marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(493回目)僕が”しがらみ”と語っているさらに難しそうなこと(その1)

2018-03-20 07:20:22 | 日記
 今回、読まれる前回に掲載した雁谷さんのブログの内容をご理解ください。 
◆普遍的な事柄を人が肉体をその時代にもって生まれ、生き、考える、output(言葉で言い表す)ということは、実に難しいことだということを先のブログから考えてみたい。僕が、このブログで”しがらみ”と書いてきたことがらのクライマックスのような文章が先の雁谷哲さんのブログの内容のようなことだからです。つまり、普遍的な事柄であるにも係わらず、なぜかの知識人は異なる見解が出てきたのかということ。個人の生き方は、それぞれ異なって当然なのであるが、肝心かなめのところでの見解の相違と、また、今の雁谷さんのブログを書いたこれがおそらく一般人と同じなのだろうと思われるその考えについて・・・2009年の記事ですからお考えは変わっているかもしれませんけれど。
◆知の巨人と言われた加藤周一という方が「カトリックの洗礼を受けられたことについて大きな衝撃を受けたと書かれていることについて」・・・いずれ人は、必然的な死の際、遺体の処置の所作を選ばねばならないということ、それこそ神道か、仏教か、キリスト教か、で加藤周一はキリスト教を選んだということだけなのかもしれないが、少なくとキリスト教は生まれも死後もどのような中に有り永遠の世界に住まうのかは他に比べてはっきりしていることは言える。知識人のひとりであろうかの評論家小林秀雄の妹さんが昔、高見澤潤子という方でYWCAの会長さんだったかと記憶、しかし兄貴はモーツァルトやドストエフスキーの評論を書いたが(確か20代でドスを読んでない奴は信用ならんと言ったそうだが・・・)、キリスト教は分からないという(この答えは彼にとっては正解)ことで、お墓は確か名前もない五輪の塔であったと記憶している。「無私の精神」とかの著作もあるが(他に僕は彼の全集あるけれど)が、お葬式は何でやったのだろうな?で、いずれこの国を知るには、彼の評論も読まんといけない。最後に日本文学大賞をもらった『本居宣長』などは日本古来の心情がまさに信条となったようなとても、うなる文章をお書きになっておられた。話は戻り、雁谷さんブログ・・・
◆「聖書を読み、コーランも徹底的に読んだが分からなかった。わたしのように直線的、単線的に科学的な思考しかできない人間にとって聖書もコーランも理解不能のものだった。理解できない物を受け入れることはできない」と書かれていることについて・・・。とは言うけれど、キリスト教の歴史から言えば科学者の方が宗教家が多いような気もする。かのニュートンは神学書もどきも書いているし、僕の好きなマイケル・ファラデーなどはまったく疑うことなくキリストの神を信じていたのだ(あの当時の人々は皆そうだった)・・・で、受け入れることは出来ないという前に、科学者の言葉にする対象物は眼前にあっても今一度、その言葉を「そのようなことを考える自分とは何か」という自分という人間について点検し、言葉にしていくことが求められる。おそらく、誰でもが、肉体に引きずられる言葉(気が付く、付かないに拘わらず)に影響を受けているのだから。これは後ろ向きのかなり後退した言葉であると書いてきたが(だから殆ど人が分からないというか気が付かない)、それは肉体をも含めた外へ向かう言葉でなく、自分という人間を見つめる言葉の要請を宗教書は求めているからである。
◆第一に創世記には、神の似姿に人を創造されたとあるのだから、人を知ることは神を知ることに繋がるという考えが医学というものに寄与発展してきたと言えなくもないのだから。いずれ、長い歴史という先理解の事柄を踏まえないと、それらの宗教書は読んでも分からないということになる。実のところ、どのような宗教家が今でも語ることをやめないのは、先の養老孟司さんの「感覚と意識」、僕の言葉に代えるなら「肉体に引きずられる言葉上の戦い」のような語りが、その相克が必然の自分の死に向かっていく、それを乗り越えようとする言葉の模索になっているからだと言えるのかもしれないし、おそらくそうだろう
◆雁谷さんは、加藤が「カトリックの世界に自分自身のすべてを埋めることになる」と書かれていることについてなのだが、このようなことを書かれるのがすでに人間の限界を示していると僕は思うし、それが自分からの意識できない”しがらみ”から離れて人は思考、判断は殆ど無理というくらいにできないのだということを示しているのです。雁谷さんの後半のかの百年前の大知識人、中江兆民の総括の言葉の紹介も、時代と言えばそれまでだが、一見すかっとするような文章だが、人の思考、判断ということが、つまり、人を知ることは、神が自分の似姿に創造されたのだから、神を知ることになるのでは・・・と進展してきた100年後の僕らの考えからすれば、すかっとすることは、生き物すべてが持つ自分を束縛する言葉を排除しようとする思考であろうけれど、やはり人は限界を自分で表明していることに他ならないと思われるのです。・・・ 続く 

