◆世界のベストセラー聖書を読む◆ 気を取り直して、自分の言葉で聖書を読む。遅々として進まぬヨハネ伝第1章終わりの方。これで第1章終わらせる。ところでどうして、他の福音書はすらりと書いているのにヨハネ伝は「最初の弟子」についてこだわるようにそのいきさつを書いているのだろうね。福音書を述べるには、どうでもいいこととは思わないが、少しいらない記事なのでは・・・と思ってしまうが、どうしてどうして思うにヨハネさんは福音記者の中で最も長生きしたと言われているからね。パトモス島で書かれたと言われる最後の黙示録も書いたのではと言われているから、とても長生きした使徒ではあるがいろいろイエスの話を書くのに周囲から出来る限りのことを聞き取って書いていったのでありますけれど(他の福音書は、最初に書かれたと言われるマルコを下敷きに書かれた形跡あり、正確には共通の伝承資料を用いていると言われる、荒井献著のイエス・キリスト<下>に比較あります)、おそらく最初の弟子についてはどういういきさつだったかは、存命する弟子たちの間では重要な話の話題だったに違いないと思うね(注釈に「事件」とあるからな)。だから、ここに最初の弟子のいきさつを入れたのだな・・・と推察する。◆ところで、おい!待てよ。いのちのみことば社(以降「い社」書く)に書かれている時間と日本聖書協会の新共同訳聖書の時間が違うでないの?(39節)かたや10時(**付いてる)、後の方は午後4時ころと書かれているぞ!? 聖書は誤りなき神の言葉でなかったの??それで、「い社」の引照索引・チェーン式の欄外を見ると(とじ目の小さい文字の方の **直訳「第十時」この書では共観福音書(ヨハネ伝の他の先の3つのこと)の時刻の呼称と異なる方式を用いたとみる。同じなら午後4時。(と書かれてますね)で、下の欄外チェーン式39節には、午後4時とする方が事件の推移に適合する。イエスの宿泊所に夕方着いた二人はその夜をそこで過ごした。したがって、41節、42節はその翌日の出来事。(だとさ。いずれ長生きして、この福音書には、「一番愛された弟子」とか、「あの弟子」が とか出てくるのは、福音記者ヨハネ自分のことなのですね。ただ、残念なのは、最初の弟子の話は聞くしかなかったから、時間も内容も前後したのかしらね、やはり。適当に書いたというわけでは無いだろうけど・・・。※その道を説く方にお尋ねしなさい。きちんと返答された方は、ギリシャ語の原点をよく学ばれた方です。)ところでもう一つ、ナタナエルって誰さね(45節)。弟子となると書いてあるが12弟子の中にいたかよこの名前(これ、先よみフライングでマタイ伝第10章みてるからごめんね)。それで同じく「い社」のこの欄外を見るとバルトロマイと同一人物と見なされる(と書かれているね)。いやはやド坪にはまりそう。やはり、イエスの言動を焦点にした方が良さそうだ。ようやく第1章終わり・・・Ω