマッチしている。
「水兵の嘆き」「ボーン・トゥ・ムーブ」でもサックスは聴かれるが、こちらは以前の曲同様、バッキング中心でわりと控えめだ。
同様に、オルガンも本盤では前面に出て来るようになる。
たとえば「ハイダウェイ」「イッツ・ジャスト・ア・ソウト」は、完全にオルガン・サウンドがメインのバラード。ギターは基本、リズム・キープのみである。
それから「ボーン・トゥ・ムーブ」でのオルガンはブッカー・T・ジョーンズを思わせる、けっこう本格的なプレイ。演奏部分だけ聴くと、とてもクリーデンスと思えない。
こういったギター以外の楽器の本格的な導入により、ジョンは今後クリーデンスが向かうべき道を示して見せたのだと思う。
シンプルなギター・バンドから脱却して、より幅の広いサウンドを指向する様子は、どこか当時のローリング・ストーンズとも通ずるものを感じる。
ラストの「手荒い覚醒」は実験作にして問題作。
テープの逆回転、サウンド・エフェクトなどを大胆に駆使したアヴァンギャルドなインストゥルメンタル・ナンバー。
ひょっとして、ジョン・フォガティは彼なりの「ストロベリー・フィールズ」を作ろうとしたのかな? あるいは「アトム・ハート・マザー」?
おおよそ、クリーデンスの従来のスタイルからは想像がつかない珍曲。
なぜ、このような試みをしたのか、皆さん、推理してみていただきたい。
本盤は当時日本でもヒットした「雨を見たかい」とそのB面「ヘイ・トゥナイト」を聴くために買う人が多かった印象があるが、他の曲を飛ばして聴いちゃあもったいないってもの。
「雨を見たかい」だけではない「ペンデュラム」の多彩な魅力を、再発見してみて欲しい。
<独断評価>★★★★