世界のベストセラーを読む(492回目)「美味しんぼ」作者:雁屋哲さんのブログから、「加藤周一の受洗」

2018-03-14 07:09:35 | 日記
 僕が至るところで”しがらみ”と書いていることについて
下記は2009年6月29日に雁屋哲さんのブログをコピーしていたものです。文章のそろえは変えましたが、内容編集はいっさいしておりません。そのままの掲載をします。
  ****************************************************
◆加藤周一氏の受洗  2009年6月29日(月)@ 17:34 | 雁屋哲の美味しんぼ日記
 加藤周一氏は、現代日本で本当の知識人といえる人だったと思う。氏の若いときの「羊の歌」以来、私は、敬意を払ってきた。最近は、朝日新聞の夕刊に発表される「夕陽妄語」を読むのを楽しみにしていた。その、「夕陽妄語」を単行本化した物も数冊持っていて、愛読している。
 加藤周一氏が、2008年12月5に亡くなられたとき、私はがっかりした。NHKテレビに最後に出演されたとき、かなり老けてしまわれた感じがして、心配していたのだが、やはり、1919年生まれと言うことを考えると、仕方がないことと思うしかない。
 ただ、最近、氏が亡くなられる前、まだ意識がしっかりしているときに、カトリックの洗礼を受けられて、ルカ、と言う洗礼名を与えられた、と言うことを知り、大きな衝撃を受けた。
 私は、昨年、膝を人工関節に入れ替える手術をしたが、その後のリハビリテーションが厳しいので、その苦痛をまぎらわすために、聖書を精読することにした。
 旧約聖書、と新約聖書を、それこそ1行1行念入りに読んだ。興味や不審を抱いた箇所には、ポスト・イットを貼り、線を引き、書き込みをして、徹底的に読んだ。「日本基督教出版局」の出した「旧約聖書略解」と「増訂新版 新約聖書略解」を助けにし、Harpersから出ている、「The Go-Anywhere Bible」も参考にして、念入りに読んだ。それだけでは足りなくて、井筒俊彦氏の、岩波文庫の「コーラン」、「コーランを読む」も読んだ。
 その結果、どうしてこう言う物を世界中で十数億の人間が信じているのか分からなくなった。私のように、直線的、単線的に科学的な思考しかできない人間にとって、聖書もコーランも理解不能の物だった。理解できない物を受け入れること当然できない。

 そう言えば、加藤周一氏は以前、寝る前に一時間でも良いから聖書を読め、とどこかで書いていた。私は不思議で仕方がない。
 あの知性的で、理性の固まりのような人間で、論理的に物事を考え追及していく態度を保ち続けた加藤周一氏が、最終的に信仰を選んだと言うことはともかく、「洗礼」という儀式を受け入れたことが私にとって大変な衝撃だった。

 私は初めて、カトリックの聖体拝受の儀式を見た時の事を忘れない。
 牧師が、「これはキリストの肉である」と言って小さなパンを、跪いて口を開けて待っている信者の舌の上にのせる。次いで、「これはキリストの血である」といって、赤葡萄酒を与える。宗教的な儀式という物は、どの宗教でもそうなのだろうが、その宗教外の人間の眼からは、異様な物に見える。例え、実際はパンとワインであっても「肉と血」を口にする儀式と言うのは、私の理性を越えた物だ。(どうか、カトリック信者の方、悪く取らないでください。私は、カトリックの悪口を言っているのではありません。私は、あなた達から見れば信仰の門をくぐることのできない罪深い人間なので、こんな風に感じてしまうのです)

