17日と18日は先週に引き続き熊本南部から霧島・都城の吉田初三郎
原画巡りを行った。17日はまず佐敷のご遺族のお宅へ立ち寄り、私が持
っている熊本・鹿児島などの初三郎資料、佐敷に関する資料などを一式、
コピーして届けた。また、佐敷での初三郎の記憶など詳細を聞き取りさせ
ていただいた。その後、佐敷の画室跡を確認して、先日確認できなかった
湯の鶴温泉(水俣市)へ向かった。
湯の鶴温泉・四浦屋旅館も徳富蘇峰および初三郎ゆかりの宿である。初
三郎は戦後昭和22年、全国温泉地画集熊本篇の踏査取材で同旅館を訪ね、
数日泊まっている。当時から数回の改装をしているとのことだが、外観に
関しては当時の面影が残っている。蘇峰の資料など多数あったが、市など
に展示で貸し出して戻ってこなかったり、市へ寄贈したりであまり残って
いないとのこと。
初三郎に関しては、今の女将は全く知らなかったようであるが、先般改
装した際に壁面から大量の掛け軸等が出てきたとのことで、その確認がま
だなので調べて、該当品があれば連絡をいただける約束をした。初三郎が
美人画が得意だったことを伝えると、該当する絵に少々心当たりがあると
のことで、ひとまず気長に返答を待つこととした。
その後、徳富蘇峰・蘆花兄弟の生家へと向かい、立派な建物と数々の資
料をじっくり堪能した。管理人に聞くと、つい最近も某大教授が初三郎の
資料云々に関して問い合わせがあったとのこと。簡単に初三郎の説明をし
たところ、全国にある蘇峰記念碑を写真・解説入りでまとめた書籍を記念
にといただいた。ここにも虹映「湯の児温泉」復刻ポスターが貼られてい
て嬉しくなった(但し、初三郎の作品と勘違いのまま)。
湯の児温泉・平野屋はこの日お休みであったが、ご主人と女将が出迎え
てくれた。ご主人が「湯の児の四季」と題した6点の絵葉書原画であるが、
素晴らしい状態および構図で感動である。ご主人の記憶では確かあと1枚
あったのだが、何かの機会に先代が常連客へ譲ったがどうかで足らなくな
っているはずだという。初三郎の日記を読むと、その記述があった。
この図は昭和22年に訪れた際に7点描いたとある。また3階の「桜の間」
に泊まり描いたという「おぼろ月夜と桜」の絵があって、この構図・状態
のすばらしさにしばし見とれてしまった。桜の季節にのみ、展示ケース内
に掛けるそうである。前田虹映の原画を改めて拝見し、虹映についての資
料を一式進呈し、初三郎の作品と同等の貴重な品であることを説明した。
ご主人が出してきた初三郎からの手紙は、昭和22年元旦の書状であった。
マッカーサー元帥へ皇室経由でビューティフルジャパンの図を献上したこ
とや、阿蘇大観図などの記述がある、印刷書状に平野屋主人宛の直筆文と
絵が添えられたものである。「たぶん差し出しは佐敷の画室ですよ」と言
うと、主人は額から封筒を取り出し裏を見て「確かに佐敷ですね、気づき
ませんでした」と驚かれた。
平野屋のご主人とは今回が初対面(電話等では何度も話すも)、お子さ
んが博多にいると聞き、就職先を聞いてびっくり!私が仕事をさせてもら
っている麻生塾であった(笑)。私の事務所の名も子供さんから聞いたこ
とがある気がする、と言われ意外なご縁に話が弾んだ。ひとときの談笑の
あと、帰り際に湯の児名物だという甘いサラダ玉葱をたくさんいただいた。
初三郎が昭和22年に滞在した「桜の間」は、当時のままの状態であると
の事。不知火湾の向こうに天草諸島、そして雲仙を望む壮大な眺めを観て
いると、初三郎がこの地を湯治場に選び長期滞在した理由が良く判る。湯
の児海水浴場も目の前で、今年の夏はぜひ娘を連れて海水浴を兼ねて訪れ
