NEST OF BLUESMANIA

ミュージシャンMACが書く音楽ブログ「NEST OF BLUESMANIA」です。

音曲日誌「一日一曲」#286 ボビー・マクファーリン「Walkin'」(Spontaneous Inventions/Blue Note)

2024-01-16 05:57:00 | Weblog
2013年9月22日(日)

#286 ボビー・マクファーリン「Walkin'」(Spontaneous Inventions/Blue Note)

黒人ジャズシンガー、ボビー・マクファーリン、86年リリースのサード・アルバムより。リチャード・カーペンターの作品。





ボビー・マクファーリンは50年ニューヨーク生まれの西海岸育ち。両親はクラシック歌手で、彼も幼少時より正規の音楽教育を受け、ピアノをマスターしている。

20代になりジャズ・ボーカルを志すようになり、ニューオリンズへ修行に。西海岸に戻って、コメディ俳優にして歌手のビル・コスビーの知己を得て、プレイボーイ・ジャズ・フェスティバル(80年)に参加。

これにより一躍注目を集め、東海岸でレコードデビューを果たす。

彼のボーカルスタイルは「ユニーク」と呼ばれることが多いのだが、まずはきょうの一曲を聴いていただければ、その理由がただちに判るのではなかろうか。

「Walkin'」といえば、ジャズファンなら知らぬ者もいない名曲。マイルス・デイヴィス、54年発表のアルバムのタイトル・チューンである。

86年2月28日、ロスの「アクエリアス・シアター」でのライブ録音から。おなじみのテーマをソプラノサックスで吹き始めるのは、ウェザー・リポートの看板男、ウェイン・ショーター。続いてこれにスキャットで絡むのがマクファーリンである。

これがもう、圧巻のひとこと。サックスと声、ふたつの「楽器」が、ありとありとあらゆる音階、持てるテクニックのすべてを駆使して、究極の音空間を構築しているのである。とにかく聴いてみれば、納得が行くはず。

CDアルバムと並行して、ライブステージを収録しているDVDも出ているのだが、そちらを観ると、ほぼマクファーリンの独演会。ゲストミュージシャンはショーターひとりで、あとはマクファーリンのボーカル「のみ」。

主旋律にベースラインを巧みに織り込みつつ、体や椅子をリズミカルに叩きながら歌うマクファーリン。たったひとりで生み出す、その粘っこいグルーヴは「スゴい!」としかいいようがない。

かといって、テクニック一辺倒なわけでもない。客席と和やかなコミュニケーションをとりつつ、ユーモアもふんだんに交えたそのステージングは、いかにも人間臭いのだ。

マクファーリンはこの2年後、映画「カクテル」の挿入歌としても有名な「Don't Worry, Be Happy」を大ヒットさせる。なんと全米ナンバーワンである。

歌、コーラス、口笛、ボイスパーカッション等、すべてを自分の声の多重録音で作り上げたその驚異的なサウンドが、聴き手を感嘆させたということである。でも、ただそれだけじゃ、絶対、ナンバーワンにはなりえない。

マクファーリンの歌にあるユーモア、人間性、人生観、そういったものが、ストレスの溜まった現代人にはオアシスのように感じられたのだ。

音楽は本来、楽しいもの。その原点に常に立ち返って、まるで子供のように自由に歌うマクファーリンがアピールしたのは、むべなるかな。

先端的でときには難解な音楽もやる一方、親しみやすいポップ・チューンも生み出す。この二面性がマクファーリンの魅力といえそうだ。

さて、余談だが、この「Walkin'」の作者、リチャード・カーペンターって誰?って声が上がりそうなんで、ちょっと調べてみた。もちろん、50年代という時代からいって、あのカーペンターズの兄、リチャードってことはありえない(笑)。

実はこの曲、マイルスがサックス奏者ジーン・アモンズの曲「Gravy」からほぼそのまま引用して作ったナンバーだったのである。だったら、アモンズのクレジットが入りそうなもんだが、50年代当時、アモンズのマネージャーをやっていた男が、リチャード・カーペンター。

もちろん曲の書けるミュージシャンではなく、むしろ歓楽街の顔役的な存在で、アモンズの楽曲の権利も、ちゃっかり横取りしていたのだ。ボビー・ブランドとドン・ロビーの関係みたいなもので、いつの時代も自分は苦労せずに人の上前をハネる「音楽ゴロ」みたいなのがいるのであるね。

というわけで、実質的にはアモンズの作品を、ショーターとマクファーリンという鬼才ふたりが奏でた壮絶な一編。ぜひ聴いてみてほしい。

音曲日誌「一日一曲」#285 キングス・オブ・レオン「Use Somebody」(Only By The Night/Sony Music)

2024-01-15 05:12:00 | Weblog
2013年9月15日(日)

#285 キングス・オブ・レオン「Use Somebody」(Only By The Night/Sony Music)





テネシー州出身のロック・バンド、キングス・オブ・レオン、2008年発表の4thアルバムからのセカンド・シングル。バンドメンバー、カレブ・フォロウィルの作品。

キングス・オブ・レオンは2000年、カレブとネイサン、ジェアドのフォロウィル兄弟と従兄のマシューで結成された、準ファミリー・グループ。

そのサウンドは、今日的なオルタナティヴ・ロックに一応属するといえるが、彼らの出身地は白人・黒人両方の音楽が交錯するテネシー。カントリー、ブルース、R&Bやサザン・ロックなど、過去のさまざまな音楽に影響を受けた、多面性のあるものとなっている。

特にソングライティング、リードボーカルを担当するカレブの歌声に、それを感じとることができる。オルタナ系としては非常にソウルフルな歌なのである。どこか、スティーヴ・ウィンウッドを思わせる雰囲気もある。