 宗教には信じる権利がある、信じない権利もある。しかし、一つの宗教を信じている人間を、その宗教が他の人に危害を加えない限り、非難したり批判することは、してはいけないことである。私は自分が理解できないからと言って、キリスト教信者を貶めるつもりは全くない。ただ、私は、加藤周一氏が「洗礼」という儀式を受けたと言うことに衝撃を受けたのである。様々な思惟を重ねる中で、カトリックについて考え、理解を深めていくのと、「洗礼」という儀式を受け入れることとは、全く違うことだ。「洗礼」を受けることで、加藤周一氏は、自分自身の全てを、カトリックの世界に埋めることになる。5月22日のこの日記に、「中江兆民の『一年有半・続一年有半』」を書いた後だったので、余計に私の受けた衝撃は大きかった。

 中江兆民は、自分自身の死を目の前にして、一神教についてこう書いている(中江兆民の文章は明治の文語体なので、分かりやすいように私が勝手に要約し現代文に直してある)。
「一神教の説は、超然として俗世間を出て俗臭を脱した様に見えるが、実は死を恐れ、生を恋い、死後においてもなお自分自身の存在を保ちたいという都合良き想像であり、すなわち生命という物を自分自身、あるいは人類だけに限る見地から起こった物である(兆民は人間の命も他の動物の命も同じだと、その前に書いている)。その卑しく陋劣なことは霊魂不滅の説と同じである。」
(霊魂不滅の説についての兆民の考えは、5月22日のこの日記をご覧下さい。)
 こうも、言っている。(兆民の文の大意をまとめた物である)
「バラモン教、仏教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教など唯一神説を主張するものは、推理を本とする哲学ではなく、人をうっとりとさせる妄信である」

 中江兆民が亡くなったのは、1901年、55歳。
 加藤周一氏が亡くなったのは2008年、89歳。
 中江兆民も大知識人だった。
 百年経って、二人の大知識人の死に際が、こうも違うのか。・・・・ 雁屋さんのブログはここまで   


世界のベストセラーを読む(491回目)東日本大震災7年を覚えての礼拝と思い出すこと

2018-03-11 22:03:48 | 日記
◆奥羽にある58の教会・伝道所各地区が決められた場所、日時で、覚えて礼拝を持つ。
 *********************************************
 2011年3月11日午後2時46分、東北地方太平洋沖地震が発生、多くの被害が生まれました。全国では15,894名の方々が亡くなられ、今もなお、2,546名の方々が行方不明です。原発事故による被災によって、今も自分の家に帰ることの出来ない方々が73,349名おられます。放射能被害、住居が失われた方々・・・7年たった今もそこに済む方々の中にはあのときから時がとまったままの方々がいることを覚える。
 *********************************************
◆礼拝のメッセージは、韓国からの東日本大震災をきっかっけにこの地区の伝道の働きに来られて5年になる宣教師。流暢な日本語。
