8月24日の告別式が終わっても故・豊田泰光さんの記事や寄稿文掲載が続いています。
故・河野昭修さんから豊田さんに至る数年間、西鉄ライオンズOB会の事務方を務めさせていただきました。その間に皆さんに取材し逸話を聞き出してまとめたのが拙著「伝説の西鉄ライオンズ」です。豊田さんが会長に内定した席にも立ち会うことができ、その時の豊田さんの嬉しさを堪えたような表情が忘れられません。
球界初&スポーツ界初のレコード「男のいる街」で聴かせてくれる藤山一郎ばりの美声は、西鉄ライオンズ球団歌の2番(豊田さんの独唱)でも堪能できます。スポーツ刈りの元祖でもあり、福岡の理髪店で豊田さんが指示注文して誕生した髪型だそうですが、何処のお店だったか聞きそびれたのが残念です(笑)。「男のいる街」SP盤、たしか持っていたはずだと書庫を探したら出てきました!(写真1、2枚目)
豊田さんが亡くなられたのが8月14日、19日には埼玉西武ライオンズが追悼セレモニーを行い、私は西鉄さんと西武さんをお手伝いし豊田さんのセレモニー用の候補写真選定を担当させていただきました。
8月18日夜、川端商店街のドンレオあべに伺いました。西鉄ライオンズ最後のリーグ優勝(昭和38年)の胴上げ投手、安部和春さんのお店です。
来福の際は必ずといって良いほどお店に顔を出されていた豊田泰光さん、私もココで2度ほど遭遇しました。下は唯一の豊田さんとのツーショット写真、豊田番のスポニチ・中島泉さんに撮影していただいたものです。中島さんの追悼文はツボを抑えたさすがの記事でした。
ドンレオあべに置いてあった2005年11月号の「中洲通信」、取材日に偶然豊田さんが来店されて巻頭を飾ったという本を見つつ、豊田さんの思い出を語って気づけば4時間(笑)。
色んな野球人が訪れるお店ですが、杉浦忠さんがダイエー監督時(フロント入り後も)もよく訪れていたと聞いて、その頃来たかったと心底思います。
最後の写真は、2011年9月のライオンズクラシック最終戦(西武ドーム、対ソフトバンク)でのセレモニーのひとコマ。亡くなられた翌日のスポーツ紙各紙、その扱いの大きさに豊田さんは「野武士軍団」西鉄ライオンズの象徴的選手だったことに改めて気付かされます。
私自身、「伝説の西鉄ライオンズ」続編をすでに20編ほど執筆していますが、予想以上に喪失感が大きすぎて執筆仕事やブログ更新も2週間滞りました。今年はKBCさんのご協力で映像を「栄光の西鉄ライオンズ」DVDにまとめ刊行することができ、それを豊田さんにもご覧いただけて辛うじての恩返しとなったことが救いでしょうか。長い間、野球界のためにご尽力いただきお疲れさまでした。ご冥福をお祈りします。
KBC「栄光の西鉄ライオンズ」DVD紹介の特設ページ(企画構成・台本・監修を担当)
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にしてつWebミュージアム(企画構成を担当)