きょう聴いていただく「Use Somebody」は、それまでどちらかといえば外国であるイギリスでの人気が先行していたキングス・オブ・レオンが、本国アメリカでも全国区的存在になった一曲。ひとつ前のシングル「Sex On Fire」がビルボードHot100で56位に入っていたが、この曲ではなんと、5位にまで食い込んだのだ。アルバムも、英米ともに100万枚以上の出荷となり、グラミー賞でも3部門を獲得するなど、一躍時のバンドとなったのである。

日本にはすでに2003年、2007年とフェスティバル関係で来日して、少数ながらもファンを獲得していたものの、やはり本格的な人気は、この「Only By The Night」というアルバムがリリースされてから出たと言えよう。

実の兄弟と従兄というだけあって、そのチームワークは実に強固だ。楽器演奏、コーラス、ともに一枚岩の堅固さが感じられる。

バンドの顔、カレブと並んでキングス・オブ・レオンの個性を代表するのが、従兄のマシュー・フォロウィルのギター・プレイだ。セミアコースティック・ギターによる、官能的で粘っこいソロも、聴きものだ。

この秋には3年ぶりの新アルバムをリリースするそうだ。一過性のブームに終わることなく、20年、30年と、息の長い活動を期待したいね。

懐かしさと新しさが、絶妙にブレンドされた、男くさいサウンド。一徹なテネシアン魂を、そこに感じとってほしい。

音曲日誌「一日一曲」#284 ボビー・ブルー・ブランド「I Smell Trouble」(The Best of Bobby Bland/MCA)

2024-01-14 05:14:00 | Weblog
2013年9月8日(日)

#284 ボビー・ブルー・ブランド「I Smell Trouble」(The Best of Bobby Bland/MCA)





黒人シンガー、ボビー・ブルー・ブランド、57年のシングルより。ドン・ロビーの作品。

この6月に83才で亡くなったブランドだが、日本でのジミな人気からは想像もつかないくらい、本国アメリカでは国民的なシンガーといっていいだろう。そう、B・B・キングと肩を並べるぐらいの。

ブランドは30年、テネシー州ローズマーク生まれ。幼少時よりゴスペル音楽に親しみ、10代で州都メンフィスへ出て、ゴスペル・グループに歌で参加。かの地の人気シンガー、ロスコー・ゴードンの知己を得て、本格的にブルース/R&Bシンガーへの道を歩み出す。

51年、モダンにて初レコーディング。チェスを経て、デュークへ移籍。ここで数々のヒットを飛ばして、人気を確立する。

57年の「Further Up The Road」、そう、クラプトンのカバーでもよく知られるあの曲が大ヒット。R&Bチャートでトップとなっただけでなく、総合チャートでも43位となり、彼の評判は一躍全国区的なものとなる。

きょうの一曲「I Smell Trouble」は、その「Further Up The Road」の直前に出したシングル「Don't Want No Woman」のB面にあたる。

A面よりもむしろ人気が出て、多くのブルースマン、たとえばバディ・ガイ、ジョニー・ウィンターなどにカバーされたこの曲、ブルース・シンガーとしてのブランドの魅力を凝縮したようなナンバーに仕上がっている。

泣きのギター・ソロから始まるスロー・ブルース。なめらかなバリトン・ボイスに時折りハイ・テンションなファルセットを交えて、哀愁に満ちた歌声を聴かせてくれる。

ブルースという音楽は、そのマイナー性、閉鎖的なレイス・ミュージックという性格もあって、歌に関してはわりと素人っぽさ、拙さがまかり通っているところがあるけれど、もちろん、そんな中でもすぐれたシンガーはいる。ブランドはその稀少なひとりだろう。

そう、ブルース・シンガー数々あれど、他のポピュラー音楽の名歌手たちと聴き比べてもまったく聴き劣りのしないシンガーは、BBと、そしてこのブランドくらいだと思っている。

それはやはり、長年、チトリン・サーキットとよばれるネットワークでの巡業を重ね、ライブを極め尽くしたシンガーならではのものだと思う。録音してレコード盤を世に出せれば、即プロ歌手、というものではないのだ。

たった2分半の曲の中に込められた、深い味わい。その歌詞内容も、また実に深い。20代後半にして既に人生の酸いも甘いも噛み分けたようなその歌は、夜ごとのライブの総決算なのだと思う。

人気シンガーたちにも尊敬される、シンガー・オブ・シンガー。そんなボビー・ブランドの、若くして円熟した世界をとくと味わってみてくれ。


音曲日誌「一日一曲」#283 クロード・ウィリアムスン「Stella By Starlight」('Round Midnight/Bethlehem)

2024-01-13 06:23:00 | Weblog
2013年9月1日(日)

#283 クロード・ウィリアムスン「Stella By Starlight」('Round Midnight/Bethlehem)





白人ジャズ・ピアニスト、クロード・ウィリアムスン、57年リリースのアルバムより。ヴィクター・ヤング=ネッド・ワシントンの作品。

クロード・ウィリアムスンは1926年、ヴァーモント州ブラットルボローの生まれ。テディ・ウィルスン、アル・ヘイグ、バド・パウエルなどの影響を受けて、ジャズ・ピアノを弾き始める。

20代の初め、西海岸に移住、レッド・ノーヴォ、ジューン・クリスティ、マックス・ローチ、アート・ペッパー、チェット・ベイカー、バド・シャンクらと共演して名を上げていく。

54年にはキャピトルにて初リーダー・アルバムを録音。56年にはベツレへムへ移籍、ここでは2枚のアルバムを残しており、きょうの一曲はその2枚目からだ。

聴くとすぐにわかるかと思うが、そのプレイは明らかにバド・パウエルの影響が濃厚だ。というか、ほとんどデッド・コピーに近い。

50年代当時、バド・パウエルに影響を受けなかったジャズ・ピアニストなどまったくいないと言っていいぐらい、彼の影響力はすさまじかった(かのビル・エヴァンスでさえ、パウエル・ライクな演奏をしたこともあったくらいだ)。

