◆世界のベストセラー聖書を読む◆ 「聖書」の後に「自分の言葉」でという文言が隠れておりますことをご理解ください。「読む」という行為に対して、そんなことは当たり前ではないかと普通は思われるでしょうが、小難しいことを言わせていただければ、聖書に関しては、内容がなにぶん神様の言葉らしいのでだいぶ趣が変わってくるのであります。「聖書」は、普遍的で内容はともかくも、先の回にも書きましたが、「自分」とか「言葉」とかに読まれる方が疑問を生じさせて来られたとするならば(何故か、このような事を考え始めるのは悩むという、まさに壁にぶつかった時に客観的に自分を見つめるような時に立ち現れるらしいのですが)、相当のレベルでそのような方はイエスの語られる「真理」とやらの秘密の扉を開く資格に近くあると感じて欲しいものです。しかし、本来、そのようなことは、こちら側(人間側)の言い分でありまして、小難しいことは一切考えずに、一回だけその道を伝える方の話を聞いて洗礼(これは後で)を授けてくださいと願い、その後、教会の奉仕をされ人生をまっとうされた方を身近に知っておりますから、その領域につきましては、このブログでは畏敬の念を感じ踏み込まないことに致します。さて、ヨハネ伝から、三位一体(こういうまとめ方も難点、これも後で)と、その中の聖霊について拾いました。すべて、イエスという方の言葉からさがしました。そして、真理の霊=聖霊がすべてを教えてくれるであろうということも話されたことも見つけました。今後、条件はイエスの言われたことから離れないこととなります。これは別に宗教的な抹香臭いお勧めではなくて、そのことを意識しないとおそらく、父なる神が御子イエスを通して話されたことを思い起し、聖霊がその伝達をされたのであろうとの推察はできないだろうから ということになりますね。何度も書きますが、生きている動いて活動されている聖霊が導いてくださるであろうということをイエスが話されたのですから試されることをお勧めします。いいですか読むのは自分の言葉です。他人の言われたことではない。ぼんやりしているものではなく、少なくとも命ある今という時にいつかは消滅必須のこの肉体を持つ私が、「生きて私を信ずるものは死ぬことがない」(ヨハネ伝第11章26節)と言われたイエスの言葉を読むという行為のなかに、自分の言葉でそれを見つけ整理して理解することは「真理はあなたがたを自由にする」(同第8章32節)のパスポートを手に入れられた事になるということになります。少し先を急いでしまいました・・・そう、読み取れるということだけです。・・・Ω