 とりつがれた聖書の箇所は、旧約聖書エレミア書であった。日本にこの天災を通して聖書の言葉のリバイバルを希望しているとメッセージを語った。旧約聖書のエレミア書は、神の言葉に導かれて歩んで来た民(約紀元前千年頃に有名なダビデ王によって統一された国が、北イスラエルと南ユダに分裂)が再三の警告にも係わらず、神の言葉から離れ、高校の世界史でも学ぶ北のバビロンからの奇襲に捕囚と世界に散らされることの預言をし、そのことが実現したことが書かれている。そして、さらに彼らは帰ってくると預言する。(世界に離散、デアスポラの人々の一団が流れ流れて日本まで来ていると僕は考えるのだけれど・・・)
 *********************************************
 『主はこう言われる。バビロンに70年の時が満ちたなら、わたしはあなたたちを顧みる。わたしは恵みの約束をはたし、あなたたちを子の地に連れ戻す。わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、禍の計画ではない。将来と希望を与えるものである。そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来て祈り求めるなら、わたしは聞く。わたしを尋ね求めるならば見出し、心を尽くしてわたしを求めるならば、わたしに出逢うであろう、と主は言われる。わたしは捕囚の民を帰らせる。わたしはあなたたちをあらゆる国々の間に、またあらゆる地域に追いやったが、そこから呼び集め、かつてそこから捕囚として追い出した元の場所へ連れ戻す、と主は言われる。(エレミア書29章10~14節)』
 *********************************************
◆この震災により、実家が陸前高田の知人のご両親と姉が亡くなった。母親は未だ見つかっていない。遠戚の工学系の伯父は原発の事故は人災であるとすぐに言い切った。そして僕は、40年も前になるが学生時代の夏休み企業の実習に2単位のレポートの為にあの(福島)原発の圧力容器の釜の材質の試験を行い広島にある大手企業の実験室にその寮から2週間ほど通った。金属元素の組成を変えて衝撃により強い材質を開発するというものだった(バレストレイン試験)。ここで初めて企業にある小型SEMは大学にもあったが大型のSEM、EDX(電子顕微鏡、元素分析器)なるものを拝見。研究室の部長は博士号を持つバリバリの学者で、教室体型に机が並べられ全員、部長デスクに背中を向けて着座。化学系、物理系と班が分かれ特許の課題達成のグラフが掲げられ、日々、レポートがその部長にチェックされるという仕組みのようだった。1階が実験室、広島大学出だという白衣を着た女性が試験をしながらひとり空き時間に爪にマニュキュアを塗っていたのが記憶に残っている。・・・つまりだ、アメリカG&E社から当時のN政治家が中途の技術を売り込まれ、試験しつつ不完全ながら原発安全神話を吹き込まれともに実験しながら未来のエネルギーの為になどと謂われ、かなりの投資をしてきた負の遺産の処置の落とし何処の踏ん切りがつけられないのが今の現状ということである。・・・真の神というものがいなければ、何をベースに人類の善悪の判断基準とするのだろうか。・・・ Ω 

