◆世界のベストセラー聖書を読む◆ さて18回目で佐藤 優さんが聖書を読むのであれば、引照索引つきのを推奨しておりますことを述べました。それからM・ルターさんの推奨で、福音書はヨハネ伝を読んでいますが、当時のイエスと話された人々のいた時代背景と、またどういう議論が、天の父からつかわされてきた自分(イエス)の会話であったのかを推察しながら読んでいくと、さらに深い理解が深まると思われます。この辺のところは、沢山の解説書なりがありますので、少しく学んでいただくことを希望します。「イエスとその時代」(荒井 献著:岩波新書)を推薦しますがちと難しいか?。 一見無味乾燥と思われる極めて情緒性を抜いた聖書も読み続けて行く内に、神と人、人と人との関係などが だんだん対等の間柄になってくるように思われるのです。これが人格神と言われることなのか、どのような人にも対等に関わる人権という思想がでてくるいわれなのかなど、何故かじんわり思われてくる・・・。さて、それでも、異邦人である我々には、イエスがそういう方だと理解されても、民族的に住む地方、伝統やその長い歴史感に引っかかりがどうしてもあるのではないかと思う。昔、和辻哲郎でしたか、砂漠の宗教などとして「風土」というちょっと有名になった著作がありました。いろいろ、今の世界をも底辺で動かし、その民族の歴史を通して様々な考えが生まれてきたことなどを考えると、自分の言葉で神を見いだそうとしてきた格闘の歴史のように思われてくる。今は、かなりの世俗化がおこって、ひとりひとりの「霊的なる質」の時代になってきたように感ぜられるのは僕だけだろうか。人類の滅亡が必須と思われる原発もやむところの気配はないし、イエスと会話をする人を多く起こさねばならんなと考えてしまうな本当に。ありあまる徳は得るが、損は全くないのだから。
第1章第1節 「初めに言があった。」 ことばは「言葉」でなく「言」とうひと文字。消えていく音ではなく、ものをあらしめるすべてを包括し、いのちを吹き込む 神のロゴスを「言(ことば)」と著した。なぜか、この冒頭の一節でもぞくぞくするんだよねぇ。ようやく、最初からとりかかる気配が出てきたかな・・・Ω 今日の写真は「神学部とは何か(佐藤 優:新教出版社)
第1章第1節 「初めに言があった。」 ことばは「言葉」でなく「言」とうひと文字。消えていく音ではなく、ものをあらしめるすべてを包括し、いのちを吹き込む 神のロゴスを「言(ことば)」と著した。なぜか、この冒頭の一節でもぞくぞくするんだよねぇ。ようやく、最初からとりかかる気配が出てきたかな・・・Ω 今日の写真は「神学部とは何か(佐藤 優:新教出版社)