あの時代、あの国には様々な教派があって、内村は体験を通して、最終、人そのものによる信仰なのであって、正当とか「正しき教義(Straight-Doctrined)」とよばれるものは価値がないと思うようになります。そしてこう思うのです。◆「真の寛大とは、自分自身の信仰にゆるぎない確信を持ちつつも、あらゆる確実な信仰に対しては、それを許容し認めることであります。自分が、ある(some)真理を知りうることを信じ、あらゆる(all)真理を知りうることを信じないのが、真のキリスト教的寛大の基礎であります。それが、全人類と、有効と平和的関係を持つことの源泉であります」、と。(キリスト教国にて)◆さて、バイデンさんは、まったくもってはっきり聖書の言葉で宣誓するのだけれど、その受け取りの事実は人によって異なるかもしれなし、否、事実、理解度の深い、浅いは異なるのです。同じキリスト教国での、共和党、民主党、いづれもキリスト教国の人たちではないか。個々人の信仰の現われが、集団と言う国となり、政治と言うOUTPUTの現実に現れるとき、姿を変えて現われ、あるいは、ユダヤ教信者のトランプさんの背後におけるブレーンであった娘婿のクシュナーさんが、頭をもたげて世界の脅威になってきた中国に覚醒を促すためにとのトランプさんを登場させたのであったか、そして、役目は終わったとみなすのか。◆当時、内村は同様な状況に心に思い日記にこうつづるのだった。『2月18日、多くの疑惑。少なからず悩んだ。私の心を固く神の上に定めなくてはならない。人の意見は様々だが、神の真理は一つであるに違いない。神自身によって教えられるのでなければ、真の知識が得られるはずはない。』(同)・・・続く
内村のキリスト教国の第一印象は次のようだった。◆「天よ、私は、まいってしまいました! 私はだまされました! 平和でないもののために、真に平和なものを捨ててしまったのであります! 昔の信仰に立ち戻るには、今では遅すぎます。だが、新しい信仰についていくこともできません。さいわいなるかな、無知よ。もし私が無知ならば、私のおばあさんを安心させた信仰にとどまり、他の信仰は知らずに過ぎたかもしれないのです! 祖母の信仰は、彼女を、勤勉にし、忍耐強くし、誠実にしました。その最後の息をひきとるとき、祖母の顔は、後悔の心で曇っていませんでした。祖母の信仰は平和でありましたが、私の信仰は懐疑のうちにあります。祖母を偶像崇拝者と呼び、その迷信をあわれみ、その霊魂のために祈った私は、わざわいなるかな。すでにそのとき、私自身が、恐怖と罪悪と懐疑とにかき乱されて、底なしの淵にはまっていたのでありました。今後もけっしてするつもりのないことが一つあります。それは、キリスト教を、ヨーロッパやアメリカの宗教であることで弁護することであります。この種の「外的証拠」は、証拠として薄弱であるにとどまらず、実際にも、一般には悪い影響を与えます。永遠なる霊魂を支えるにたる宗教とは、そのような「見せかけ」の宗教ではなく、もっと確実にして、深遠な基盤の上に立つものでなくてはなりません。・・・・」(「キリスト教国の第一印象」より)◆僕らは、昔からそのようなフェイクとして民主大国、アメリカを見てきていたのではないだろうか、と改めて思わされたのだった。
◆アメリカの大統領選挙、その他、いろいろな混乱の中で、あのキリスト教国は多々、問題を抱えながらも、民主党バイデンさんは、就任演説で聖書も引用し、再び、本来のアメリカに戻っていくのかの感があるが、共和党のトランプさんも多くの訴えが何を言わんとしてしてたのかは、分からぬでもないということである。共和党のごとく、企業の儲け優先すれば、お金儲け、国自体は強くなるだろう、民主党のように弱者救済に傾けば、それでけ発展はなく経済は停滞するというジレンマがある。民主党の恩恵を受けながらも、気が付いたらその儲けのお金で、軍事力に投資し、他国の民主化、領土も自分たちのものと覇権を振りかざす中国が現れて・・・。◆昔、その国へ上陸したのは、内村が1884年の11月24日こと、そして帰宅したのが4年後の1888年、5月16日のことであった。彼のアメリカでの上陸後、キリスト教での第一印象を次の(758回)ように述べている。この度、本来のアメリカにも戻ったように見られたのは、テキサスはブッシュさんが出たところだから共和党だとしても、ほとんどが大西洋、太平洋の本来、教養がありそうな沿岸部で票を獲得したようにも思える。それは、メディアの方らが、アメリカの理想を思うそれなりの教養人たちであって、トランプさんは、だから、きれいごとのみのメディアをフェイクだと言ったのだろうか。それは、昔からだったのだろうか?・・・続く