世界のベストセラーを読む(490回目)(その4)仏文学者、渡辺一夫・評論家、加藤周一・作家、大江健三郎・神学者、近藤勝彦

2018-03-05 21:52:08 | 日記
 すなおに頭に浮かんだ、知識人を表題にならべました。前のお二人は故人、大江健三郎はご存じノーベル文学賞を授与された作家、最後はもと東京神学大学学長を歴任、現在牧師でもありばりばりの神学者です。キリストを直截に語れるのは、職業柄近藤先生だけだろうと思われますが、他の方達は世界を視野に入れた知識人でもありましたから、キリストに当然、触れられている方でした(と僕は思います)。今回、言いたいのは、ですからあなたも、「あぁ、キリスト教という宗教はこのようなものか」、というような上澄みの知識の満足ではなく文字にするとか、言葉にするとか、聖書の言葉の一端に触れ理解するとかという以前に、魂のと言えば大げさだが、通奏低音のように途切れること無く流れているその行く末の流れを感じて欲しいと思うのですね。当然、宗教家という専門の方に表に現れる所作諸々は、何事においても必要だし引き継いで行かねばならないから先理解のない人には意味不明の儀式もあるだろうが、それ以外の方の多くは個人としてはあからさまに表にはしないし、また、したとしても、その瞬間を生きている内面の、宗教の言葉であるから他には理解できないところもある。だからこそ、欧米の名だたる知識人はその何かの自己とその世界に対する現れ(「感覚と意識」の相克)を言葉にしてきたと僕には思えるのだけれど・・・。で、表題の知識人の関連を述べてみたいと思います。
◆フランス文学者の渡辺一夫という方がおられたことは、学生時代大江健三郎を読んでいて彼の文章の中に、東大の仏文科に行きたいと思ったのは渡辺一夫先生のもとで学びたいと思ったからだというのを学生時代に読んだ事があります。今は物欲国アメリカ一辺倒ですが、そういえばこの国の方は昔、たいていフランス(これは啓蒙思想が流れ込んできたからの影響か、とにかく思想的に幼稚だった日本には、絵描きでも、僕が思いつく知識人はフランスであったような・・・)を目指してましたね。
◆加藤周一は、こう述べています。「周知のように戦前及び戦争中、戦争直後の民主主義的改革の時期、その反動のあらわれている現在、日本の社会的変動とそれに伴う流行イデオロギーの変遷は激しく、作家思想家のなかでこの三つの時期に一定の立場を貫いた者は少ない。その少ない思想家のなかの一人は渡辺教授(渡辺一夫)である。もしわれわれの思想家の思想的一貫性のうすい理由が、外国思想との接触の仕方に関連しているとすれば、渡辺教授の16世紀ヒューマニズムとの接触は特別に注意されてよいはずだろうと思われる。すなわちヒューマニズムは、現代の西欧思想のもっとも広汎な背景をつくっているばかりでなく、わが知識人のなかに深い根をおろした数少ない西欧思想の一つだということになる。・・・・私事に渡ることが許されるならば、私がそもそも西欧思想の一端に触れる機会を得たのは、逆説的にもいくさの最中に渡辺教授を通じてであったと言わなければならない。そして無論それは私だけのことではなかった。」
加藤周一さんと大江健三郎さんが「九条の会」を立ち上げたのは先に書きました。両者がともにフランス文学者渡辺一夫の思想的あり方に影響を受けたのが繋がっていたのがその一因だったかもしれません。
◆以前、大江健三郎の話には、表題も含みキリスト教関係を連想する物語が見られると書いた、そして、師である渡辺一夫はキリスト者だったからなどと書いた。キリスト者が教会という組織に属し、諸々の儀式に預かるという条件に適応するというのであれば、渡辺一夫はそれには該当しない。戦時中にも、教会という組織は戦争加担のような動きもしたのだから、とにかくこういう組織というしがらみからの解放が思想家は第一に必要なことだった。実に多く仕事に係わる上、受け取る側の思考的制限、制約を作ってしまってそこから先理解のイメージをもって考えてしまうので、多くの思想家や文学者は個人の宗教を公にしない。当然と言えば当然である。
◆近藤牧師の説教の中に渡辺一夫のことに触れた説教があったのでその部分を掲載します。************
 今年(2015年)は戦後70年です。3月10日は第二次世界大戦時の東京大空襲からちょうど70年目でした。その日、下町一帯は火の海に包まれ、10万人が死んだと言われます。フランス文学者渡辺一夫の『敗戦日記』はこの東京大空襲の経験から書き始められました。冒頭の一節を改めて読み直してみました。「3月9日の夜間爆撃によって、懐かしきわが「本郷」界隈は壊滅した。思い出も夢も、すべては無残に粉砕された。試練につぐ試練を耐え抜かねばならぬ。カルヴァリオの丘における『かの人』の絶望に、常に思いを致すこと。かの人に比すれば、僕なぞは低俗にして怯懦、名もなき匹夫にすぎぬ。かの人の苦悩に比すれば、今の試練なぞ無に等しい。耐え抜くこと!」とありました。戦時中、キリスト者とは言えない一人のフランス文学者がこういう文章をひそかにフランス語で書き綴りながら生き抜いたことに改めて感銘を受けました。あの時代、あの社会の中で人生の試練、悲惨、迫害の中を生きなければならなかった労苦を思わせられます。渡辺一夫も十字架のキリストを心に抱いて試練の中を生きたというのです。(「迫害下に生きる約束の子たち」と題して)
 教会という組織に安穏としているより、そのしがらみからも解放されて、イエスと会話する・・・これ真のキリスト者ではないだろうか。・・・ Ω 

