おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

木工って難しいなあ

2011年04月25日 06時22分21秒 | 日記
昨日は一日中雨が降ったり止んだりのぐずついた天気だった。

夜中には激しい雷と震度1ぐらいの地震まで・・・

日中は庭置き様のテーブルを作ろうと持っている道具全て動員して製作に当たった。

家にある廃材利用でお金をかけない木工だから、デザインが難しかった。

天板に使う板の長さが不ぞろいなので、若干歪になるけど、それを「作家」の意匠として四角くないテーブルを作ることにした。

脚部をどうするのかかが一番の課題だったが、幸い廃材置き場の下の方に長い角材が眠っていたので引っ張り出して長さ79cmに4等分。太さも長さも丁度いいのがあった。だけどアラ材なので今日カンナをかけなくてはならない。

電気まる鋸、ジグソー、ドリル=インパクトドライバー等々。
最近買ったジグソー、怪我はしなかったのだけど危うい綱渡りをしていた。
朝から仕事していたのでお隣のHさんが話しかけてこられた。
レリーフ製作のベテランで木工に詳しい。ジグソーの話をしてご教示してもらおうと使っていたボッシュの奴を見せたら首を捻られた。
「あれっ

「刃の向きが逆になってますよ」

ショックというか恥ずかしいさでまさに赤面の至り。

刃こぼれがしてなければいいけど、気を取り直して外向きに刃を付け直した。刃は厚めで直線切り用らしいというので、木工を一時中断して、ホームセンターに直行して替刃の直線切り用と丸切り用の2本組の専用刃を買ってきた。

再開。

妻は隣でガーデニングの仕事をしている。時々鋭い指摘をしてくるので、耳が痛い。





夕方は村でウォーキングの会ができるというのでその発足式に出かける。

一段落ついたところで本日の木工終了。



今日は脚部をカンナ、4本の脚を強固に固定するために横に厚めの板をほぞのオスメスを作って固定する。

天板はマホガニーのニスを仕上に塗る。

乞うご期待

現代文明の脆弱さ

2011年04月24日 06時31分12秒 | 日記
今朝は外気温8度。昨日の予報では霜注意報やあられ、雹の恐れありとしていたが幸い霜も降りていないし、雹も降らなかった。

夕方、そんな予報の情報を妻が伝えたので急遽、畑の作物に「寒の戻り」への予防策をとった。今育ち盛りの豆にビニールシートをかけたり、植えつけた各種苗に不織布を被ったり・・・

この土地での農業は寒さとの付き合い方がだいじ。

それに野生動物。

一昨日タヌキが我が家の庭に現れた。どこから来たのかわからないが、もちろん野生のものだろう。
よく見ると毛が半分くらい抜けている。目もよく見えないようだし、足許がふらついている。

農人(昔の呼称)にとっては天敵なのだが、手を叩いて追い払うのが精一杯だった。
タヌキには一昨年トウモロコシをやられた。見事な手際だった。

しかし、弱っているのが目に見えている。情が湧いてきて手に棒も持てないかったし、石さえ投げることは躊躇された。
ふらふらと家の庭を横切り、隣の杉林との境界の柵から笹藪に姿を消したのだが、きっと程なくどこかで冷たくなっていることだろう。自然界の厳しさを思い知らされる。

好きな作家の一人である藤原伊織の「シリウスの道」という小説を読んだ。最近、「てのひらの闇」を再読したばかりだが、これもよかった。

彼は2007年にガンで亡くなってしまったので、もう彼の作品は読めない。残念でたまらない。現代の社会が産んだ実に豊かな想像力に長け、学識深く才能が底知れない作家だったのに・・・

「シリウスー」は情報産業界の先端部分で働く主人公辰村が巨大メディアの営業という世界で活躍する経済界の熾烈な競争というストーリーと小さい頃の「原体験」が二本軸となって展開していく。そして交わることのないと思われる二本の軸がいつか交差ししていく。この本の中で戸塚という若者が出てくるのだが、この描き方が面白い。途中入社してきて辰村の下で働くのだが、この男の親父は現政府の閣僚。

普通、政治家や実業家の御曹司となればいわゆる「ぼんぼん」で、どうしようもない甘ったれに描かれることが多いのだが、戸塚は性格も仕事への情熱もそして実力ももっている有為な若者として描いている。戸塚との絡みは感動する。

今読んでいる本はメディア特にゲーム機器、携帯、ネットと子供のこころへの深い影響を精神医療の現場の医師が実証的に論証しているもの。もともと興味を持っていたというか問題意識を感じていたことでもあり、じっくり読み込んでいる。

さて、大震災で日本人みなが考えることだろうが、現代文明の脆弱さが原発をはじめ図らずも露呈された。

もし巨大都市東京でこの規模の地震が生起したらどうなるのだろう?近代文明のコンセプトである「便利」、「簡単」、「スピード」の飽くなき追求で進化した日常のライフスタイル。