でも、それにしてもである。ウィリアムスンほど、パウエルへの崇拝にも近い思いを、あからさまに表現したピアニストもいるまい。「それって、プロのアーティストとしてどうなの?」というツッコミを入れたくもなる。

まあ、そのくらい、ウィリアムスンのパウエルへの思い入れはハンパでなく、随所にパウエル的なフレージングが散見されるのだ。

きょうの一曲は、多くのジャズマンによってカバーされてきた、スタンダード中のスタンダード。それを、ベースのレッド・ミッチェル、ドラムのメル・ルイスという手練のセッション・マンをバックに、ウィリアムスンは軽快にプレイしている。

前半は、ゆるやかなテンポでのソロ。そして、テンポを上げてトリオでのスピーディなプレイ。実によくスウィングしており、まったく澱みがない。

強い影響を受けているとはいえ、パウエルの鬼気迫るような雰囲気、スピード感とは裏腹の重いグルーヴはそこにはなく、ジャズ本来の軽みが、良いかたちで表現されているのだ。

結局、パウエルとの一番大きな差異は、そういうタッチの違い、ニュアンスの違いにあるといえよう。

パウエルのあの「紙一重」の重~い音楽についていけなかったリスナーも、ウィリアムスンの軽快なサウンドなら受け入れられるのではないかな。

たしかに、オリジナリティという意味では、到底パウエルを乗り越えようがない。しかし、ジャズとは基本的にポピュラー音楽であり、軽音楽だ。ウィリアムスンのような、アーティストというよりは、アーティザンなミュージシャンにも、十分存在価値はある。

ビル・エヴァンスのようなメジャーな人気はないにせよ、手堅い実力を持ったピアニスト、クロード・ウィリアムスン。再評価に値いするひとだと思うよ。


音曲日誌「一日一曲」#282 ベニー・スペルマン「Fortune Teller」(Fortune Teller: A Singles Collection 1960-67/Spin)

2024-01-12 05:43:00 | Weblog
2013年8月25日(日)

#282 ベニー・スペルマン「Fortune Teller」(Fortune Teller: A Singles Collection 1960-67/Spin)





黒人R&Bシンガー、ベニー・スペルマン、62年のヒット曲。ナオミ・ネヴィルの作品。

皆さんの大半は「ベニー・スペルマン? 誰ですかそれ?」とお思いでしょうが、とにかく曲を聴いてみてほしい。おそらく、一度は耳にしたことがあるはず。でしょ?

そう、ローリング・ストーンズのファンなら初のライブ・アルバム「Got Live If You Want It!」(66年)で、ザ・フーのファンなら「Live At Leeds」(70年)で。

筆者は後者のクチなのですが、この歌がザ・フーのオリジナルでないことはわかっていても、ベニー・スペルマンのカバーであることなど、最近まで全く知りませんでした、ハイ(汗)。

大体、作曲者のナオミ・ネヴィルって何者やねん!って感じですが、実はこれ、先週の当コーナーにも登場したアラン・トゥーサンの変名なのであります。なんでも、彼の母親の、旧姓名を使ったとか。ただし、かのネヴィル・ブラザーズとは全く血縁関係はないそうで。

ベニー・スペルマンは31年、フロリダ州ペンサコーラ生まれ。59年まではフロリダに住んでいたが、巡業でやってきたヒューイ・ピアノ・スミスのトラブルを助けたのがきっかけで、スミスにくっついてニューオーリンズに移住、そのバックバンド、クラウンズに加入してしまったという、えらくお気楽な風来坊ミュージシャンなのである。

NOのレコード会社、ミニット・レーベルと契約したものの、やって来るのはバックボーカルの仕事程度。アーニー・K・ドゥーの「マザー・イン・ロウ」のバック・ボーカルは彼だったりする。

だが、この曲がナンバーワン・ヒットになったことがプラスに働く。K・ドゥーのプロデューサーだったアラン・トゥーサンがそのバリトン・ボイスに惚れ込み、スペルマンをソロ・シンガーとして開花させようと考えたのだ。

で、生まれたのが「Lipstick Traces (On A Cigarette)」とこの「Fortune Teller」の2曲だ。前者はバラード、後者はビート・ナンバーで、それぞれA面、B面という扱いだったが、ともにヒットしたのである。

カバーについては、圧倒的に「Fortune Teller」のほうが多く、ストーンズ。フー以外にもホリーズ、マージービーツ、ダウンライナーズ・セクトなどがカバー、英国のビート・バンドにとってスタンダードともいえる重要なレパートリーとなっている。

曲の構造は、きわめてシンプルだ。ひたすら同じメロディを執拗に繰り返していくスタイルなのだが、それゆえの力強さはこの曲の大きな魅力となっている。先週の「Get Out Of My Life, Woman」にも共通した、トゥーサン・ナンバーの特徴といえるだろう。

スペルマンのシブい声の魅力、トゥーサンの曲の魅力、そしてバックのタイトなリズムなどがあいまって、一級のビート・ナンバーに仕上がっている。

そしてこの曲のもうひとつの魅力は、その歌詞だろう。占い女のところで恋愛運を占ってもらったら「貴方は恋に落ちるだろう」といわれたものの、好きになれる女がいっこうに見つからない。文句を言おうともう一度占い女のところに行ってみたら、ふとひらめくものがあって、その女のベールをはぎ取ってみる。その素顔を見たとたんに、彼女に恋をしてしまうという結末。まあ、オチは見え見えなのだが、いいよね、こういう展開って。

恋という名のマジックをテーマに、これだけシンプル、キャッチー、かつ力強い曲にまとめあげたのは、アラン・トゥーサンならではの技だろう。

事実、この曲を振り出しにトゥーサンは、新しい時代のR&Bを精力的に生み出し、その名を轟かせていくのだから、重要な一曲といえよう。

文字通り一発屋ではあったが、その声の魅力で今後もツウなリスナーたちを魅了するであろう、ベニー・スペルマン。名曲「Fortune Teller」は不滅です。

音曲日誌「一日一曲」#281 フレディ・キング「Get Out Of My Life, Woman」(Freddie King Is A Blues Master/Atlantic)

