記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

博多駅開拓史〜博多駅エリアまち物語

2022年10月03日 00時26分50秒 | 福博まちの記憶

9月14日午後、ご縁をいただき「博多駅エリア発展協議会」様のWグループ向け講演「博多駅開拓史〜博多駅エリアまち物語」の講師を担当させていただきました。事前に事務局のご担当者様と打ち合わせ、再開発「博多コネクティッド」に関わる会員様・ご担当者様からのリクエストも受けての盛りだくさんトークでした。

今回の講演は、昨年に続き「はかた大学」さんの2022年度講座「松永安左エ門と福岡の近現代史〜鉄道と電力・ガスとターミナル百貨店」を5月31日に担当したことがご縁となり、博多駅エリアの発展史を学びたいとのことで実現しました。博多部や天神エリアについての歴史経緯のご依頼はこれまで幾度となくありましたが、テレビ番組の企画を除けば本格的に博多駅エリアの歴史を話す機会は初めての経験でした。

タイトルに「開拓史」と付けた理由は、歴史を調べ直すと開発史というよりも本当に「開拓」したという表現がピッタリな変遷を辿っていたからです。現在の博多駅があるエリアは、藩政時代は「商人の町・博多」でも「城下町・福岡」でもなく、昭和のはじめまで福岡市でもない筑紫郡犬飼村です。タイトルは、まちの歴史を演劇で伝える劇団・ギンギラ太陽'sの代表作「天神開拓史」との対比も、少しだけ意識しました。

博多駅が現在地へ新築移転し開業したのは1963(昭和38)年12月1日です。来年2023年はそれから60年ということになります。民衆駅「博多駅」の開発が始まるまでの一帯は、田園地帯が広がり民家もまばらだった場所。駅周辺には水田地帯だった名残りの用水路が広がっていて、普通にフナ・ドジョウ釣りが出来たそうです。エリアの南端には山王公園がありますが、界隈には大正初期から数年間「比恵炭鉱」があって石炭の採掘も行われていたというから驚きです。

20数年前に古地図で比恵炭鉱の記述を見つけ、界隈で聴き取りした時には、炭鉱があったことをご存知の明治大正生まれの長老がまだご存命でした。坑道入口の場所なども教えていただきましたが、小さな炭鉱で資料がほぼ残っていないこともあって、時の経過とともに私以外は誰も知らない情報になりました。

誰かが記録しなければ、書籍などに遺さなければ、歴史は失われます。古代史など古い時代の歴史も勿論大切ですが、個人的には聴き取りができる「現代」を出来るだけ記録に遺すことが大切なんだと思っています。その当時、常識だったことを意識的に書き記す方が居なければ、世代交代とともに忘れ去られるのが「その時代の常識」だからです。

昔は親の職業を継ぐことが当たり前でしたので、必然的に仕事絡みの身近な歴史が受け継がれました。戦後の日本社会はサラリーマン社会となり、家業を継ぐということが殆ど行われません。親がどんな仕事をしているのか、子供が知らないことも普通になりました。地域の大切な歴史文化も、誰かが記録しなければ消えて失われるということですね。

当時の常識の例で言えば、たとえば博多駅新幹線口(東口)は「筑紫口」と言いますが、旧筑紫郡側の駅出入口だったことから公募で決められたそうです。ちなみに、博多区と言っても、博多駅の次の駅である竹下駅界隈は1955(昭和30)年に福岡市に合併するまで筑紫郡那珂町です。今年、脚光を浴びているららぽーと福岡の場所も旧那珂町で、元々は福岡市ではありません。

対して駅西口は、現在は「博多旧市街」と呼ばれている博多部(博多祇園山笠などのエリア)側を向いていたために「博多口」と名付けられました。福岡が400年余の歴史であるのに対して、博多という地名は「日本書紀」の記述から1300年余の歴史がありますし、全て母音で「はかた」という響きが明るく、現在も福岡という市名よりもメジャーです。

余談ですが、博多駅の東口・西口という言い方も駅完成当時の呼び名ですが、すでに使う方はいないと思います。当時の諸資料には東口・西口と記載されていますけど、使わなければ当然忘れ去られます。何より「博多」という地名も、1889(明治22)年に福岡市が発足した際に一度消滅しています。博多祇園山笠、博多総鎮守・櫛田神社、そして博多駅に名前が継承されましたが、博多駅が現在地へ移転して1960年代後半に行われた町界町名整理によって「博多駅前」などの住所ができるまで地名としては消滅していました。

2022年は、福岡市が1972年4月に政令指定都市となってから50年の節目です。このとき「博多区」も誕生しました。同じ年、米軍板付基地なども返還されて福岡空港が発足しています。博多駅からわずか1.5キロ東側には米軍基地が広がっていたことすら、すでに隔世の感がありますが、改めて都市化の歴史を学ぶにはよい機会かもしれません。

今回の講演は、福岡市史や福岡市議会史、博多駅地区土地区画整理事業記念誌、100点を超える古地図・パンフレット、古写真・絵葉書(いずれも手持ちの収集資料)などから構成しました。ちなみに、博多駅エリアが開発される過程については、駅前4丁目にある公益財団法人 博多駅地区土地区画整理記念会館で見学や資料閲覧ができますので、興味がある方は訪問してみてください。

私は、1985年以来ずっと博多駅エリアに学校・職場があったので(現在は隣接地に居住)、再開発「博多コネクティッド」で変化するまちを日々チェックし、1998年以降は博多駅ビル再開発などの経緯も含めて記録撮影を続けています。

 

拙著「美しき九州〜大正広重・吉田初三郎の世界」残数わずか!



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