しかし、その文明を支える根底にあるものはエネルギーをはじめとした資源であり、石油を全面的に海外から輸入している日本が石油依存から脱却を図るために増やし始めたのが原発だった。
これが今回、自然の猛威の前には「赤子の手を捻る」ようにもろかったのだ。「安全神話」の崩壊だ。安全神話といっても言葉だけが先行していて、実際には日本人の多くが不安を感じていたはずだ。原子力の威力を世界で唯一被爆という形で経験している国民なのだからー

大都市東京の電力を支えるために東北の原発が稼動し、現地住民がそれに職を求める。この二重性、差別構造の問題がある。
そしてその前に都市づくりに心配はないのかー?高層ビルが立て込んでいる都市空間に電波支障なく届かせるためにタワーがさらに高く高く天に向って伸びていく。
だれもその姿に「異常」を見ないのが不思議に思う。

便利の象徴、情報機器も今回脆弱さを露にした。断線などで電気が滞れば機器が作動せず、情報は直ちにストップする。
電気がいかに大きな存在であるのか、今回は大きな痛みをもって知らせ「警告」を発している。

昨夜、熊本でも震度3の地震があった。この阿蘇でも震度1。日本列島が揺れている。
現代文明が足許でぐらぐら揺れ始めた。









”菜々子”滝に行ったぞーっ

2011年04月22日 07時01分11秒 | 日記
昨日は春らしい好天で、久しぶりに遠出することにした。

出掛けに平家落人集落のある椎葉から水上村に行って、自生石楠花群落を見ようと話した。しかしかなり時間がかかりそうなので村の観光課にTELしてみて現在の花の状況を聞いてからにした方が無難ー

説明を聞くとまだ咲いていない。月末、月明け位になるだろうとのこと。

なんで石楠花かというとお隣の庭に見事なそれが咲いているのに最近気付いたのだ。





こんな可憐で清楚しかも美麗な花がこの世に存在することは神様からの素敵なプレゼント。

さてと考えて南小国に行くことに巨頭会談の末に決定。といっても妻の意向が断然優位なのだがー

その途中で見事な「キスミレ」の群落に際会。



 
近所のHさんからその見事さは聞いていた。野焼きの後にいっせいに芽生えるという。広大な放牧地に可愛い黄スミレが絨毯を敷き詰めたように拡がっていた。

さて小国。

待ちついた頃、すでにお昼。目的地は卒業生から教えてもらっていた喫茶店「森の時間」。あちこち探し回った後漸く辿り着いた。たしかに古民家を改造して作ったもので話しに聞いていた庭が見事だった。しかし、店はお休み。

それで、近くのやはり古民家の食事処「○○」に入った。
要は流行の農家のレストラン。メニューは定食2種類。私は王道の定食。妻はうどん定食。
といっても出てきた料理はすごかった。



2100円と1560円なり。食べきれない料理はみな持ち帰り。
料理はみな美味しかった。特に地鶏の揚げ物は旨かった。ただ、おやじがずっと横に居て長々講釈を垂れるのには参ったが・・・

その後、小国から上津江、日田方面へ車を走らせる。

途中下車したところは神社。

すごいケヤキの古木が聳えていた。

それから山の中に入って登って下って到着したのがあの松島菜々子のCMで有名な「鍋ヶ滝」。初めて行く滝だ。







ここは流石に全国的な名を馳せた理由がわかる気がする。素晴らしいの一言。滝の裏を歩けるというのが他には余りないのではー

帰りに阿蘇谷の道の駅”花あそび”によって、植木を2本買って帰った。ジューン何とかというものと箒桃。両方とも2.5m程あったが無理してビッツに詰め込んで帰った。店のおばちゃんと仲良くなって随分安くしてくれた。「ありがとう おばちゃん」



春嵐

2011年04月20日 06時55分06秒 | 日記
ここは九州だ。南国といってもよさそうなものだが、どうも阿蘇一帯は違うみたい。
五岳でも最高高度は1592mだから、たいした高さではないのだが世界最大というカルデラが面白い気候を作りだしているみたいだ。

一昨日の夜からは昨日一日、冬に逆戻り。

霰(あられ)が降って、冷たい雨が降ったり止んだり・・・

気温も下がって、なんと杵島岳の頂上は雪を被っていた。4月も半ば過ぎだ。そういえば去年もこんな寒い日が4月にあった。
これで折角種を蒔いて、小さな芽が出たばかりの夏作物の赤ちゃんがみなやられるのだ。

今年は注意して時期を読んで種植え(ポット)している。但し、春菊とスナックエンドウ、オクラ、牛蒡、水菜と直接地植えして芽が出ているものもあるけど、寒さに強い品種なので大丈夫だろう。

