marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(805回) (その3)大江健三郎という作家が創作で実験してくれたが故に

2021-02-18 08:22:59 | 小説
 
世界のベストセラーを読む(627回) (その8)作家 大江健三郎を読む

◆先のブログ掲載の「新しい文学のために」(岩波新書1)は面白いというか小説と違い読みやすい。この評論を読んでから、彼の小説を読むといいかと思うが何分にも、この評論は彼の小説の途絶え......
 

◆僕が、抹香臭いと言っている(僕はそうは思っていないのであるが)宗教染みた言葉は、つまるところ彼、大江健三郎が引用する海外文献、詩人、作家、思想家はすべて、2000年以上も前に十字架で死んで、そして復活したという神の子がいたという(そして、まだ生きて語り掛けているという)、その男の物語が、それら彼らが生きてきた風土、歴史、言葉のすべてカルチャべートされた土台の上に(否、深層のもとに)出来上がってきているものだからである。このことを忘れてはいけない。


世界のベストセラーを読む(804回) (その2)大江健三郎という作家が創作で実験してくれたが故に

2021-02-16 07:51:01 | 小説
 
世界のベストセラーを読む(626回) (その7)作家 大江健三郎の小説のこと<まだ続いている>

 (写真の本については次回)◆批判めいたことを書く訳ではないけれど、僕が大江に惹かれる理由は、故郷の四国の山奥の村、自分の故郷への回帰がよく書かれること、それからで起こる一揆。......
 

◆gooさんからの昨年のブログの連絡に、次回に掲載する627回まで立て続けに書いていました。ブログの最後は、いつも抹香臭いことで終わっていますが、僕が求めるそのことについても彼への創作実験へのことに関連すると思いますので見解を述べてみたいと思います。


世界のベストセラーを読む(803回) 大江健三郎という作家が創作で実験してくれたが故に

2021-02-16 07:18:32 | 小説
 
世界のベストセラーを読む(625回) (その6)作家 大江健三郎のこと・・・「罪」の系譜

 ◆遠い昔のことだから、それも時代だったのかと思いにふけるか・・・いや、いや、「人という生き物はいかなる者か」を進化的に考えるには無くてはならないプロセスというものを、人と言う生き......
 

◆人には思い起こす周期があるのか、1年前にも大江健三郎という作家の事を書いていたのかな、とgooさんのメールで知る。何故かブログに続けて書いている。作品というものは公表された時点ですでに過去のものになるわけだが、しかし、作品として読もうと思えば、読む僕らが変わって行かなければいけないと思うし、全くノーベル文学賞を採った作家なんだってと未来の若者達が読むとすれば、どのように読むか、まったく作品にするに際して思考実験をしていた作家なのだというようなことを考えるかもしれない。だから、それだからこそというか、これからの時代に、どのような世代に、どのように読まれるのかということは関心のあるところです。彼自身が書いている。「四章  詩人達に導かれて」『・・・読書には時期がある。』と。(p74)・・・続く


世界のベストセラーを読む(802回) それでも好きな、大江健三郎。『私という小説家の作り方』

2021-02-12 20:11:23 | 小説

 ◆大江健三郎がすべての原稿を東京大学に寄託されたという先ほどニュースが流れた。(2021年2月12日) 昔、彼の原稿の<字>を見た時に自分の乱筆に勇気を得た思いがしたものだったが。それはそれで、写真は平成13年4月1日発行初版で、ほとんどの小説の終わりに出されたものだが、僕がこれは・・・と思いながら気にけていた作品の各内容に、その理由づけをするようなエッセイである。だから、彼の本の秘密を知りたければ、作品に現れる以前の作者の思いが考えがつづられている訳で、直接読んで面食らう小説も同時にこれを読んでその意図を思えば、僕個人だけかもしれないが、そのイライラが解消されるというものだ。人それぞれに読み方はあるだろうが、僕の場合は作品が面白いとうことより、どうしてそういう作品が書かれたのか、その時代、その作者の思いとか、そういう方面を考えてしまい興味を持ってしまうので。◆その僕が感じるイライラ、それが評論家、あの小林秀雄が2ページ読んで読むのはやめたよ、あのような作品が批評家に受け入れられると思っているのか、と彼に言ったことと同じことかどうかは分からぬとしても(それも、この本に書かれているが)作者はその作品「同時代ゲーム」は自分にとっては大切な小説だといっているのだから、それだからこそというか、結晶としての作品と同時にその作品を絞り出す作者の思いの深層を並行して知らないと僕にとっては読みずらいと思う訳である。それは作品よりも人が知りたい、という僕個人だけの指向かもしれないが。◆だからというか、小説以外では作品創造の大江の秘密を知るうえで、彼の要衝のころからの作家になるまでの土台形成を見る思いで僕はダントツこのエッセイが面白いと思っているのである。


世界のベストセラーを読む(801回) 僕の好きなのは<『雨の木』を聴く女たち>

2021-02-10 17:59:38 | 小説

◆大江健三郎の中で僕が好きなのは<『雨の木』を聴く女たち>。まんま宗教性を暗示するというか、経典そのものを慕い暗示する主人公が出てくる内容だから。その他では、初期の作品やエッセイ。小説群の中途から、恣意的と思われる小説を書こうとする意欲を湧きたてるイメージの希求先が、当時の欧米の思想家や詩人や聖書などであったりするのはいいとしても、彼は、まったく普段の小説以外の書き物は読みやすいとしても、がぜん小説になると前頭葉がバリバリと働くのか、書かれた言葉自体、例えば主人公の名前でも、ストーリーの運び方でもだがその飛躍、あるいは体の一部性殖器がもろに出てくる(言葉で書かれる)などの部分は、どうしたものだろうと疲れてしまう。◆若くなければ読めない小説となってしまった。そして、書かれた彼を取り巻いていた世界の思想的動き、安部公房やサルトルなどの当時、流行った実存主義的実験小説めいたものを理解した人でないと、一般凡人には読むのは難しいかもしれないと今でも思う。彼は詩人だからだろう。小説に使われる言葉には、彼自身の飛躍した先行するイメージがあって、それで固定化されいきなり出てくる。かなり無機質に生き物である人の官能から引きはがされて、使用されると読む側の前頭葉は機敏に反応するが、内心イライラが起こり吐き気がするようにこの頃なってきた。こういう思考の恣意的実験を小説で行う時代は、もう来ないだろうと思う。それは「人とはいかなるものか」ということが、実際に様々な分野で研究され、医学(ゲノム編集)でも心理学でも、あるいはAIなどの人工知能などでも知ろうと思えば知ることができる時代になって来ているからである。◆しかも大切なこととして(宗教オタクの僕からすれば)小説の中でのか弱き人という生き物への恣意的思考実験はもう行われるべきではないだろうという一番の理由は、その歪が必ずどこかに生じてくるからである。その歪みは、彼の息子の光くんに現れたとみる。人の解体は必然、救済へと向かわざるを得ないのだ。人は蒔いた種は刈り取らねばならない、これは厳粛なる事実である。これを皆さんは笑えるか?