2024-01-11 06:34:00 | Weblog
2013年8月18日(日)

#281 フレディ・キング「Get Out Of My Life, Woman」(Freddie King Is A Blues Master/Atlantic)





フレディ・キング、69年のコティリオンからのアルバムより。アラン・トゥーサンの作品。

先週取り上げたキング・カーティスつながりで、取り上げてみた。アルバムそのものも、すでに2006年12月3日の「一日一枚」で取り上げているのだが、いい曲は何度でも聴きたくなるものなのだ。ご勘弁を。

「Freddie King Is A Blues Master」は、ボーカル・アルバムとしても、またインスト・アルバムとしても本当に名盤だと思う。それはもちろん、主役のフレディ・キングの実力によるところではあるが、それを支えるプロデューサー、キング・カーティス、そして彼が率いるバンド、キングピンズの類い稀なる演奏力によるところも大きい。

まずは、きょうの一曲「Get Out Of My Life, Woman」を聴いていただこう。

この曲は、われわれ日本のリスナーにとっては、バターフィールド・ブルース・バンドのバージョンが一番おなじみであるが、もともとはニューオーリンズのR&Bシンガー、リー・ドーシーがオリジナルなのだ。

ドーシーは24年、N.O.に生まれ、自作の「Ya Ya」が61年に大ヒット、一躍人気シンガーとなる。65年に「Ride Your Pony」、66年にこの「Get Out~」をヒットさせ、再び注目を浴びることとなる。その仕掛人が、かのアラン・トゥーサンだった。

シンプルなリフレインの繰り返しが基本だが、それが強力なグルーヴを生み出しているこの曲、またたく間に黒人・白人を問わず多くのミュージシャンを引きつけ、さまざまなカバーバージョンが生まれた。

バターフィールド・ブルース・バンド、フレディ・キング以外では、トゥーサン本人、アルバート・キング、ソロモン・バーク、ジョー・ウィリアムズ、ビル・コスビー、アイアン・バタフライ、ジェリー・ガルシア、マウンテン、などなど。わが国では、原田芳雄、内海利勝らも演っている。

みんな、ニューオーリンズならではの粘っこいファンクネスに、魅せられたのだろうね。

フレディ・キング版も、この曲の持ち味を最大限に引き出した、ベスト・パフォーマンスに仕上がっている。

イントロのギター・ソロから既に、フレディ節全開。これでもかというぐらい、スクイーズしまくっている。そして、あのホットな歌声が耳を直撃する。

フェンダー・ローズ(NO出身のジェイムズ・ブッカー)、ホーン・セクション(キング・カーティス、デイヴ・ニューマン、ジョー・ニューマンら)が、それを見事にバックアップしているが、とりわけゴキゲンなのは、ベースのジェリー・ジェモット、ドラムのノーマン・プライドが生み出す、極上のグルーヴだろう。

その重心の低い、ファンキーなビートは、フレディ・キングの求めていたサウンドとぴったり重なり、後のシェルター時代のファンク・ロックへと連なっていく。そんな印象が、この曲にはある。

この時期のフレディ・キングの音楽は、たとえていうなら、ブルースにしてブルースを越えた、より高次元の音楽へと生まれ変わろうとしているかのようだ。

白人ロッカーらにも絶大なる影響を与えたフレディ・キング。この一曲を聴いただけでも、その理由は十分わかるんじゃないかな。ぜひ聴いてくれ。

音曲日誌「一日一曲」#280 キング・カーティス「Memphis Soul Stew」(Memphis Soul Stew/Atlantic)

2024-01-10 06:49:00 | Weblog
2013年8月11日(日)

#280 キング・カーティス「Memphis Soul Stew」(Memphis Soul Stew/Atlantic)





メンフィス・ソウルの立役者、サックス奏者キング・カーティスの代表的ヒット・ナンバー。カーティス自身の作品。

キング・カーティスことカーティス・アウズリーは34年、テキサス州フォートワース生まれ。ルイ・ジョーダンに影響を受けて、10才からサックスを吹き始める。その才能の早熟ぶりは、10代後半からニューヨークでジャズ系のスタジオミュージシャンとして活動していたことからも、十二分にうかがえる。

R&B畑にも進出、コースターズのバックなどを経て、59年ソロ・デビュー。62年の「Soul Twist」でR&Bチャート1位となり、大ブレイク。ナンバーワン・サックスプレイヤーの王座を獲得する。

65年にはアトランティックと専属契約、「Memphis Soul Stew」をはじめとするヒット・ナンバーを数多く生み出す一方、同レーベルのアーティスト、アレサ・フランクリン、アルバート・キング、サム・ムーアらのプロデュース、楽曲提供を精力的におこない、名プロデューサーとしての評価も得る。

このように若くして才能を発揮、ソウル・ミュージックの頂点に立ちながらも、71年、37才の若さでこの世を去っている。ジョン・レノンのアルバム「イマジン」制作に参加、そのリハからの帰途、自宅前で麻薬中毒者と口論になり、ナイフで刺されてそのまま帰らぬ人となったのである。

彼のサックス・プレイは非常に力強く、その高音部を強調した泣きのソロは、デイヴィッド・サンボーンやトム・スコットといった後進のプレイヤーたちに強い影響を与えている。また、作曲家、アレンジャー、プロデューサーとしてのセンスも高く、プロコルハルムの「青い影」に代表される白人ロックのナンバーをレパートリーにして見事に消化したり、早くからファンクに注目してそのエッセンスを取り入れるなど、時代の先取りに長けていた。早世がまことに惜しまれる才能だった。