一転、今朝は満点の青空と明るい日差し。風もたおやか。

こういう日にはやる気満満、ファイトー一発・・・てか

石垣の隙間詰め作業が残っているし、花壇の柵の補修もあるし、畑仕事も・・・

ところで、体重がやっと80を切った。といっても79.7というところだから、昨日近所の仲良しで3家族で食事会やったから、逆戻りしているかも・・・
妻がたくさんパスタ作って拙宅で食事、親父3人組は言うまでもなく昼間からビールと焼酎で飲んだくれた。

意外にその酒残っていない。

健康って自分の体によーく耳を傾けてその「声」を聞き届けることが一歩だと思う。

今、体の調子がいい。昨日は飲んだんで貼付したが、ずっと心臓の血管拡張剤フランドールテープも貼っていなかった。

体重が過ぎるとやっぱり心臓への負荷が重くなってきつくなるみたいだ。

時間をみて今日も山の中を歩こう。


料理に開眼?

2011年04月19日 06時54分44秒 | 日記
夜半、雷鳴とあられか予報どおり雹なのか激しく鳴り響いた。

朝庭を見回すとシイタケの多いが風で飛ばされていた他には被害はないようだ。
畑も大丈夫。

季節の変わり目、ここ山麓では何が起こるかわからない。

昨日、楽しみにしていた「おやじクラブ」に出席した。予定11人、出席9人。村主宰の中高年健康教室だ。

説明を聞くと村から64歳になった「おやじ」にこの通知を送っているという。私は若干61歳、村の広報で参加した唯一の存在らしい。

まあ眺めたところ同じような少し草臥れた風貌(失礼!)の男達ぞろい。

一番最初に声をかけた人がバッグから取り出したエプロンを見ると、私と同じ物。一昨日、町の唯一のスーパーで購入したものに違いない。

「何だかなあ・・・」汗顔。

村の保健師の若い(年を取って女性の30台、40台前半位までは「若い」と感じるようになった)「女の子」が中高年の健康について講義。

自分を含め聞いている奴ら連戦練磨の志士っていうか敗残兵?これまた失礼!!健康に関してもそれぞれ自分の肉体に苦い思いを持っている。丁々発止のやり取りが続いた。

講師の彼女もそんな輩に呆れ尚且つうまくあしらい、議論を調整し難なく講義終了。

いよいよ調理に入った。

慣れないエプロン掛け、バンダナの三角巾に苦労しながら調理室に向った。学校の調理室の様相。

9人が2班に別れ、その日のメニュー「魚のホイル蒸し」とホウレンソウのオヒタシ、サラダ、味噌汁の料理にかかった。

ほぼ全員初体験。アラカンの初体験そこに意味がある。第二の人生、知らないこと未経験なことに積極的挑戦すること、これが一番だいじ

お手伝いの同世代の女性がてきぱきと指示をしてくれる。彼女は村の依頼で助勢した村の人らしく、とても人柄が良く無粋な男に命じるようなことはせず、自分でどんどん作っていく。「あれっ

結局私は、玉葱を切り、ホイルを巻いて、サラダを盛り付けただけ。
思い出していちばん働いたのは皿洗いと布巾の片付けだけ。
「まっいいかっ

美味しい?料理がただで(村の主催だから米1合持参のみの参加費無料企画)食べられるし・・・なんという意地汚さ

できた「作品」(だれの?)、うまかった。ごはんお替りしたかったけど、誰もいい出さないので諦めた。健康教室で太って帰ってきたら企画した村の顔を潰すことになる。

自戒。

現在の読書の状況。
柳田邦男の「緊急発言 いのちへⅠ」(講談社)再読だが、この時期に読んでよかった。大きな事故、戦争の被害、公害などで深く傷ついた人の思いをどうやって聞き届けたらいいのかというテーマを「言葉で言いつくせない」「筆舌尽くし難い」思いを言語の限界ということで整理して提示していた。

1.体験者は体験を言語化することが困難。
2.言葉の限界。言葉とは物事を抽象化・一般化するもので、「体験」の個別性、特殊性に追いつけないのだ。
3.言葉で表現された体験を、読む側が同質の感覚で読み取ることの難しさ。

言葉がうまく伝わっていかないさらなる条件として「想像力の欠如」という大きなアポリアをこの社会は内包していること。これを越えるにはどうするかー柳田の言う「ブラックホールに通底するには?」・・・かれが最後にこういう。

犠牲者・弱者に寄り添う「2・5人称の視点」の感性。

やっぱりこれだ。

もう一冊は養老孟司と池田清彦共著「本当の環境問題」(新潮社)。これもタイムリーで、常識と思っていた環境についての認識を覆してくれた。「京都議定書」の欺瞞。エネルギー、食糧自給の問題などこれは瞠目に値する提起。この2冊はデスクの傍からから離せないなー

さーて今日の仕事は何をしようか?木工それとも畑の耕し?石垣の隙間詰め?