たい。
今日の写真は平野屋の外観。
原画巡りを行った。17日はまず佐敷のご遺族のお宅へ立ち寄り、私が持
っている熊本・鹿児島などの初三郎資料、佐敷に関する資料などを一式、
コピーして届けた。また、佐敷での初三郎の記憶など詳細を聞き取りさせ
ていただいた。その後、佐敷の画室跡を確認して、先日確認できなかった
湯の鶴温泉(水俣市)へ向かった。
湯の鶴温泉・四浦屋旅館も徳富蘇峰および初三郎ゆかりの宿である。初
三郎は戦後昭和22年、全国温泉地画集熊本篇の踏査取材で同旅館を訪ね、
数日泊まっている。当時から数回の改装をしているとのことだが、外観に
関しては当時の面影が残っている。蘇峰の資料など多数あったが、市など
に展示で貸し出して戻ってこなかったり、市へ寄贈したりであまり残って
いないとのこと。
初三郎に関しては、今の女将は全く知らなかったようであるが、先般改
装した際に壁面から大量の掛け軸等が出てきたとのことで、その確認がま
だなので調べて、該当品があれば連絡をいただける約束をした。初三郎が
美人画が得意だったことを伝えると、該当する絵に少々心当たりがあると
のことで、ひとまず気長に返答を待つこととした。
その後、徳富蘇峰・蘆花兄弟の生家へと向かい、立派な建物と数々の資
料をじっくり堪能した。管理人に聞くと、つい最近も某大教授が初三郎の
資料云々に関して問い合わせがあったとのこと。簡単に初三郎の説明をし
たところ、全国にある蘇峰記念碑を写真・解説入りでまとめた書籍を記念
にといただいた。ここにも虹映「湯の児温泉」復刻ポスターが貼られてい
て嬉しくなった(但し、初三郎の作品と勘違いのまま)。
湯の児温泉・平野屋はこの日お休みであったが、ご主人と女将が出迎え
てくれた。ご主人が「湯の児の四季」と題した6点の絵葉書原画であるが、
素晴らしい状態および構図で感動である。ご主人の記憶では確かあと1枚
あったのだが、何かの機会に先代が常連客へ譲ったがどうかで足らなくな
っているはずだという。初三郎の日記を読むと、その記述があった。
この図は昭和22年に訪れた際に7点描いたとある。また3階の「桜の間」
に泊まり描いたという「おぼろ月夜と桜」の絵があって、この構図・状態
のすばらしさにしばし見とれてしまった。桜の季節にのみ、展示ケース内
に掛けるそうである。前田虹映の原画を改めて拝見し、虹映についての資
料を一式進呈し、初三郎の作品と同等の貴重な品であることを説明した。
ご主人が出してきた初三郎からの手紙は、昭和22年元旦の書状であった。
マッカーサー元帥へ皇室経由でビューティフルジャパンの図を献上したこ
とや、阿蘇大観図などの記述がある、印刷書状に平野屋主人宛の直筆文と
絵が添えられたものである。「たぶん差し出しは佐敷の画室ですよ」と言
うと、主人は額から封筒を取り出し裏を見て「確かに佐敷ですね、気づき
ませんでした」と驚かれた。
平野屋のご主人とは今回が初対面(電話等では何度も話すも)、お子さ
んが博多にいると聞き、就職先を聞いてびっくり!私が仕事をさせてもら
っている麻生塾であった(笑)。私の事務所の名も子供さんから聞いたこ
とがある気がする、と言われ意外なご縁に話が弾んだ。ひとときの談笑の
あと、帰り際に湯の児名物だという甘いサラダ玉葱をたくさんいただいた。
初三郎が昭和22年に滞在した「桜の間」は、当時のままの状態であると
の事。不知火湾の向こうに天草諸島、そして雲仙を望む壮大な眺めを観て
いると、初三郎がこの地を湯治場に選び長期滞在した理由が良く判る。湯
の児海水浴場も目の前で、今年の夏はぜひ娘を連れて海水浴を兼ねて訪れ
たい。
今日の写真は平野屋の外観。