そんな彼は一方、すぐれたミュージシャンの抜擢にたけた「伯楽」、一級の目利きでもあった。そのバック・バンド「キングピンズ」に在籍したミュージシャンが、これまたスゴい人ばかりなのだ。

ギターのコーネル・デュプリー、ベースのジェリー・ジェモット、同じくチャック・レイニー、ドラムスのバーナード・パーディ、ピアノのリチャード・ティーなどなど、錚々たるメンツばかりだ。英国に進出する前の、ジミ・ヘンドリクスが在籍していたこともある。

ソウル・バンドとしては、ブッカー・T&MG’Sと双璧をなす存在であったといって、間違いない。

カーティスの死後、残されたキングピンズのメンバーたちは、それぞれに華々しい活躍をしているが、それは皆さんご存じのことなので、あえて詳しくはふれない。とにかく、カーティスの目利きがいかに卓越していたかの証拠であろう。

さて、ようやくきょうの本題だ。キング・カーティスとキングピンズの、TVショーでのライブを観ていただこう。キーボードはリチャード・ティーではないが、デュプリー、ジェモット、パーディを従えた堂々の演奏を聴くことが出来る。とにかく、各メンバーのプレイがごきげんの一言だ。これでノレない人は、ソウルとは相性が悪いとしか、いいようがない。

彼らが演っていたのは、ジャズ、ブルース、R&B、ソウル、ロック、そして後のファンクなども含めた、あらゆるグルーヴ・ミュージックをひとつに溶かし込んだ音楽。まさに「Soul Stew」だった。

ありし日のキング・カーティス、また現在も活躍中のスゴ腕プレイヤー達の往時のプレイは、何度味わってもあきないね。貴方も、ぜひ堪能してみて。


音曲日誌「一日一曲」#279 ギター・スリム「Things That I Used To Do」(Sufferin' Mind/Specialty)

2024-01-09 07:35:00 | Weblog
2013年8月4日(日)

#279 ギター・スリム「Things That I Used To Do」(Sufferin' Mind/Specialty)





ギター・スリム、54年の大ヒット。彼自身のオリジナル。

ギター・スリム(エディ・ジョーンズ)については当コーナーでも3年半前に取り上げたことがあるが、彼の曲の中でも絶対に外せないのがこの一曲だろう。彼の最大のヒットナンバー「Things That I Used To Do」である。

レコーディングは53年10月、ニューオリンズのマタッサズ・J&Mスタジオにて行われた。

ちょうどその時N.O.を訪れていたのが、23才のレイ・チャールズ。アトランティックに移籍しての最初のヒット「Mess Around」を出し、新進気鋭のシンガー/ピアニストとして注目され始めた頃である。

一方、ギター・スリムは少し年上の26才。前年に「Feelin' Sad」という曲で小ヒットを飛ばし、徐々に名前が売れ始めたあたり。この若いふたりの出会いが、思わぬ大ヒットを生み出すことになった。

レイ・チャールズはこの「Things That I Used To Do」を編曲し、バックのピアノを弾くというサウンド・プロデュサー役で参加した。これが見事に功を奏し、曲はR&Bチャートの1位に輝き、ミリオン・セラーを達成したのだった。

以降、さまざまなアーティストがこの曲をカバーしている。ジェイムズ・ブラウン、アルバート・コリンズ、マディ・ウォーターズ、ジュニア・パーカー、フレディ・キング、チャック・ベリー、ビッグ・ジョー・ターナー、バディ・ガイ、ジミ・ヘンドリクス、スティービー・レイ・ヴォーン、グレイトフル・デッド、ジョン・メイヤーなどなど。つまりは、ブルース・スタンダードのひとつとなったのだ。

この曲がここまで強く支持された理由はなんなのだろう。筆者が思うには、12小節のブルースの形式を取りながらも、それまでの黒人ブルースとは違う独自のカラーを持ち、より普遍的なポピュラー・ソングへと昇華されているところにあるのではないかな。

たとえば、ギター・スリムのギター・プレイを聴いてみれば、あるいはギターを弾いてそれをなぞってみればわかると思うのだが、彼はブルースでは常套的に使われるブルーノートを、ほとんど使っていない。これはかなりスゴいことだ。

ブルースをブルースたらしめている重要な要素のひとつ、ブルーノートという音階に縛られずに、ブルースを生み出している。つまり、それはもはや、ブルースの次のステージへと進もうとしているしるしなのだ。

彼は髪の毛をカラフルに染めたり、それまではクリーン・トーンが当たり前だったエレクトリック・ギターにディストーション・サウンドを持ち込んだり、などのギミックを好んでやったというが、それもまた、レース・ミュージックとしてのブルース/R&Bを脱却して、普遍的なポップへ向かおうとしていた証拠だと思う。

黒人の中でしかウケない音楽でなく、より多くの聴衆を引きつける音、そしてライブ・パフォーマンス。これが彼の目指していたものだったと思う。

そういう意味でも、黒人白人を問わず支持された才能、レイ・チャールズとのコラボレーションは正解だったのだと思う。

曲はいかにも一発録りの時代らしく、ライブ感に溢れている。後半の出だしのタイミングを間違えて、早めに歌い始めてしまったミスもそのまま収録されてしまったあたり、なんとも微笑ましいが、そんな細かいことなどどうでもいいと思えるくらい、ギター・スリムの歌は気迫に満ちているし、どこかのんびりとした、郷愁を誘うギター・ソロも素晴らしい。対するにバックのピアノやホーンはカッチリとしたサウンドでソツがなく、彼の野放図な個性と好対照をなしている。

まさに「出たとこ勝負的セッション」のスリルが、この4分足らずの曲の中につまっている。

ギター・スリムの唯一無二の個性が凝縮された一曲。60年経とうが、その魅力はいまだに輝き続けてるね。

音曲日誌「一日一曲」#278 ランディ・クロフォード「Cajun Moon」(Naked And True/Bluemoon)

