記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

「地質図Navi」博多駅エリアと旧福岡市域の対比が興味深し

2016年11月15日 14時09分40秒 | 福博まちの記憶

11月8日早朝に発生した博多駅前の道路陥没は衝撃的でしたが、早期埋め戻し&復旧で少し安堵しております。旧産炭地ゆえの陥没事故への対応蓄積がノウハウとなり、日本の近代化を支えた福岡県ならではの一致団結力や対応力が垣間見えて驚きの連続でした。

図のように産業技術総合研究所「地質図Navi」で確認するまでもなく、博多駅前の大陥没地を含めて博多区中央部は基本的に砂地(砂州)です。1999年や2003年の御笠川水害時もそうでしたが、博多駅周辺は1960年代初めまで水田の低湿地で、大雨が降ると水は周辺から一帯に流れ込みます。1963年12月に博多駅が現在地へ移転するのに合わせて、一帯は区画整理が行われ小川や水路の多くが暗渠化されました。

キャナルシティ博多の北端(櫛田神社南門付近)や祇園町付近とは2〜4m以上の高低差があり一帯で最も低い土地が博多駅界隈。わずかな高低差ですが、博多部や天神中心エリアとは地盤が違うのを改めて認識させられました。なぜ博多部にまちが造られ、天神エリアが城下町になったのかもこの地質図でよく分かります(クリーム色が地盤の比較的強い旧来の陸地、薄いブルーは砂地です)。

で、2枚目の明治末の地図絵葉書はオレンジ色が当時の福岡市、城下町福岡と商都博多という元々街が形成されたエリアです。改めて見てみると地質図のクリーム色と地図絵葉書の旧福岡市エリアとほぼ重なっていて興味をそそります。

戦前まで福岡平野は稲作地帯、現在の博多駅一帯もその一部なので1960年代までは無数の水路が入り混じったエリア。御笠川と那珂川に挟まれた一帯は過去幾度も大水害が起き、水害対策はこの10数年で一挙に進みましたが、整備されてから50年を経て水道管などの老朽化を考えると、新たな陥没対策も始まったばかりですね。

今回の陥没事故では、御笠川の東岸にある我が家は下水使用自粛や避難勧告などの直接被害は免れましたが、川の対岸は対象エリアでした。個人的に川辺に住んでいる以上、常に水害の危険もあります。2003年の水害ではマンション敷地の立体駐車場は水没、さらに2005年の地震ではマンション敷地に面した市道は10〜15cm下がって敷地と道路に大きな段差が出来たものの、市側は「下がっていない」の一点張り。ということはマンション等の基礎が隆起したという事になるわけで(笑)周囲の建物をみても明らかに道路が陥没しているのですが…

大量の砂がマンション基礎の周りで流れ出しており、陥没も敷地内に随所にあって、先年のマンション大改修工事の際に埋め戻しやライフラインの調査を念入りに行い最低限の対処をしました。とりあえず今回の陥没事故を経て、再調査の必要があるのか経緯を見守りたいと思います。



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