おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

タバコと読書

2011年10月11日 08時20分39秒 | 日記
先日、クラブ活動の卒業生達が同窓会(同じ学年の生徒同士)に招いてくれたので、泊り掛けで街に下りた。

その日は最終的な職場だった幼稚園で教えた(といっても園長だったから一緒に遊んだだけだったがー)最後の園児達が最終学年=年長としての運動会にも招待されていたので午前中は運動会、夜は飲み会。

幼稚園は「泥んこ教育」を柱にしているので、園庭の真ん中には粘土山があり夏には子供達は裸になって泥だらけで遊ぶ。子供達は相変わらず元気だった。

卒園児もいっぱい来ていた。

久しぶりに出かけたので子供達がどういう反応をするか、もしかしたら忘れてしまったかもしれない。知らん顔されたら寂しいなあ・・・

不安な面持ちで会場に入ると、不安はいっぺんに吹き飛んでしまた。卒園児が私を見つけると、飛んできて抱きついた。

「おやまえんちょうせんせい

運動会は運動会なりの服装というものがあろうが、夜の予定もあるので、珍しく背広を着てノーネクタイにストライプ柄のシャツを着て行ったのだが、「わーっ」と集まってきた卒園児に年長の子供達が飛びついてきたり、ヤンチャは黒靴に泥をかける、裸足の泥まみれの足裏をズボンに擦り付けたりする。

いつのまにか濃紺のスーツも泥だらけ、靴は真っ白。

それでも可愛い子供達と久しぶりに会えたので心が満たされた。



卒業生との飲み会はバスケットの同学年の生徒達で、現在38歳になっている。

バスケットを指導していた私は年中練習に明け暮れていた。

休みは正月の元日だけ。二日には3社参りとランニングで市内の神社を周った。

弱小チームは練習場がない。小さい体育館はオリンピック選手を輩出させている(先のオリンピックで活躍した”スエマエ”も卒業生)バドミントン、同じくオリンピック選手を出した器械体操部が占拠していて、バスケをする場所がない。仕方ないので彼方此公的施設の練習場を捜して、出かけた。

生徒達は自転車で背中にボールを背負って30分40分自転車漕いで練習に出かけた。

練習は厳しかった。なにしろ走らせることが使命と考えていたのでボールを扱うまでのフットワークに半分の時間をかけた。

当時はだらけた部員にはビンタを・・・こういうクラブの同窓会になると必ず私から殴られた話が出てくる。赤面の至りだし、顔を上げられなくなる。

38歳、すでに全員結婚しているし、長男が中3という子もいた。ダブルからシングルに戻った子もいたが、みんな元気でわいわいがやがや2時間たっぷり会話にお酒に盛り上がった。

困ったのは集まった9人の内、タバコを呑み始めたのが5人もいたということ。これには参った

専業主婦はひとりだけで、あとは皆仕事をしている。それぞれストレスを抱えているようだった。

タバコでストレスが解消できるならまあ仕方ないか・・・



今朝2冊本を読み上げた。

花村萬月の「夜を撃つ」(角川文庫)、梁石日(ヤンソギル)の「未来への記憶」(アートン)。

「夜を撃つ」はやはり花村文学の象徴、「愛」、「暴力」、そして「セックス」を先鋭的にえげつなく、そしてやさしく抉りだし、人間の本質を描き出している。

皮相な社会の日常に潜む人間の根底にある悪を次のように書いている。

悪とは、じつは世間的な道徳であるとかは一切無縁な、ごく個人的な負の感情であるということだ。その感情が制禦不能であることが、悪の本質だった。悪とは、制禦不能の暴走のことだったのだ。
人は理性では飼い馴らせない負の衝動を隠し持っているのだstrong>

もう一冊は梁石日の「未来への記憶」、これはエッセイになっている。いろんな雑誌に書いた短い文章を集めている。

自分の半生を思い出しながら書いたものなので、重複があるのだがとても分かりやすく読みやすかった。

それにしても「在日」文学者はを持っているなあ


本棚には数多くの在日作家達の本が並んでいる。大日本帝国主義の戦争政策、植民地支配の下で屈辱を強いられ、強制連行や食い扶持を求めて本土(日本のこと)に渡ってきた在日1世の苦労。2世3世のアイデンティティー確立のための彷徨と闘い。

生きるということは存在そのものが生への闘いであった。当然、ぬくぬくと経済発展の恩恵を蒙って生きてる日本人にないバイタリティーがあるはずだ。

今時代は急速度に文明を進化させ、そのスピードに追いつけずにもがき苦しんでいる人間の悲哀や慟哭が無視され、その狭間でおきる残虐な事件も「一過性の出来事としてやり過ごし、思考停止状態に陥っている」。

彼はあとがきでこういう、「私たちの想像力は衰弱し、枯渇している」と。

私達が生きている今は未来にほかならない。未来を生きているという意識を持つ必要がある。