おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

今日からピッカピカの1年生!

2011年04月18日 06時35分15秒 | 日記
雨だ。

種がほころび青い芽を出す。シイタケ菌が原木のクヌギの中を勢いよく動き回り彼方此方に花を咲かす。

畑の土が久しぶりのお湿りですっかり温泉気分。

この正月暮れから2週間も雪を被っていたことを思い出している。

昨日は隣町まで(ここは!)買い物に行った。村にはないスーパーで買い物をしていたら、思い掛けない珍しい人に会った。

「園長先生じゃありませんか?」と子連れの若いお母さんに声を掛けられた。
女性から声を掛けられることなんてまず・・・ない

目をやるとすぐ子ども二人が目に入った。「わーっ、○○ちゃん、○○くんじゃないか」

最後の職場は私立幼稚園の園長だった。その卒園児と今は年長の現役園児。よく覚えている。よく遊んだ鬼ごっこしてー

「なんで?」

すぐお母さん、「この町(ここは宮崎との県境になる)にお墓があるのでお参りに来ました」という。

10分ばかり立ち話して別れた。

こういう時にはだれでも必ず自宅へお誘いする。街の居酒屋で隣の席になった県外からの夫婦、ペンションで泊まった二組の一つのペアと食事を一緒してワインを飲んだ中学の教員夫婦。温泉で一緒になった人・・・田舎の茅屋まで来てくださった。こういう出会いを求めているので家に案内することにしている。

「帰りに家にお寄りください。子供達に畑を見せたいし、コーヒーでも飲んでいってください」

用事がありそうだったので来ることはないだろうと習性になった昼寝をしようと布団に入った時、「御免ください」という声が玄関の方で聞こえた。慌てて飛び起き見繕いしたのは言うまでもない。

こういう出会い(再会)があるから人生起伏に富んでて楽しいんだ。

今日は10時から私の入学式だ。

なんのことはないー村が主宰する「おやじ料理教室」の開校式。教室たって年に5回だけ!!

昨日の買い物、料理で必要だというエプロンを買いに行った。店でサイズを合わせるのに恥ずかしさで冷や汗物だった。

これに頭にバンダナ?被る?らしい。

頭周60cm、入る帽子だって早々にはないのにー一度原付で通勤しようと思ってショップでヘルメット購入しようと試着した時悲劇が起こった。

フルフェイス被った時のこと。何とか入ったのだが、定員の前で脱ごうとした時脱げなくなったのだ。
それくらい頭はアルコール漬けの腐った味噌がいっぱい入っている。

大き目のバンダナも買った。妻が頭に巻こうとしたので「もうよせ!」と叱り飛ばして怱々帰って来た。

料理ができるようになったって台所に立つことはないだろうに・・・妻が積極的だったのは要するに「どこか行って!」ということらしい。

腕を磨いてレストランでも開いて一儲けしようぞ     なんちゃって

個人主義と共同体主義・・・マイケル・サンデルのこと

2011年04月17日 07時02分48秒 | 日記
肌寒い朝だ。

昨日は妻の親戚の若い夫婦(といってももう40になるというのだが・・・)が訪ねてくれた。
雷でやられたPCのことを知って、パソコンい詳しい姪っ子の旦那さんが薄型のデスクトップPCを持って来てくれた。

モニターも液晶でデカイしきれい。前のがブラウン管だったので図体がデカイし重かったのに比べると薄いし軽いし格好がいい。設定も全部やってくれた。
ありがたいなあ。感謝。

妻がネットにつなぐとすぐメールを確認。

すると声を上げた。

Sさんから3月15日に震災の影響を心配したメールが届いているという。

Sさんはこの熊本の国立大学文学部に中国から留学してきた。とてもまじめだし、働き者で学費を寿司屋のアルバイトで稼いでいた。
その寿司屋で私たちと知り合った。
中国から訪れたご両親にもその寿司屋でお会いした。やさしいご両親だった。

今たしか北京にいると思うのだが、今回の震災のことでいろんな心配をしてくれていた。

人情=シンパシーって人種、民族、国境を越えるのだ。

お昼にはバーベキューをご馳走した。若い夫婦、よく食べる。惚れ惚れする食べっぷりで気持ちがいい。

彼は消防局に勤めている。人柄が穏やかで、まじめで親切と奉仕、自己犠牲が自然に嫌味がなく表現される。利他の精神が血肉になっているみたいだ。
設定が終わると、壊れたPCに目をやって、「あのパソコン任せてもらっていいでしょうか?、持ち帰って処分しときます」と申し出、さらに個人情報の詰まったハードデスクを分解して取り出して渡してくれた。
親切も念が入っている

