2013年6月30日(日)
#274 アウター・リミッツ「Just One More Chance」(The Mod Scene/Deram)
#274 アウター・リミッツ「Just One More Chance」(The Mod Scene/Deram)
英国のモッズ・グループ、アウター・リミッツ、67年のデビュー・シングル。ジェフ・クリスティの作品。
アウター・リミッツというバンド名は、皆さんほとんどご存じないかと思う。では、70年に全世界で300万枚以上の大ヒットを記録したシングル「イエロー・リバー」はどうだろう。50代半ば以上のかたなら、ほぼ全員のかたが覚えておられるのはないだろうか。
このふたつに何か相関関係があるのかって? 実は大ありで、同一人物がボーカルと作曲を担当しているのである。それが、ジェフ・クリスティだ。
彼は46年、ヨークシャー州リーズ(そう、あのザ・フーのライブ盤でおなじみの街である)生まれ。アウター・リミッツのボーカル/ギターとして67年にレコード・デビューし、翌年にはセカンド・シングル「Great Train Robbery」もリリースしている。69年には別バンド、アシッド・ギャラリーのボーカルとして「Dance Around The Maypole」をリリース。いずれも大きなヒットにはなっていない。
そんな鳴かず飛ばず状態だったジェフ・クリスティを、一躍時の人に変えたのが、70年4月に「クリスティ」というバンド名でリリースしたシングル「イエロー・リバー」だった。
6月には全英でナンバーワンになっただけでなく、米ビルボードでも23位、日本でもTBSトップ40などで1位をとる世界的なヒットとなった。
そのサウンドは、英国バンドらしからぬ、アメリカのカントリー・ロックそのもの。CCRとの類似性も話題になり、ワタシなども、ずっと生粋のアメリカン・バンドだと勘違いしていたものだ(苦笑)。だが、メンバーは全員、英国出身だった。
実はこの曲、もともと英国のベテラン・バンド「トレモローズ」のシングル用として、クリスティが作曲したものだった。しかし、この曲の前に「Call Me Number One」というオリジナル曲がヒットしたことが影響して、次回作も「By The Way」というオリジナル曲で行こうということになり、結局、プロデューサー、マイク・スミスはボーカル・トラックを作曲者クリスティ自身のものに差し替えて、「イエロー・リバー」を世に出したのである。
そういう裏事情を知ると、この曲はもしかしたらトレモローズでヒットした可能性もあったろうし、いやヒットすらしなかったかもしれない。どちらにしても、作曲者自身が表舞台に出てくることはなかったろうから、ヒットというものは偶然の要素にいかに左右されるかがよくわかるね。
さて、前置きが長くなってすまん。ようやく、本題のアウター・リミッツのデビュー曲の話である。
いかにも67年頃っぽい、ブルーアイド・ソウル系の曲調なのだが、クリスティの歌を聴いていて、筆者がふと連想したのが、桑田佳祐の声。
声を張り上げたときよりはむしろ、ややテンションを下げた「嘆き節」的なときの歌声が、みょうに桑田のそれに似ているのである。いやこの場合、桑田がクリスティに似ているというべきか。
リスナーの心を引きつける歌手の声には、どこか共通の「ツボ」のようなものがあると筆者は常日頃考えているのだが、彼らにはそういう、「嘆き節」でリスナーのハートをグッと掴む、みたいな共通点があるのではなかろうか。
ジェフ・クリスティの歌声は、ほとんどの人々は「イエロー・リバー」でしか知らないわけだが、この「Just One More Chance」は、違う味わいの、彼の魅力があらわれた佳曲だと思う。筆者的には、むしろ、のっぺりとした感じの「イエロー・リバー」での歌声よりも深みがあって、彼の本来の良さがよく出ているのではないかと思う。
3分少々と短いが、繰り返し聴くとその味わいにどんどんハマっいく、スルメのような曲だ。
メガヒット「イエロー・リバー」の3年前に生まれていた、知られざる名曲。クリスティの嘆き節、泣き節を、じっくり味わってくれ。
★今年最初の更新です。
引き続き、ご愛読のほどよろしくお願いいたします。