唐人町のヘアーサロン男爵さんはこの地域の老舗理容室。ご主人のお父さんの
時代、唐人町の大円寺には西鉄ライオンズの寮があった。昭和29年から34年初め
に百道寮が完成するまでの期間であるが、これは西鉄ライオンズの全盛期である。
29年パ・リーグ初制覇、31年から33年は巨人を破り日本シリーズ3連覇の時期。
お店には、中西や豊田をはじめライオンズの選手たちが散髪に訪れていたそうだ。
人の縁というのは不思議なもので、ライオンズの写真集を創ると決めた時、弟
に話をすると弟の奥さんのお母さんの一族が、西鉄ライオンズの大円寺寮の前の
合宿先である「たまや旅館」の経営をしていたことが判明。豊田さんや故・河村
英文さんの本にたびたび出てくる、ライオンズ快進撃の原点のようなひなびた合
宿で今の県庁前(九大医学部キャンパスそば)にあった。
また、母の姉、私の叔母は昭和33年の伝説の「神様、仏様、稲尾様」の日本シ
リーズの、稲尾のサヨナラホームランで勝った第5戦を平和台で観戦しているし、
冷泉地区でお世話になっている方の中には、38年の最後の優勝を平和台で見届け
た人が何人もいた。出逢いには偶然もあるだろうが、このケースは必然なのだと
思う。必然性がある出逢いには、知人や思考など共通項が多い。
故・和田博実さんと初めてお会いした時、和田さんは「あんたはどこの生まれ
ね?」と聴いてこられ、私は「宇佐です」と答えた。すると臼杵高出身の和田さ
んは「なんね、それなら同郷やないね」と気安く私に接してくれて、自然な流れ
での写真集打ち合わせが始まった。昭和32年から西鉄の正捕手だった和田さんは
稲尾さんの「恋女房、黄金バッテリー」として知られる。稲尾さん、河村さん、
そして杵築出身の安部さん(元祖・ストッパー、38年優勝胴上げ投手)、稲尾さ
んと同期の畑さんらはいずれも大分県出身。
西鉄球団の親会社である西鉄の当時の社長は、驚くなかれ村上巧児翁を筆頭に
歴代社長は村上翁の娘婿である木村重吉氏を除き、代々中津をはじめとする大分
県出身者である。これは村上翁が大阪毎日新聞や三越を経て、日本一山の割合の
多い大分県の水力発電事業を始めた中津出身の和田豊治翁の導きにより、村上翁
が西鉄の前身となる九州水力電気に入社したことに始まる。
この辺の中津人脈のすごさは、今となっては驚きである。医業・経済・流通の
各分野で中津は当時日本一の文化商業的発展を遂げていたのだ。中津の歴史資料
館へ度々顔を出すが、村上翁はおろか和田翁について聞いてくる方は今ほとんど
いないそうだ。福沢諭吉だけが中津人脈ではない、もっと地元の先人たちの業績
を我々は振り返り、先人の知恵や取り組みを今に転化し活用せねばならない。
今日の写真は、8日から始まった博多の風物詩・十日恵比須神社正月大祭の光景。
時代、唐人町の大円寺には西鉄ライオンズの寮があった。昭和29年から34年初め
に百道寮が完成するまでの期間であるが、これは西鉄ライオンズの全盛期である。
29年パ・リーグ初制覇、31年から33年は巨人を破り日本シリーズ3連覇の時期。
お店には、中西や豊田をはじめライオンズの選手たちが散髪に訪れていたそうだ。
人の縁というのは不思議なもので、ライオンズの写真集を創ると決めた時、弟
に話をすると弟の奥さんのお母さんの一族が、西鉄ライオンズの大円寺寮の前の
合宿先である「たまや旅館」の経営をしていたことが判明。豊田さんや故・河村
英文さんの本にたびたび出てくる、ライオンズ快進撃の原点のようなひなびた合
宿で今の県庁前(九大医学部キャンパスそば)にあった。
また、母の姉、私の叔母は昭和33年の伝説の「神様、仏様、稲尾様」の日本シ
リーズの、稲尾のサヨナラホームランで勝った第5戦を平和台で観戦しているし、
冷泉地区でお世話になっている方の中には、38年の最後の優勝を平和台で見届け
た人が何人もいた。出逢いには偶然もあるだろうが、このケースは必然なのだと
思う。必然性がある出逢いには、知人や思考など共通項が多い。
故・和田博実さんと初めてお会いした時、和田さんは「あんたはどこの生まれ
ね?」と聴いてこられ、私は「宇佐です」と答えた。すると臼杵高出身の和田さ
んは「なんね、それなら同郷やないね」と気安く私に接してくれて、自然な流れ
での写真集打ち合わせが始まった。昭和32年から西鉄の正捕手だった和田さんは
稲尾さんの「恋女房、黄金バッテリー」として知られる。稲尾さん、河村さん、
そして杵築出身の安部さん(元祖・ストッパー、38年優勝胴上げ投手)、稲尾さ
んと同期の畑さんらはいずれも大分県出身。
西鉄球団の親会社である西鉄の当時の社長は、驚くなかれ村上巧児翁を筆頭に
歴代社長は村上翁の娘婿である木村重吉氏を除き、代々中津をはじめとする大分
県出身者である。これは村上翁が大阪毎日新聞や三越を経て、日本一山の割合の
多い大分県の水力発電事業を始めた中津出身の和田豊治翁の導きにより、村上翁
が西鉄の前身となる九州水力電気に入社したことに始まる。
この辺の中津人脈のすごさは、今となっては驚きである。医業・経済・流通の
各分野で中津は当時日本一の文化商業的発展を遂げていたのだ。中津の歴史資料
館へ度々顔を出すが、村上翁はおろか和田翁について聞いてくる方は今ほとんど
いないそうだ。福沢諭吉だけが中津人脈ではない、もっと地元の先人たちの業績
を我々は振り返り、先人の知恵や取り組みを今に転化し活用せねばならない。
今日の写真は、8日から始まった博多の風物詩・十日恵比須神社正月大祭の光景。