2024-01-08 05:30:00 | Weblog
2013年7月28日(日)

#278 ランディ・クロフォード「Cajun Moon」(Naked And True/Bluemoon)





黒人女性シンガー、ランディ・クロフォード、95年のアルバムより。J・J・ケイルの作品。

この7月26日、J・J・ケイルが亡くなってしまった。享年74。

J・J・ケイルといえば、エリック・クラプトンの大ヒット「Cocaine」の作曲者として注目されたのが、77年。彼が39才になる年のことだった。

タルサで地道に音楽活動を続けてはいたが、ヒットらしいヒットを出せずにいたケイルが、クラプトンによるカバーというかたちとはいえ、初めて日の目を見たのである。

筆者もその時に初めて彼の名を知り、タルサ・サウンドの存在も知った。

だが、考えてみれば、70年のEC初のソロアルバムに収録され、シングルとしても全米18位にまでヒットした「After Midnight」もまた、ケイルの作品であった。実は相当前からケイルの曲を聴いていたことになる。

その時点からケイルの存在が注目されていれば、彼の音楽人生もより華々しいものになったのだろうが、当時はヒット曲の作曲者にスポットライトがすぐに当たるようなこともなかった。情報化時代以前は、そういった情報の流通も、至ってのんびりしていたのである。

その後スターシンガーとなったECの強力なバックアップを得て、ケイルはさまざまなアーティストの曲作りを手がけるようになる。たとえばウェイロン・ジェニングスの「Clyde」「Louisiana Women」、カンサスの「Bringing It Back」、レイナード・スキナードの「Call Me The Breeze」「I Got The Same Old Blues」、トム・ペティ&ハートブレイカーズの「I'd Like To Love You, Baby」、カルロス・サンタナの「Sensitive Kind」などなど。

ケイルの生み出す曲は、彼が影響を受けてきたすべての音楽、ブルース、ロカビリー、ジャズ、カントリーなどが溶け込んだ、極めて土臭い味わいのもので、派手さには欠けるものの、プロのミュージシャンたちの絶大な支持を得たのである。

シンガーとしてのケイルは、72年に出した「Crazy Mama」で全米22位のスマッシュヒットを出したことがあるものの、おおむねヒットとは無縁で、おもにアルバムで勝負するタイプであった。呟くような渋めのボーカル・スタイルゆえ、ポピュラリティを得るのは難しかったのだろう。

さて、きょうの一曲「Cajun Moon」も、ケイルが他のアーティストに提供した楽曲のひとつ。もともとは、フルーティスト、ハービー・マンと黒人女性シンガー、シシー・ヒューストン(ホイットニーの母君ね)が76年に共演したアルバム「Surprises」に収録されており、ランディはこれをさらにカバーしたと思われる。

ランディ・クロフォードはご存知のように、クルセイダーズとの共演アルバム「Street Life」で一躍メジャーシンガーとなったひと。ジャズ系の曲、R&Bっぽい曲、あるいはポップな曲も難なくこなす、超実力派だ。

この95年のアルバム「Naked And True」でもプリンスの「Purple Rain」、アレサ・フランクリンの「All The Kings Horses」など、さまざまなジャンルのカバーを試みているが、なかでもこの「Cajun Moon」は一聴に値いするだろう。

ベースにかのファンク魔人ブーツィ・コリンズが入っているのが「おっ!」という感じだが、バックサウンドはどちらかといえばジャズ寄り。フェンダー・ローズとビブラフォン、そしてストリングスの響きが、オトナのフュージョンを演出している。

クロフォードの粘っこい声質が、この曲のもつアーシーな雰囲気にぴったりハマり、メロディの単純な繰り返しでさえ心地よく感じられる。

ケイルの遺したさまざまな曲は、こうやって優れた歌い手を触発し、今後も歌い継がれていくに違いない。

偉大なる、遅咲きの才能に敬意を表して、ここに彼の名曲を遺しておこう。

音曲日誌「一日一曲」#277 ジョン・リー・フッカー「I Need Some Money」(The Very Best Of John Lee Hooker/Rhino)

2024-01-07 07:43:00 | Weblog
2013年7月21日(日)

#277 ジョン・リー・フッカー「I Need Some Money」(The Very Best Of John Lee Hooker/Rhino)





ジョン・リー・フッカー、60年のレコーディングより。ベリー・ゴーディ・ジュニア=ジェニー・ブラッドフォードの作品。

この曲、ひらたく言えば、ビートルズの「マネー」である。が、ビートルズのオリジナルではなく、もともとはモータウンのヒットなのだ。

オリジナルの歌い手、バレット・ストロングは41年生まれ、ミシシッピ州ウェストポイント出身の黒人シンガー。のちにモータウンとなるタムラレーベルが、草創期に契約したアーティストのひとりで、60年に同レーベルとして放った最初のヒットが、この「マネー」だった(録音は59年8月)。

ストロングは、歌手としての大ヒットはこの一曲だけだが、60年代半ばより作詞家としてモータウンのスタッフとなり、プロデューサーのノーマン・ホイットフィールドと組んで、数々のヒットを生み出している。

たとえば、マーヴィン・ゲイの「悲しいうわさ」、エドウィン・スターの「黒い戦争」、テンプテーションズの「クラウド・ナイン」「パパ・ウォズ・ア・ローリング・ストーン」といったぐあいだ。作曲者に比べて、ストロングの名前は余り世間に知られているとはいえないが、作詞の才能には確かなものがあった。73年にはグラミーの最優秀R&B賞も受賞している。

70年代、80年代にはシンガーとしても活動を再開し、ヒットには恵まれなかったものの、何枚かのアルバムを残している。

「マネー」が当時いかにヒットしたかということは、同曲をカバーしたアーティストを見ればよくわかるだろう。ジェリー・リー・ルイス、サーチャーズ、ビートルズ、ストーンズ、バディ・ガイ、後にはフライング・リザーズ版なんて変わり種もある。黒人白人、英米を問わず、多くのアーティストを強く刺激した一曲だったのだ。

