maruの下手の横好き写真とつぶやき
写真を撮ったり、音楽(クラシック・ロック)をよく聴き、読書は古典(主に哲学中心)がメインです。全体主義社会の動きに警戒。
 



そもそも・・・

なんでみんな、長生きしたいと思うのだろうか・・・

その先に、何があるんだろうか・・・

 

当たり前じゃん、死ぬのは怖いもん・・・は当然あると思う・・・

 

まあ、よく分からないけれど病気もせずに気づいたら100歳だったとか、

しかもボケてなくて、意思疎通ができるとか、

そういうのは結構な事です。羨ましい。

 

その羨ましいという羨望も一つ理由にあるのかも。

 

でも殆どの人は、そこまでは到達できない・・・人生100年時代とか言われても、

現実には、ボケたり、歩けなくなったり、一人で何もできなくなったり、

呼吸すらあやしく、天井の明かりを眺めているだけの生活とかになる可能性もある。

(そもそも、お金の問題もあるけれど・・・)

自分で自分が分からなくなっても長生きは良いのか?

でも、そうなっても死ぬよりましという人もいる。

死への過度な恐怖心だったり、不確かなものに対する恐れから逃げる為、

少しでも息をしていたいというのも理由の一つ・・・

 

でも、生きてるというのが、どういう事を意味しているのか、

考えてみると捉え方でも変わってくると思う・・・

 

単に長生きするだけを考えても空しいしと感じる人もいれば、

何かなすべき事があって、それを求める人もいるし、

戦争や飢餓に見舞われて死ぬのは嫌だけど病気なら仕方ないとか、

逆に病気で死にたくないとか、

老後を心配しすぎて今を楽しまないのは損とか、

人はいずれ死ぬのだから、恐れても仕方ないとか、

それにどうせ死ぬときは名誉も金も高価な物も持っていけないし、

病気で死ぬ方が、ボケて自分が分からなくなって周囲に迷惑かけるより良い

というのもありそう。

 

という考えになると、単純に、長生き=良い、という単純思考から、

そもそも長生きって何歳から?とか

他人や世間と比べての長生きなのか、自分の中での長生きなのか、

基準がどこにあるのかでも変わる。

科学の世界、哲学の世界でも、絶対的なものは無く、世界は相対的なものという。

また、主観でしか物事を把握できないのが人間と言われてます。

そもそも、何事にも、良い面・悪い面両方あるから。

まあ、自分なりの基準が持てれば、残りの人生も変わってくる気がする。

 

理想としては・・・極端な例ですが・・・

常日頃、やるべき事をやり、後悔を残さず、全力を出し、

いつ死んでも良いという状況にある事・・・になりそうですが、

こんな生き方、普通の人には出来る訳がない・・・無理無理(笑)

 

ブッダも、人間は老いや病からは逃れられない。いつか死ぬ。

それを諦めるのも、一つの悟りなのであって、死を遠ざけず、悪い事と

考えず、いつか来るものとして受け入れるしかないと言っている。

人間を不幸にするのは、物事に執着するから。長生きに執着すると苦しむ。

執着を減らせば苦しみも減ると。

 

こんな事を政府や著名人でもいいけれど公に言おうものなら、

批判殺到でしょうなあ。

老人を見捨てるのか! 大切な人を失う悲しみが分からないのか!

人権感覚がマヒしてる!冷酷すぎる!じゃあお前が先に逝け!

などなど、感情スイッチが入ってしまう人が出没し、バッシング開始・・・

 

未だにコロナを過剰に避けて無事に長く生きたいという世間をみていて、

思ってしまった。。。

子供が黙食させられていようが、若者がチャンスを失おうが、

大切な人を守れとか、思いやりとか言ってくるのが今の社会、メディアなんですが

子供や若者への思いやりはどうなっているのだろうか・・・・・・

死生観を少しでも持っていれば、考え方も変わると思うのですが。



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