marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(24回目)

2016-06-14 20:51:47 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆ 前回は意気込んで終わってしまった。しかし、だいたい意気込んでいる言葉とはそもそも冷静に考えると何かが欠落しているような気がしてくるものだ。それは、人の限界思考として許していただくこととして、さて、今日は 昨日のつづきの不思議な、一見何を言っているのか、しかしナンとはなく聖書に食らいついている僕としては嬉しくもありという感じで・・・。
◆ヨハネ伝12節、13節「しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。(12節)この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。(13節)」(これは新共同訳)ここで言(ことば)はイエスをさしているので、(言)イエスを受け入れ、その名を信じる(ここ大事、過去形でないので、進行形というか現在形)人々には(ここも大事、複数だ、全部の人という意味)神の子となる資格を与えた(イエスとパラダイスに住むであろうパスポートをもらえたという意味か。でも資格だけでパスポート落とすかもしれん、乗り逃がすかもしれんな。つまり、入学したというところかな・・・とういことは、やっぱ残りの人生で勉強だな)、で、それから13節 血、肉、欲によるのでないと・・・。これは、実は、ものすごいキーポイントなんだと思うな。もう一度、書く。ものすごいキーポイントなんだ。前回意気込みの、すべての(自分において「すべて」とは何が該当するか考えよ)しがらみから解放されて・・・強調したいのは、そのしがらみは前回の「よく考えて見て下さい、その障害を」・・・も含むのものですね。自分の人間的な欠陥もすべて含む(つまり頭悪からとか、いまれ付き身体的欠陥があるとか諸々すべてを含む・・・)いいですか。我等は、つたないながらも初めはよく分からずとも、「まず自分の言葉で永遠の命をあたえる神の言を読む」でした。結論から言えば(極端に言えばと書いた方がいいか)地上のすべてのしがらみから解放されて、永遠の命を持つ天国に行く、つまり、死ぬことが必然のこの地上から、生きてわたし(イエス)を信ずる者は死ぬことがないと言われた、そのパラダイスへ脱出(エクソダス)することにつながるその彼の言葉を読み解いて行くのですね。イエスが、そのことを保証してくださるというのだから。そのしがらみとは、どこぞの新興宗教のようにすべてをなげうってと読めるところもあるから要注意ですよ、無責任になるということでは決してないのだから。ですから何度もいうが、自分の言葉でイエスの言葉を聞くという原点からいつも始めなければいけないということです。・・・Ω

世界のベストセラーを読む(23回目)

2016-06-14 19:31:46 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆ 昨日は、神妙に書いていざ投稿しようとしたらメンテナンスの日、すべてが消えてしまっていた。ヨハネ伝を読むに第1章1節~18節でうろうろしている。昨日の神妙な内容もかなりみなさまには知っておいてもらいたい内容ではあったが、神の秘密をあまりに素人分際でゲロしてはいけないというお達しだと自己納得して、今日は昨日の内容はいずこかに書くことにして、気を取り直して続き。               
22回目では、ヨハネ伝第1章1節~4節あたりはイエスがパラダイスにいたころの話だろと思い、お話していたとおり引照の小さな文字を見ると関連記事は、それ索引にはやはり創世記1/1 と書いてあるではないか。(ごめん、5節までがはいるかどうかは不明と書いておく、5節は天上界から降りられて、この一節は天上の事とは思われないからね。何故って、天上には「闇」がないと思うという単純な理由から)。それで今度は、創世記第1章第1節を読む「初めに、神が天と地を創造した。」この一節のみ。消えてしまった昨日の内容にはこの以降の秘密が書いてあったのよ!少し難しくなるが先の(5節)と同じ理由の疑問「?」が2節から書かれているの。1節はパラダイスの完成、ヘブル語原典では、この1節は完了形で書かれているのだそうだよ。つまり、これから天地創造するぞ・・・の前置きの言葉ではなく完成していたということ、パラダイスね。2節の間には大変な断絶があったということなの。地は「混沌」としていたとあるが、そもそも人間には、分かる「混沌」という言葉が使われてはいるが、神にとっての「混沌」と言う言葉はそもそも何なのよ・・・といことになるからね。そう、そのようにしてしまった「神の使い長である(後で)サタンとなった業が・・・」とか言う話は、そのうち考えることして、つまり、ヨハネ伝の中のイエス御自身の言葉から完成された天上パラダイスでは父が自分に栄光をお与えになっていたということ。それをを学んできた。6節以降は、記者もヨハネと言う名前で煩わしいが、洗礼者ヨハネのこと。で、前回は12節について書いた。イエス、言、光の名を信じる人々(複数形)には、「神の子」となる資格を与えたと。2000年以上も前に書かれた物ではあるが、人が生きて存在している限り神御自身も生きて、動いて、働いているというから(今も)有効なる言葉であるとなる。無償です、信じて下さいと成るわけだ。「神の子」に成るんですよ。はい、ここで自分の心に正直になって欲しい。何が障害となってますか。僕が日記を書き始めた理由の一つは、それをブチ壊すことなのだ(と急に勢いづいてくる)。「真理はあなた方を自由にする」とイエスは言ったではないか。人生は、一度しか無いのだよと更に勢いづく。すべてのしがらみから解放されて永遠の命を与える神の言葉を我等のものに!!・・・Ω ※今日の写真「イエスとその時代(荒井 献 著:岩波新書)」Book Off 100円なり。