さて、本題に入ろう。ジョン・リー・フッカーといえば、ドローッとした土臭いブルースを演るブルースマンというイメージで、およそポップというものと無縁という感じだが、実は意外に流行にも敏感なところがあり、このカバーも、オリジナルがヒットしはじめて間もない、6月に録音している。

もちろん、その演奏スタイルは、あくまでもジョン・リー流だ。

アコースティック・ギターにドラムスというシンプルな編成で、シャウトというよりは、低く語り、呟くようなボーカル・スタイル。ギターも、唯一無二のジョン・リー・スタイル。原曲とはノリがまったく違うのだ。

同曲のカバー・バージョンとしてはきわめて異色なのだが、一度聴くと耳から離れない、そんな麻薬的な魅力がある。

「I Need Some Money」というストレート極まりない歌詞とあいまって、ジョン・リーのドスの効いた語りが、聴き手を強くゆさぶるのだ。

後からジワジワと効いてくるボディブローのような、ブルース。ポップ・チューンもアレンジを変えれば、ここまでヘビーになるという好例。

死ぬまでブルースマンを貫いた激ワルオヤジ、ジョン・リー・フッカー版「マネー」。

若造どもとはひと味、ふた味は違う、エグみを堪能してくれ。

音曲日誌「一日一曲」#276 アルバート・リー&トニー・コルトン「The Next Milestone」(The Blues Anthology DISC2/Immediate)

2024-01-06 07:24:00 | Weblog
2013年7月14日(日)

#276 アルバート・リー&トニー・コルトン「The Next Milestone」(The Blues Anthology DISC2/Immediate)





英国のギタリスト、アルバート・リー、イミディエイトでのレコーディングより。トニー・コルトン、レイ・スミスの作品。

アルバート・リーは43年、イングランド・レオミンスターの生まれ。バディ・ホリーの影響でギターを弾き始め、16才の若さでプロとなった。

ジミー・ペイジも在籍していたことのある、シンガー、ニール・クリスチャンのバンドや、クリス・ファーロウがリード・ボーカルだったサンダーバーズなどに参加。

ブラック・ミュージック、カントリー・ミュージックの両方に精通したそのギター・テクニックには定評があり、セッション・ギタリストとしてもひっぱりだこだった。

70年にはカントリー・ロックのバンド、ヘッズ・ハンズ&フィートを結成。商業的には成功したとはいえなかったが、その鮮やかなギター・プレイは「アルバート・リー」という名を広く知らしめることとなった。

74年に同バンドを解散後、アメリカに移住。カリフォルニアを拠点に、セッション・ギタリストとしてジョー・コッカー、エミルー・ハリスらと共演。

79年にはエリック・クラプトンのバンドに参加。クラプトンをもしのぐ、超絶技巧が話題となる。そのプレイは来日時のライブ盤「ジャスト・ワン・ナイト」で聴くことが出来る。

その後もソロ、他のミュージシャンのバッキングで八面六臂の活躍を続け、69才となった現在に至るわけだが、そんな彼の初期のプレイが聴ける貴重な音源を紹介しよう。

「The Next Milestone」は、リーが後にヘッズ・ハンズ&フィートを組むことになるトニー・コルトン、レイ・スミスの作品。68年録音。

リード・ボーカルはトニー・コルトンで、リード・ギターをリーが弾いている。

オリジナルだが、いかにも黒人ブルースの影響をどっぷり受けた感じの楽曲。「How Long」という歌詞あたりに、それが如実にうかがえる。

いかにもリーらしい速弾きは聴くことが出来ないが、ブルースを、それも原典の黒人ブルースをしっかり聴き込んでいることがわかる、正統派のブルース・ギターだ。弦の響きを大切にし、すみずみまで神経の行き届いたプレイは、クラプトンやピーター・グリーンらとはまた違ったタイプで、「本当にギターが上手いってのは、こういうプレイをいうんじゃないかな」と思わせる。

まさに、ギタリストに支持されるギタリストの面目躍如である。

ちょっとラフなボーカルをうまくバックアップし、ダルなブルースを表現しているリー。その後のバンドのサウンドからはあまり想像がつかない初期のブルーズィな演奏、なかなかの聴きものである。

ブリティッシュ・ブルースの隠れた名演奏、ぜひチェックしてみて。

音曲日誌「一日一曲」#275 レイ・チャールズ「That Old Lucky Sun」(Best Of Ray Charles/Victor)

2024-01-05 06:07:00 | Weblog
2013年7月7日(日)

#275 レイ・チャールズ「That Old Lucky Sun」(Best Of Ray Charles/Victor)





今年もはや、後半に突入である。梅雨も明けて、本格的な夏に突入した7月の第一弾はこれ。

先々週の「Night Time Is the Right Time」が好例だが、レイ・チャールズはオリジナル作品を多数もつ一方で、他のアーティストの作品も遠慮なく歌う「カバーの達人」でもある。そんな彼による、63年のレコーディング。ビーズリー・スミス、ヘブン・ガレスピーの作品。

もともとこの曲は西部劇の俳優として有名な、フランキー・レインによって49年に大ヒットしたものだ。

これをヴォーン・モンロー・オーケストラやルイ・アームストロング、フランク・シナトラがこぞってカバーし、49年を代表するヒットとなったのである。

その後も、このカントリー・バラード調の哀愁あふれるメロディにひかれて、数多くのアーティストがカバーしている。50年代では、バッファロー・ビルズによるコーラス、ジェリー・リー・ルイス、サム・クック、60年代に入ってからは、ベルベッツ、アレサ・フランクリンらのバージョンがその代表例だ。

