maruの下手の横好き写真とつぶやき
写真を撮ったり、音楽(クラシック・ロック)をよく聴き、読書は古典(主に哲学中心)がメインです。全体主義社会の動きに警戒。
 



傘で妨害されて感じたり考えた三つ目は・・・

実際に世の中で生きている人達は、どのくらいの割合で恐怖を感じているのか、対策とか行過ぎだと思っているのか、まだ足りないと思っているのか、分からないという不安です。

見た目は義理でマスクの人と、コロナコワイと過剰に怯えている人と同じで区別がつかないのです。そういう人への思いやり(という義理・義務・いい人と思われたいだけの偽善)・・・も、そろそろいいのではないですか?

そういう機運も高まっているとは思いますが、印象として、断固として抗ってやるという意気込みをもった人たちが少しいて、抵抗を強めていると思っています。自分が出会ったのもそんな人なのでしょう。

日本人・・・っていうと、多くの人は、真面目、思いやりがある、道徳心が強い、と、海外に比べて思っていると思います。でも、自分の中ではコロナ禍で観察して、一気に崩れました。

日本人の思いやりがあると思う人は多いでしょうが、そうでしょうか。当初は不幸にも感染してしまった人に対して、やたらと攻撃していました。

主にテレビに影響されて。ただマスクしてないだけで容疑者。コロナになったら犯罪者。そんな風潮を作ったのは、影響された人達の作用があったから。酷い人になると勘違い善意が暴走していました。

でもやっている人達は正義の行為としか思ってない。多数派の側にいた人たちは自分たちには常識があり、コロナを怖がり過ぎるなと言うだけで、非常識人扱いしてきました。心の中で、空気を読まない馬鹿な人だな、自業自得だ・・・とう空気が凄かった。流石に今は慣れてきてはいますが、まだ抜け出せていない様子です。

殆どの人はテレビを妄信するだけ。テレビからは、思いやりという言葉が流れてきて、それに従うと思いやりのある人間、従わないと非常識・非国民・犯罪者だと変な圧がありました。

でも、そういう思いやりって、自分からみていて響いてこないんですよ。口先だけで常にふわふわしていて、現実感がない。インフルエンザでは毎年数千人死ぬし、間接死で1万人くらい死んでいた。肺炎では10万人毎年なくなっている。そういう人たちへの思いやりなどあったかな?ロックダウンなんかしてたかな?(こんな事を言っても信じてもらえない)

こういう、ある意味での弱者を守る為、ここ数年の社会は健康な人に無理強いをする形でいろんな要請を行ってきました。が、その為に、新たな弱者を作り出し、大学生はろくにキャンパスに行かぬまま卒業とか、潰れる飲食店とか、バイト先も困り貧困にも影響するとか、見えない犠牲を出してきました。思いやりが足りないのではと思った人もいると思いますが、思いやりならこういった方々にこそ見せて欲しい。

当時、コロナに罹る人は、不真面目な人とかいう言説がありました。酒飲んでるとか、遅くまで遊んでるとか、人の多い処に行ったとか、当たり前の日常が非道徳的だとされた。営業してる店に貼り紙の嫌がらせをしたりしたし、三重県では感染者の家に石が投げたり、悪を成敗する怖い正義マンが出まくった。

こんなのがまともな社会の訳が無いのですが、みんなコロナ脳になっていて異常でした。店に入るとき、建物に入るときの体温チェックや消毒のお願い(という強制)も、異常なんですよ、本来は。それを大多数の人が異常だと思わないのだから、不思議な世界をみていた印象でした。

その結果、中国かと思うような監視社会の出来上がり。それに貢献した人が多かったんですよ。風邪をひくことすら許されない窮屈な状態に、皆で協力して作り替えていった。特に平和を愛し、軍国主義(全体主義)を批判していたリベラル系に。

その思いやりだって、単に人に合わせる事が目的になっている場合が殆ど。だからサッカーのワールドカップにしろ、WBCにしろ、みんな海外に行くとマスク外して大絶叫する。

それは結構な事なのですが、本当に思いやりがあって道徳心があるなら海外でも堂々とすれば良いのに。うつしたらどうするんだ?って思ってしまった(笑)。

帰国すると、マスクに戻る。日本でも外食してる人達の殆どは、マスク外してお喋りしながら楽しんでいます。それで良いのですが、店を出たとたんに、マスクする。意味があるとか、無いとかの前に、周りに合わせるだけ。周囲の人に、私はあなた方の仲間ですという印を付けるだけ。そうすれば責任を問われないし、安心できますからね。これ偽善ですよね。