世界のベストセラーを読む(489回目)国際的大知識人(その3)知の巨人と言われた評論家、加藤周一さん

2018-03-04 19:30:27 | 日記
 「感覚と意識」というものについて、今読める思想を語る世界の知識人は(と書けば大げさだが僕が読む限りに於いて)、何らかのその対立としてその統一をどのように求めるかにあったように読めなくもない。僕らのこの国の知識人においても、なにがしかの表現をしてきたと思う。黒船が来ていきなり思考せよと無理難題を与えられたような困難があったと思えるが。
◆歴史を学ぶと大きな区分として、古代、中世、近世、近代、現代だったかに分かれるそうだが、この国が海外と触れて自らを自らの言葉で考えざるを得なくなった時代それは、近代の苦悩というような事ではなかったか。言葉を屈指して自国と他国のありようを意識的に思索し生き方を決めねばならない自我発見の苦悩というようなものではなかったか。
◆養老孟司さんの論壇インタビューの記事を読んだとき、僕はそのようなことが思い浮かんだ。例えば、夏目漱石、あの時代、イギリスに留学して少しノイローゼ気味にもなって帰郷した漱石は、当時の英国の機会化的世界にけしかけられるように精神の変調を来たしたが、以前書いたが、僕が高校の時の夏休みに「こころ」の読書感想文を書かせられ、失恋させて自殺もあるまいにと現代では思うが、それよりも何よりもあの時代、かの筆頭の知識人が「私の個人主義」(文庫で読めます)を書いていたというそちらを読ませて時代を考えさせるというような宿題の方がいかばかりか収穫が大きかったろうと今でも思うのだ。これぞまさに、人的、肉的(この表現は聖書的なもの)、動物的進化初期の封建的社会の当たり前の男性優位の世界にあって、人とは何か、人類とはなにか、社会とは、世界とは、・・・諸々、つまりは、感覚(動物的社会といったらいいか)から意識化(ことば化といったらいいか)への移行として、常に人がその社会が変化して来た様相の途上にあったと思う。(ちなみに、あの「怪談」を書いたラフカデオ・ハーン<小泉八雲>にも「心」という文書があり、文庫で読めるが、あの時代の人たちの謂われで心打たれる文章も載ってました。漱石の英語教師でも一時期あったそうな)。前書き長くなったが・・・加藤周一さんのことについて
◆加藤周一さんが意識がはっきりされている時(?)洗礼を受けられたいうことに中には驚かれる方がいるかと思うが、キリスト教に取り込まれたかと思ってしまってはいけない。彼は、ヨーロッパからの新しい思想的流れをいち早く日本に紹介をされてきておられた。日本にはそもそも思想により世の中を見ていこうなどということは、一時ブームになったらしいが平田篤胤くらいではなかったでしょうか(個々にはありますが日本全土に影響を与えたという意味で・・・)。結局、どうなったかといえば周知の通りで、今はあまり良くない方に分類される。知の巨人はこの国でもキリスト教にも影響を与えた20世紀最大の神学者カール・バルトの動向を紹介していたし、まだ知名度がなかったあのシモーヌ・ヴェーユを紹介し、日本でもブームになった実存主義のジャン=ポール・サルトルなどとの対談も行っている。僕がくだくだ書くまでも無くWikipediaなどで検索されると世界各地のいろいろな大学で教鞭を執られているから、僕のようなゴミみたいなのが何をか言わんやなどだが・・・。で、
◆僕のブログからすれば我田引水のようにもとられるだろうが、この知識人をしがらみのまつわりついたキリスト教に取り込まれたと思われた方にもお尋ねです(以降、何故か喧嘩を売っているように読めたらごめんなさいです)。あなたは、自分の死にあたりどのよな儀式をされたいか、そんなのいらないとなればどのような対応をされたいかを問いたいと思います。いずれ死んでそもところに自分ではどうしようもない、魂の抜け殻の遺体が残される訳だから・・・。驚かれた方へのその2、そう思われた方がいれば、そもそも、今これを読む側のキリスト教をある程度の理解しているという判断(僕が何度も書くところの先理解、堆積したつたない人類が蓄積してきた思いの”しがらみ”)によって、その思いは図られていることをまずは思って見なくてはいけません。何処までも僕らは神(今を生きているという、つまり自分が今、これを読めているということはその方が霊が与えられてくれている)を越えることはできないという認識が無ければ、地上の僕らの肉体のいのちが途絶えた時に、思想もその人の語られた生涯を終えた以降、その残された著作の中の可能性に同時に終止符を打つことになるのです。それは、僕が求めている”肉体に引きずられる言葉”を解消することには決してならないのです。いずれ、死ぬことが必然の今生の僕らは、次の世界は漠然としたものでいいとは決して思わない(実は無神論を唱える人も漠然と感じているのだ)。少なくも僕は、この国の仏教での死後のとてつもなく長い長い旅はしたくないのです。いずれ彼は、世界的規模のグローバルなそして永遠のいのちの為にいのちを献げる(殉教)までした、その次の世界への送りの儀式としてキリスト教を選んだということである。母上はカトリックだったようですが、世界を股に掛け、世界の諸大学で教鞭をとり、その体験からイエスの十字架が世界を変えてきた、そしてそれでなければ世界を変えていくことは不可能だろうと心底思ったに違いないのだ。彼は、作家大江健三郎と「九条の会」を立ち上げていることを最後に書いておきます。・・・ 続く