2013年8月11日(日)
#280 キング・カーティス「Memphis Soul Stew」(Memphis Soul Stew/Atlantic)
#280 キング・カーティス「Memphis Soul Stew」(Memphis Soul Stew/Atlantic)
メンフィス・ソウルの立役者、サックス奏者キング・カーティスの代表的ヒット・ナンバー。カーティス自身の作品。
キング・カーティスことカーティス・アウズリーは34年、テキサス州フォートワース生まれ。ルイ・ジョーダンに影響を受けて、10才からサックスを吹き始める。その才能の早熟ぶりは、10代後半からニューヨークでジャズ系のスタジオミュージシャンとして活動していたことからも、十二分にうかがえる。
R&B畑にも進出、コースターズのバックなどを経て、59年ソロ・デビュー。62年の「Soul Twist」でR&Bチャート1位となり、大ブレイク。ナンバーワン・サックスプレイヤーの王座を獲得する。
65年にはアトランティックと専属契約、「Memphis Soul Stew」をはじめとするヒット・ナンバーを数多く生み出す一方、同レーベルのアーティスト、アレサ・フランクリン、アルバート・キング、サム・ムーアらのプロデュース、楽曲提供を精力的におこない、名プロデューサーとしての評価も得る。
このように若くして才能を発揮、ソウル・ミュージックの頂点に立ちながらも、71年、37才の若さでこの世を去っている。ジョン・レノンのアルバム「イマジン」制作に参加、そのリハからの帰途、自宅前で麻薬中毒者と口論になり、ナイフで刺されてそのまま帰らぬ人となったのである。
彼のサックス・プレイは非常に力強く、その高音部を強調した泣きのソロは、デイヴィッド・サンボーンやトム・スコットといった後進のプレイヤーたちに強い影響を与えている。また、作曲家、アレンジャー、プロデューサーとしてのセンスも高く、プロコルハルムの「青い影」に代表される白人ロックのナンバーをレパートリーにして見事に消化したり、早くからファンクに注目してそのエッセンスを取り入れるなど、時代の先取りに長けていた。早世がまことに惜しまれる才能だった。
そんな彼は一方、すぐれたミュージシャンの抜擢にたけた「伯楽」、一級の目利きでもあった。そのバック・バンド「キングピンズ」に在籍したミュージシャンが、これまたスゴい人ばかりなのだ。
ギターのコーネル・デュプリー、ベースのジェリー・ジェモット、同じくチャック・レイニー、ドラムスのバーナード・パーディ、ピアノのリチャード・ティーなどなど、錚々たるメンツばかりだ。英国に進出する前の、ジミ・ヘンドリクスが在籍していたこともある。
ソウル・バンドとしては、ブッカー・T&MG’Sと双璧をなす存在であったといって、間違いない。
カーティスの死後、残されたキングピンズのメンバーたちは、それぞれに華々しい活躍をしているが、それは皆さんご存じのことなので、あえて詳しくはふれない。とにかく、カーティスの目利きがいかに卓越していたかの証拠であろう。
さて、ようやくきょうの本題だ。キング・カーティスとキングピンズの、TVショーでのライブを観ていただこう。キーボードはリチャード・ティーではないが、デュプリー、ジェモット、パーディを従えた堂々の演奏を聴くことが出来る。とにかく、各メンバーのプレイがごきげんの一言だ。これでノレない人は、ソウルとは相性が悪いとしか、いいようがない。
彼らが演っていたのは、ジャズ、ブルース、R&B、ソウル、ロック、そして後のファンクなども含めた、あらゆるグルーヴ・ミュージックをひとつに溶かし込んだ音楽。まさに「Soul Stew」だった。
ありし日のキング・カーティス、また現在も活躍中のスゴ腕プレイヤー達の往時のプレイは、何度味わってもあきないね。貴方も、ぜひ堪能してみて。