で、周りに合わせ、何となく義務は果たしたみたいな顔してる。要するに文句を言われないように窮屈に生きてるのが日本人。個がない。からっぽ。だから大きな声で分かりやすいストーリーを聞くだけで皆が同じ方向に向かう。そして何故か、周囲に同調するだけで、思いやりがある人になれるという不思議。そらあ、なかなかマスクは減らないでしょう。そして自分としては、まだみんな怖がって生きているのかなあと・・・今しかないこの時間を・・・もったいないなあと、思ってしまいます。

ただ、周囲の目を気にした義務感で済んでいる人はまだ救いようがあります。これが義務なんだからと他人様に強要するとか、他人様が病原体に見えて人を避けるようになると心が病んでます。個人に踏み込んで教養するのは強要罪なので注意しましょう。

 

次は気になったこと四つ目になります。

 



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感じたことの二つ目、メンタルの問題、そして正義マン問題。

あの人は、可哀そうなくらいメンタルやられてるなあと思いました。前回も触れましたが、見えないウイルスの粒々が見えてしまうかのような感じになるようでは、カウンセリングとか必要なんじゃないのかなあと思います。

そのうち、コロナ恐怖症のカウンセリングとか治療をするクリニックとか出てくるのでは? そちらの出番です。というか、考えてる人はいそうだなあ。大体、マスクを信じているなら彼らは守られているはずで、ワクチンも打ってれば安心安全状態なので、他人がどうしようが構わないはずです。他人に文句をいうのが意味不明です。

ある種の潔癖症なのかも知れませんが、そこまで来ると電車には乗れないとは思うので、それとは別の何かです。コロナ恐怖症、ノーマスク恐怖症とかでしょうか。じゃあノーマスクの人がコワイという可哀そうな人がいるので、みんなでマスクしましょうなんて言い出したら、世の中はおかしくなります。下手な同情はすべきではありません。もしくは、皆やってるんだからお前もやれというのなら、そういう意味では弱者のルサンチマンとは言えます。それなら尚更な事に、そういう人に迎合する社会は危険です。ねじれた被害者意識から復讐してるだけの人に合わせこむ社会はろくなもんじゃない。

国が責任感じるなら、こういう人に対するカウンセリングとか治療に補助金出したらどうでしょう。PCRを無料にするとか、旅行割引とか、ワクチンとか、そんな事に税金を数百兆円も無駄金使ったこと考えたら安いものだし、実際に役に立ちそうですよ。無用なトラブルは減るし、社会にとって間違いなく良いと思います。コロナ対策も矛盾だらけで論理性のかけらもないのだから。(3回打ってたら帰国時にスルーで入国とか旅行支援も意味不明。3回でも罹る人はいる。マスクもワクチンも効果なし。)

さらに、メンタルの問題として、正義マンがあります。あの人の中では、マスクしてない悪い人が来たという認識がまず起ったと思います。ここから、いまの世の中に蔓延してる善悪二元論な世界そのままの事が起っていると思います。コワイことだと思っています。

まず、あの人にとってこちらが悪であると(勝手に)認識した事でしょう。すると自動的に、意識する・しないにかかわらず、自分は正義になります。相対的にそうなってしまうだけなんですが、世にはびこる正義マンの誕生です。

マスク警察はまさにこれ。成敗してやらなければと、自分の体力や格闘技をやっている訳でもないのに、他人にちょっかいを出す程無敵になれてしまうコワイものです。心の中ではスーパーサイヤ人。そして実際に成敗すると快感を感じるそうです。だから、あの人が電車から降りるとき、してやったりの顔をしていたのが良く分かります。

最悪の場合は両者激突する場合です。確かマスク警察の高齢者が、注意した若い人に逆襲を受けた話がありました。最初の高齢者は若者が悪に見え、何か一言言ってやらなきゃという正義マンになったのでしょうが、言われた側とすると、いきなりこんな布切れごときで説教くらった時点で、自分は別に悪くないのに何か文句を言ってきたとなります。今度は言われた方が、正義は我にあり状態でしょうから結局両者激突し、事件にまで発展する。それもあるから、自分の場合無視してて正解かなとも思ってます。悟空とベジータになってしまう。

