記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

博多コースター争議写真と、福岡・天神発展の関係とは?

2020年11月29日 09時56分20秒 | 福博まちの記憶

先日「博多コースター争議」惨敗記念の大判写真を入手しました!1924(大正13)年に伊藤伝右衛門が創立した博多コースター株式会社で1926(大正15)年に起こった労働争議「博多コースター争議」では、天神にあった伊藤伝右衛門の別邸(銅御殿、妻・白蓮のために建設)が争議団に襲われたそうです。争議の首謀者たちの「惨敗記念」写真ということですが、写真に映る面々の表情は色んな感情が含まれ、すぐにドラマ・物語が創造出来そうな、演劇的でいい写真です。

ちなみに、別邸は争議の翌1927(昭和2)年8月に不審火で全焼、犯人は…。

別邸の門はその後、飯塚・幸袋の邸宅に移築されて、現在は「旧伊藤伝右衛門邸」として地域のランドマークになっています。そして、天神の別邸跡の広大な敷地の一部にはその後に証券取引所が進出し、天神が金融ビジネス街となるきっかけに。証券取引所の並びに証券会社や大手銀行が続々進出し、空襲で一帯が全焼したあとの再開発(戦災復興事業)でも全国に先駆けていち早く復興し「摩天楼」と呼ばれたビル街になりました。

争議から96年、天神明治通り(旧天神町・てんじんのちょう)沿いは「天神ビッグバン」プロジェクトで新たな金融ビジネス街へと生まれ変わりつつあります。この写真は、天神に学校や屋敷が多かった頃の前時代から金融繁華街へと変貌する転換点の一端を飾る貴重な写真だと思います。

2枚目の「アカガネ御殿」写真は、ちょうど「博多コースター争議」が起きた頃に発行された手持ちの「福博名所名物写真帖」から。この写真は、2015年の柳原白蓮生誕130年記念で刊行された「柳原白蓮の生涯〜愛に生きた歌人(河出書房新社)」にもご縁をいただき提供したもの。邸宅の「アカガネ御殿」の漢字表記は最近の本などで記載される「赤銅御殿」ではなく、一字で「銅御殿」が正解だと確認することができました。

3枚目の写真は、「銅御殿」が火災消失後の1928(昭和3)年末頃の天神一帯の空撮写真に書き込み。赤字の短冊が当時の建物名、緑の短冊は現在の建物施設名。写真は数年前に入手して、西日本鉄道創立110周年記念誌『まちとともに、新たな時代へ』の中で私が執筆を担当した「第1部 天神発展史」43頁に記載しています。電子ブックとして閲覧できますので、ご興味ある方はご覧ください。

西日本鉄道創立110周年記念誌『まちとともに、新たな時代へ』

 

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LOVE FM 76.1MHz 「JAL九州歴史ロマン街道」2020年4月より9月まで第2クール放送(毎月第3・第4・第5土曜日13:00〜13:30)。コロナ禍の影響で一旦放送は終了されました。

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西日本鉄道創立110周年記念誌『まちとともに、新たな時代へ』第1部は「天神発展史」

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