記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

懐かしさと昭和の記憶に触れた週末。

2007年07月30日 23時01分22秒 | 昭和の観光学
 週末の土曜日、来週4日に開催する地域の夏祭りの「縁日」グッズや花火を実行
委員長や手伝いの中学生とともに、博多区の遠藤商店(駄菓子問屋)へ買い出しに
出掛けた。ここだけまるで時が止まったかのような昭和レトロな空間。私は普段で
も結構利用しているが、まとめ買いの他、商品によっては個別売りもしてくれる。

 この日はとにかく店内は人でごった返していた。大人に混じって子ども達が何十
人と訪れ、今までに観たことないほど盛況。ご主人もてんてこ舞いである。夏祭り
の季節、どこの校区も事情は同じ。少しでも子ども達が楽しめる素材を安価で手に
入れたい訳である。子どもの頃、夢にまで見た(笑)駄菓子のまとめ買いも、ここ
なら可能。いつも「よっちゃんイカ」や「うめミント」をケース買いするかどうか
で悩むのである(笑)。

 駄菓子のコーナーを探すと、やはりあった「前田のクラッカー」。袋のパッケー
ジも昔とほとんど変わっていない。もう10年くらい前、妻がリカちゃん人形など
を熱心に集めていた頃は、この遠藤商店をはじめ福岡・熊本・大分各県内の古い玩
具店巡りを休日ごとにしていた。遠藤商店では、昭和40年代のリカちゃんドレス
ロッカーなどが10いくつ当時のまま棚の奥に在庫があって、妻はまとめ買いした。
おばあちゃんが棚卸しのメモから値段を調べてくれたが、当時のままの値段からさ
らに「古いから」と値引きしてくれて驚いたものだ。

 遠藤商店のある綱場町界隈は、昭和30年代の面影が色濃く残る地域。最近は店
屋町から老舗の「チョコレートショップ」が移転してきたので、少しだけ往時の賑
わいが戻った気分だ。旧下川端からの通称「寿通り」沿いのこの通りからひとつ海
側の「綱敷天神」のある通りはさらに昭和30年代!大好きな菓子店「博多献上本
舗ばんぎや」もこの通りである。

 この界隈も次々に古い店舗が閉店し、マンションが建ち始めた。ちらし寿司が好
きだった第一玉屋すしも3月初めに閉店、リバレインの売店も閉店したので、もう
空港まで行くしかない。

 大にぎわいの遠藤商店、選んだ花火や縁日グッズを勘定してもらう間、皆で福寿
飯店へ行き、冷麺や坦々麺を食べて時間をつぶした。いつもはチャンポン等を食べ
るのだが、この日は冷麺にチャレンジした。

 この日は早朝から仕事をこなし、昼は夏祭りの準備、そして夕方には実家へ娘と
ともに向かった。道中、運転しながら娘に社会科の問題を出す。都道府県名や県庁
所在地から始まり、各地の特産品や果ては原子力発電所の所在地まで質問で出す。
先日の全教研の模試では原子力発電所の分布図が出て、私と事前にやりとりしてい
たおかげか、この問題は判ったそうだ。

 実家へ到着し、この夜は母と昔の話を随分した。23年前の「カワセミ」がいた
夏のことも確認、私が高校の課外授業で出掛けている間は母がカワセミの世話をし
ていたことも思い出した。互いの記憶違いも少しあったが、憶えていることを総合
していくと、私が忘れていたことも随分あった。カワセミが魚を食べる際の食べ方、
アタマをくわえて魚を地面に叩きつけ、骨を粉々にしてから丸飲み(笑)。

 私はカワセミを2ヶ月くらい飼っていたと思っていたが、母の記憶だと7月20
日くらいにヒナを連れてきて、8月20日過ぎには耶馬渓へ放しに行ったという。
そう、私は成長したカワセミを放す際に同行していない。一応受験生だった訳で、
模試やらなにやらあったのだった。

 ヒナの頃、というか最初は何を食べるのか全く判らず、母は私が不在の時にシラ
スを捏ねたものや、いりこを煮たものなども食べさせようとしたそうだ。しかし結
局、メダカなど生きている魚しか食べないのが判って、私や弟(当時は小5)があ
ちこちメダカ探しに行ったとのこと。私は不在中は弟も随分かり出されて餌集めを
したそうだ。

 数年後、わくわく動物ランドでカワセミの生態が話題になった際、番組でも紹介
されなかったようなカワセミの生態を我々は体感していたことになる、と母は今も
それを自慢げに嬉しそうに話してくれた。私は母とは随分色々な話しをしている方
だと思うが、それでも知らない事も多い。まず何よりも自分の実の父については、
ほとんど記憶が無い訳だが、その辺りはあまり母も語りたがらないので私も聞かな
い。

 翌日の日曜日、朝一番に中津城へ娘を連れて行った。戦国時代を勉強していると
のことで、お城(天守閣)を見たことがない、というので連れていった訳だ。丁度
土曜日の西日本新聞一面に「中津城売却」の見出し!最後の城主だった奥平家が今
も所有しているのだが、土地や建物の売却先を選定中だとのこと。地元の人にとっ
ては寝耳に水の話、しかもこの日は中津が一年でも一番賑わう「中津祇園」の日で
もあって、城の周囲では町ごとに祇園車が町内を練り歩いていた。

 奥平といえば「長篠の戦い」である。資料館には戦の際に着用していた甲冑や、
戦絵巻図、家康や信長ゆかりの品が多数展示してあって、しかも火縄銃もある。
娘は「教科書に載っている」と興奮して私のカメラを奪い取り、夢中でシャッター
を押した。私が一番気になったのは横綱・双葉山の化粧廻し(笑)。中津城を建て
たのは黒田孝高(如水)だよ、福岡城(舞鶴城)を建てたのと同じ人たちが建てた
んだよと説明。そう、中津は黒田家とゆかりの深い地である。

 中津城は戦後の天守閣復興ブームの中で、小倉城や唐津城などと同じように復刻
された天守閣を持つ。昭和40年代から50年代初めにかけて、お城の北側には遊
園地があった。小さい頃、よく母に連れていってもらった地であり、母と別れた実
父に当初引きとられていた私は、3つの時にこの地にあった遊園地で母に引き渡さ
れた。今の養父に初めて会ったのは、6歳のときに別府のラクテンチ。案外自分で
も憶えているものである。羅漢寺の山頂にあった「つるのくに」も含めて、小さい
頃の私の思い出はいつも遊園地とともにある。

今日の写真は「中津祇園」大正末から昭和初期の絵葉書。

アンティーク絵葉書に観る懐かしの風景・町並み
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鳥瞰図絵師・前田虹映

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