おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

冬の嵐

2011年11月20日 07時19分09秒 | 日記
一日中、風雨が荒れ狂った。

一昨日の夜半から朝方にかけてこの土地は小さな嵐が駆け抜けて行った。

やっぱりこの土地は街とは違う。阿蘇の南外輪山の麓。標高450m、外輪山のカルデラ側斜面、東側に斜面を切り裂くように本谷川が流れ落ち、その河水はカルデラを貫流する白川に注ぐ。

我が家は周囲130kmの南側外輪山の斜面が歪になった谷間に立っていて阿蘇の中でも特殊な地形になっている。

雲が湧き、強風が吹き抜け、雷が鳴り響く。

落雷で去年もパソコンが壊され、今年は近くにバーンという音と地響きとともに雷が落ち、パソコン2台、トイレの便器(コンピューター制御)し、電話機も調子を崩した。

昨日は雨と風が吹き荒れた。

昼頃少し雨脚が弱まったと思ったら、目の前に虹が現れた。薄き儚い私の人生を象徴するような虹ではあったが・・・

二人の卒業生が子供を連れて遊びにやって来た。

37歳、結婚していて家も建てそれなりに生活は落ち着いているようだ。

昼食に妻が得意の海鮮トマト味パスタを食べている時、デッキの窓の外に虹が浮かんだ。

「きれいだね・・・」と感嘆してるとそれは静かに消えてしまった。

美の感動は瞬時だからこそインパクトを持つのだろうか?

二人ともしっかりした子育てをしていた。4歳の幼稚園年少児が「おかあさん」と呼んでいる光景はちょっと安心する。

しかし、私の絵を描いた小さな彼女、「これだーれだーっ?」と白い紙を持ってきた。見るとめがねをかけた男性が書かれている。「じーじの絵」と私に見せるではないか

あーあ、そうだよなあ61歳、子供がいたらもう孫がいる歳だもんなあ・・・

「私が今悩んでいることは、子供を塾にやるかどうか?先生、どうしたらいいんでしょうか?」

都会では親が子供の教育のために幼稚園から「お受験」をさせ、いい学校にいれるためにお金も苦労も厭わないという。

末は東大に入れて、エリートにさせるため家計は子供の教育費に湯水の如く注いでも構わない。

幸せは社会的地位と経済力で決まるらしい。

こんな阿蘇のカルデラの中のど田舎には塾もないし、中学校は過疎で学年1クラスで競争がない。みんなのんびりしている。自転車にヘルメットを被って、行き交う村人一人ひとりに大声で挨拶をしてくれる。

叩いて叩いて伸ばす力は後できっと伸び切ってしまい、撓むだろう。じんわり基礎だけを打ち込んだ素朴な力はいざという時に集中力を発揮して爆発的な伸びを示すかもしれない。

そう焦ることはないんじゃないの。引退した元教育者、田舎の空気に染まってのんびりしたことをいう・・・

元気で、素直な子に育ったら親の役目はそれで十分果たしたことになるんじゃないの?