marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

(その2)ミニマリストと貧乏性:僕らの生活と資本主義

2024-09-20 12:06:19 | 日記

 恥ずかしげもなく(病気になると多くの人は、病名など伏せるようになるからこう書くのだが・・・)、『脳神経外科』などに入院すると、いよいよ危なくなったか、という思いを抱かせるのですが、理学療法と作業療法なるものもやって、退院する帰宅時には、車には乗れませんからといわれ、今年の元旦でもあって、まったくタクシーなどもお休みで、雪のない晴れやかな朝、(すぐ目の)神社への家族や恋人らのお参りの様子を見ながら、知り合いの姉妹の車を病院の門で待っていたのが、今年の元旦の日であった。

 その後で、また、この夏に2度目のお世話になったんだけれどもね・・・。といって、車にも乗っているし、まったく異常がないのだが、その療法なるものも今回はやらない、先と違い、今度は近くのご両親様が昇天したその病院で、まぁ、あんたも歳も歳だし気をつけなさいという警告と受け取り、退院して、一応気をつけて暮らしている。僕が行くのもそこでだろうが、まだお迎えには、かなり早い。

それで一度目入院の、その姉妹というのは、お二人が一台の車で来ていただき、僕が車は運転禁止(免許センターからというか、警察署のお許しがでないと、頭関係で入院した人はそういう厳しい許可が必要のため)、お一人が僕の車、で姉の方に僕が同乗して、僕の自宅まで送ってもらったのだった。

ちなみに、先の作業療法と理学療法とは、まったく問題無くて、その後もすぐにこっそり、運転してたんだけど、3週間ほどで市内の中央警察署から、電話のみで運転OKと連絡があって、普段通りの生活になったという訳であった。(療法で100から7を順番に引いて言ってください、という試験はするする行かんかったけど、問題なく合格し・・・)

冒頭から、表題のとは異なる話となったけど、僕らの生活は、すべて表題と繋がっているように思われるのだ。・・・で、話は次回、続いて行きます。

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総裁選挙も間近だし、すべての僕らの生活は、この地球に生き物として繋がっているんだなぁ、などと、あれやこれやを思い出しながら、ボケ防止のためにblogへの投稿の為のタイプを叩いているのであった。・・・