◆世界のベストセラー聖書を読む◆ 前回は脱線してルカさんの記事を載せてしまった。だらだら文字ばかりなのでビジュアル的に 深井智明著 「神学の起源―社会における機能」(新教出版社)の写真を先に載せます。その中に先の回に写真を載せた佐藤優の「神学部とは何か」のことも少し触れている。(p22)「・・・というような本を読んで意外に面白いなと思ったとか・・・神学そのものについて少し知りたい、ということから本書を手にとられたのではないかと思う。・・・それゆえに突然神学の諸学科の内容を説明されても。あるいはバルト(神学者カール・バルトのこと)のように「中に入れ」と言われても、とても入門などできないのである。むしろ神学とは一体なぜ必要になったか、神学とは何であったのか、そして今なぜ神学が必要なのか、と言った話が「入門」のさらに前に必要なのではないかと思うのである。」・・・ 以下 本屋で読まれたし 結論は第8章p22・・・著者の意見が書いてある。ジュンク堂は立ち読みokよ(汚さないで見てね)。 僕がブログで訴えたいこと。「入門」の更に前に必要な・・・とあるが、更にその前に必要な簡単だが実に奥が深い(深すぎてこの国では泥沼になって腐ってしまうと嘆いた小説家がいたが)が、自分の言葉で読んでねということであった。我等は弱いから、瘡蓋ばりの組織体にのっかてしまった所に先ず来てねとそちらの道の方が言われるが、こんな小難しいことやたらとある組織体の中に来てねと言われても、訳が分からんから嫌だというのが正直なところ(僕ではなくおそらく皆さんが)、だから若松英輔が出した本の帯に書いた言葉が良く分かるのよね(先の回さがしてください)。おそらく、この国のそちらの道の方々は、自分の言葉で教会形成の為の、伝道の為の神学などは持たれてはいない(組織体の言葉は持たれている)。そこでは、「従順」ということも訓練されるようですから、かつての瘡蓋引き離して、それに少し薬を塗りましてそれで義(よし)とされている方が多数かと思われます。神学は奥深いです。時代により、また、それを語る者に対しては神がその時代に要請したのであろうと思われるもの多数。従って、それをかじったところでどうも人間はそれを鎧、甲にしたがるが決して普遍化できるのものではないのです。なぜなら、その時点ですでに人間の言葉に転化されている、従って常にあることは、まず、自分の言葉で永遠の命を与える神の言葉をひとりひとりのものに!ということになるのです。本来の神学者は時代と闘って来たのです。神はそれが意に沿わなければ必ず時代に哲学者なりを起こした。人々はそこから多くを学んで時代を前進させてきたのです。次回からヨハネ伝に戻ろう・・・Ω
◆世界のベストセラー聖書を読む◆ 今日のブログを読まれる方はラッキーです。・・・なに! 何千年に渡り腐るほど(失礼)研究書も解説書もある聖書を読むだと! と殆どの人がまんま表題にするとよほどのノータリン(頭の弱い人=すみません禁止用語?)かオタクだろうと思われるので「聖書」ということばを表題に書かないことに。 こんなの信じて命を賭けて伝えようとしたなんて信じられない・・・が一度きりの人生だ、知ったところで今の時代は、牢屋にぶち込まれる訳でもないから、そしてうまくいけば自分も天国とやらに行けるかもという下心があってもいいので、兎に角、自分の言葉でまずは読んで見てね。で、まずは福音書はヨハネ伝から、他見なくてもということを例のルターさんが言うとるので始めてきました。◆課題は「自分を知る」ということは難しい、自分を考える「言葉」自体を持っていない、持ちにくいということ。それから「言葉」には、意味伝達の話せばその場で役目を終わり消えていく言葉もあるが、そして普段それを我々は使っているが、それもすべて含んでとういうか包括しているというか、言葉がすべてをあらしめているというか(この辺が難しいところだが)、言(「葉」が無い)、ロゴスという神の「言(葉)」があるようなところを学んだ。僕が無謀なことのような(「ような」と書いたのは、無謀だと思っていないからだが)聖書を読むと始めたのは、理解する人は理解するだろう、しない人はしないだろういう禅問答のような中に、すべてのしがらみから解放されて永遠の命を与える神の言を我等のものに!という意気込みに賛同されて下さる方が一人でもおおく生み出されないと、おそらくこの日本の国の今のキリストきょうかい(ここで漢字にしないのは全体という意味が含んでいるので)においては、伝道といいつつ、自らがその壁をつくって権威づけによって神の言葉の伝達を阻害していることに自ら気づいていないのではないかと痛感しているからなのです。組織体の中に満足しているだけではありませんか? そんなのは長い歴史の中でていたらくになっていくばかりではありませんか? そこで、いかめしく小難しい本をいくら翻訳したところで、それはそれでご本人は一生懸命奉仕されているのでよろしいのでしょうが、まずはそのような本は高すぎ。内輪の人のみの満足だけとはなってませんかね? と疑義を呈しているのです。実は、それよりbook offで100円で売られている神の言葉(中味は変わらんのだ)を、生きている今、この自分の言葉で読む、読んでもらう、イエスの声を直截聴く、聴いてもらうということがいかばかりか重要なのではないかということなのだ。今日も脱線! それで最後にラッキーな記事を。なんとイエスからパラダイスに共に行くとよと保証された人間がいたのである。ルカ伝の方:第23章41節から43節。此の中に上の課題の答えらしきものがある。何も心配はいらない・・・Ω