煽り運転する人も、ある意味正義マンです。割り込みとか、自分は急いているのに遅いのはムカつくとか、追い越し車線から遅いくせにどかないとかがきっかけで、あいつは悪であるという感情・認識が起り、自動的に自分は正義になります(やってる事は悪ですが)。それが実際に正義かどうか、自分で正義と思っているとかは全く関係ないです。そして一回痛い目みるまで繰り返すのも快感が得られるから。もしかすると、あの人もまたどっかでやらかすかも知れません。

怖いのは、正義の側に立つと、相手にどんなことをしても許されるという感覚になる事です。勿論歪んだ正義です。コンビニ店員に土下座させた人、モンスターペアレンツもそう。何かあったとき、一言いってやりたいとか、制裁を加えてやりたいとか、そういう場面を想像するだけで普通は終わりますが、それを抑えられないメンタルの人がまれにいる。

コロナ初期には、駄菓子屋に「コドモ アツメルナ オミセ シメロ マスクノムダ」と貼り紙したり、飲食店に「店閉めろ」とか、ゴミ収集の人に対する嫌がらせもありました。忘れてませんか? こういう人にとって対象相手は悪なので、理不尽な要求や差別をしても構わないと思い込む。完全にメンタルがおかしい。それはメディアの煽りを真に受けた人達なのですが、その責任はメディアだけにあるのではありません(これについてはまた後日)。

最近ではスマホの弊害も言われていますが、いずれにしても感情が先走りすぎである事は間違いないです。今回の人も同じメンタルをしていますただ、その正義とやらの元になっている道徳観は、奴隷道徳ですね(これについては次あたりで)。

ただ、日本にはまだマスクしないと本気でコワイと思っている人がそれなりにいそうという事で、擁護者が少なからずいると思います。メディアが流すストーリーを信じ易いのは人間の性質ですが、一旦それを受け入れると、データを見せられても、正しい情報を聞いても、マスクやワクチンの効果を疑う事実があっても、脳内をアップデート出来ない。論理性より感情が先に来る。自分と同じ考えの人が批判されると、応援したくなったり、自分が批判されたようにもなるものです。

専門家など、どの分野でもあてになる人と、ならない人がいます。テレビに出てくるのは、あてにならない人です(最近では劣化ウラン弾は問題ないとか言いだした専門家もいるとか)。でもコロナ脳にとっては、信じたいのはテレビの専門家。自分の信じた事を強化してくれる先生。まあ人間信じたいものしか信じれないという性質があるのですが、日本人は世界に比べてテレビに全てを依存しすぎで、そのメンタルも危険です(これについても後日)。

戦時中に協力的でない人達を非国民と呼んで責めていた人達とも似ていると思います。戦後になったら、国にぶーぶー文句言ったり、あの時は仕方なかったとか言う卑怯者。状況次第でコロコロ変わるこのメンタルが日本人は海外に比べて多いのではないかと思っています。

話が大きくなってしまいましたが、まあ、白い布で感染が収まるなら、世界一の感染者は出ませんって。逆に付けてない国々が悲惨ね目にあってないとおかしい。ただそんな中で、下手すると日本はコロナ脳の望む清潔社会のような、全体主義の世の中になってしまいかねない。今だって、みんなが顔にパンツを付けてるか監視しあって生きている、しかも自主的に・・・

そういう3年間が終わるのか続くのかの境目に差し掛かっている。異常なんですよ、これ。自分が奴隷状態になっている事に気づけていない。奴隷から抜け出ようとしている人を反逆者のように扱う。お前もいい子でいなさいよって引っぱり下ろす。ただ、いつの時代もそういったものから脱却しようという精神が新しい世を作っていく・・・

ジョージ・オーウェルの「1984」や「動物農場」を読んでない人は、読むといいです。テレスクリーンから自粛しろとか、マスクしろとか、今の日本はみずからそういう世界に向かっている。嫌われないように、皆でいい子ぶりっこしてた。これに気付けない日本人のメンタルも非常に危険。たかがマスクではないんです。ちょっとくらい我慢すればって、ものではないんです。今後もそうなるかどうかは日本人次第なのですが・・・今のままでは危ういかも。

 

と、今回はここまで。

次は感じたこと3つ目へ。

 

 



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