レイ・チャールズ版はそれらにいささか遅れて、63年、アルバム「Ingredients in a Recipe for Soul」のためにレコーディングしている。

まずは、聴いていただこう。レイ・チャールズのバック・サウンドは大別して、ストリングス中心のポピュラー・ソング風のアレンジと、リズムを強調したR&B、ソウル風アレンジの2種があると思うが、この曲は前者に属するタイプ。いかにも、白人のリスナーにも十分ウケそうな、カントリー・タッチのアレンジになっている。

ゆっくりとしたテンポで、噛みしめるように歌うチャールズ。バックこそ、弦と混声コーラスでポピュラー・ソングっぽいのだが、歌にはやはり、彼ならではのソウルが感じられるね。特に、サビ部分の、控えめながらもこみ上げる思いを歌うさまは、聴く者の心を強くゆさぶるに違いない。

その後もこの「That Old Lucky Sun」は、70年代にはポール・ウィリアムス、ウィリー・ネルスン、90年代以降はジェリー・ガルシア・バンド、リトル・ウィリー・リトルフィールド、ジョニー・キャッシュ、ブライアン・ウィルスン、クリス・アイザックらによって、また日本では久保田麻琴によってもカバーされている。まさに、エバー・グリーンな一曲。

本来はカントリー・ソングとして生まれながら、そのメロディには、ソウル・バラードにも通じる、胸にしみる哀愁があり、それゆえに白人・黒人を問わず愛唱されるのだと思う。その、数あるバージョンの中でも、レイ・チャールズの名唱は、後進のアーティストたちを強くインスパイアしたはずである。

歌曲(うた)は、歌い継がれることによって、その生命を何十年、何百年も長らえることが可能になる。64年に渡って私たちを魅了しつづけてきた「That Old Lucky Sun」。いま一度、その魅力にふれてみよう。

音曲日誌「一日一曲」#274 アウター・リミッツ「Just One More Chance」(The Mod Scene/Deram)

2024-01-04 06:13:00 | Weblog
2013年6月30日(日)

#274 アウター・リミッツ「Just One More Chance」(The Mod Scene/Deram)





英国のモッズ・グループ、アウター・リミッツ、67年のデビュー・シングル。ジェフ・クリスティの作品。

アウター・リミッツというバンド名は、皆さんほとんどご存じないかと思う。では、70年に全世界で300万枚以上の大ヒットを記録したシングル「イエロー・リバー」はどうだろう。50代半ば以上のかたなら、ほぼ全員のかたが覚えておられるのはないだろうか。

このふたつに何か相関関係があるのかって? 実は大ありで、同一人物がボーカルと作曲を担当しているのである。それが、ジェフ・クリスティだ。

彼は46年、ヨークシャー州リーズ(そう、あのザ・フーのライブ盤でおなじみの街である)生まれ。アウター・リミッツのボーカル/ギターとして67年にレコード・デビューし、翌年にはセカンド・シングル「Great Train Robbery」もリリースしている。69年には別バンド、アシッド・ギャラリーのボーカルとして「Dance Around The Maypole」をリリース。いずれも大きなヒットにはなっていない。

そんな鳴かず飛ばず状態だったジェフ・クリスティを、一躍時の人に変えたのが、70年4月に「クリスティ」というバンド名でリリースしたシングル「イエロー・リバー」だった。

6月には全英でナンバーワンになっただけでなく、米ビルボードでも23位、日本でもTBSトップ40などで1位をとる世界的なヒットとなった。

そのサウンドは、英国バンドらしからぬ、アメリカのカントリー・ロックそのもの。CCRとの類似性も話題になり、ワタシなども、ずっと生粋のアメリカン・バンドだと勘違いしていたものだ(苦笑)。だが、メンバーは全員、英国出身だった。

実はこの曲、もともと英国のベテラン・バンド「トレモローズ」のシングル用として、クリスティが作曲したものだった。しかし、この曲の前に「Call Me Number One」というオリジナル曲がヒットしたことが影響して、次回作も「By The Way」というオリジナル曲で行こうということになり、結局、プロデューサー、マイク・スミスはボーカル・トラックを作曲者クリスティ自身のものに差し替えて、「イエロー・リバー」を世に出したのである。

そういう裏事情を知ると、この曲はもしかしたらトレモローズでヒットした可能性もあったろうし、いやヒットすらしなかったかもしれない。どちらにしても、作曲者自身が表舞台に出てくることはなかったろうから、ヒットというものは偶然の要素にいかに左右されるかがよくわかるね。

さて、前置きが長くなってすまん。ようやく、本題のアウター・リミッツのデビュー曲の話である。

いかにも67年頃っぽい、ブルーアイド・ソウル系の曲調なのだが、クリスティの歌を聴いていて、筆者がふと連想したのが、桑田佳祐の声。

声を張り上げたときよりはむしろ、ややテンションを下げた「嘆き節」的なときの歌声が、みょうに桑田のそれに似ているのである。いやこの場合、桑田がクリスティに似ているというべきか。

リスナーの心を引きつける歌手の声には、どこか共通の「ツボ」のようなものがあると筆者は常日頃考えているのだが、彼らにはそういう、「嘆き節」でリスナーのハートをグッと掴む、みたいな共通点があるのではなかろうか。

ジェフ・クリスティの歌声は、ほとんどの人々は「イエロー・リバー」でしか知らないわけだが、この「Just One More Chance」は、違う味わいの、彼の魅力があらわれた佳曲だと思う。筆者的には、むしろ、のっぺりとした感じの「イエロー・リバー」での歌声よりも深みがあって、彼の本来の良さがよく出ているのではないかと思う。

3分少々と短いが、繰り返し聴くとその味わいにどんどんハマっいく、スルメのような曲だ。

メガヒット「イエロー・リバー」の3年前に生まれていた、知られざる名曲。クリスティの嘆き節、泣き節を、じっくり味わってくれ。

★今年最初の更新です。

引き続き、ご愛読のほどよろしくお願いいたします。