消防は時として、職務上命の危険にさらされる。あの東京消防庁ハイパーレスキュー隊を考えるとよくわかる。
選ばれし人なのだろう。
彼は上級職で入っているので将来は幹部職員となって隊員を束ねていくことになるのだろう。熊本の「もし」があっても安心だ。



夜はNHKの「マイケル・サンデルの特別講義」を見た。
世界が今日本をどう見ているのだろう?興味がわく。サンデルはどう考えるのだろう・・・

世界一流の大学の学生とゲストの高橋ジョージ、名前を忘れたがよく出る女優、通販のたかた社長と作家石田衣良。
やはり中心テーマは震災と自己犠牲。

「あなたは福島の原発の救援に身を挺して出かけることができるか?」

日本中で茶の間でも話題になっている事柄だろう。

私たち夫婦間でもその話をしたことがある。

女優はたしかシングルで子供がいる。「私は子供のことを一番に考えるから命の危険がある場所には行けない」と言った。

自由主義社会の中の大部分の主張なのだろう。所謂「個人主義」。

では今回の震災での東北の被災者の自分の事よりも亡くなった人々への思いを口にし、他地方からの援助に深い感謝を述べる人々の姿を対置して、「共同体=故郷、国・・・のために身を尽くす行為をどう考えるか?」という問題を投じた。

個人主義と共同体主義。

かれの講義には結論は出ない。問題を整理し、考える材料を明確にして提示するだけだ。
少し不満も残るのだが、自分の考えを一方的に押し付ける講義よりもいい。

すぐに結論がでるようなテーマではない。一人ひとりがじっくりと考えていくべきだ。日本の原発事故とエネルギーの問題、重い課題それはブレークスルーの道が見えない隘路に思えるが、しかし逃げ場はないんだ。

原発廃止で節電で経済の停滞というリスクを背負って生きるか、新たにリスクの少ない(安全神話は完全崩壊した!)原発を模索していくのかー

今私は、文化文明の再スタート時期だと思うし、スピードをこの時期緩めみんなで方策を考えじっくり選択していくべき時だと思う。
「すぐにもとの日常に復し経済活動を活発化させよう」という政府の掛け声に反感を覚える。






それでも自然と共存していかなければならない

2011年04月16日 06時39分01秒 | 日記
夜露で畑の表土はしっとりと濡れて黒くたおやかに見える。

昨日は雨は僅かだったが風の強い一日だった。畑はお休みして、一日木工。

実はホームセンターで「ジグソー」を購入したのだ。

知る人ぞ知るー木工の細工物には欠かせない。くり貫き、曲線加工ができる。技術があればの話だが・・・

それで研ぎ石の台を作った。



それから午後にはシイタケ栽培をしているけれども、隣との境の石垣にたて掛けているだけで、見た目に悪いのでちゃんとした支えのついた可動式の台を作って移動した。



2年目のくぬぎ、やっと実を付けた。



おもしろいもので一日一晩雨が続くと、一日の間に2cmくらいだったものが直径7,8cmにも成長する。
菌を打ち込んでいるのだが、打ち込んだ箇所からだけでなくいろんな所から顔を出すのだそうだ。



陽気が続いて、もう雪はないだろうとポットにいっぱい夏作物の種を植えて、苗の栽培を始めている。植えてすでに3週間にもなるが、なかなか芽がでてこない。

温かくなってきた、たしかにー

しかし、植物にとってはまだ夜が寒くて、夜通し震えているのかもしれない。まだ春は遠いと・・・

気付かなかったのだが、まったく芽が出ていないと思っていたら、かぼちゃの芽がたった一個だけ顔を出している。



感動する。

今年は何十年かぶりの雪と寒さだった(と地元の人の言)。

それでも自然は生きている、循環を忘れない。

最近地元テレビで騒ぎ出して見物人が多数押しかけている白水の「一心行桜」、最近デビューの「観音桜」も華やかな時期を過ぎ今桜の花びらが風に舞っている。観音桜は牧地所有者以外誰も知らない頃から、よくワラビ狩りや花見に来ていた。
なんのことはない、牛の牧場の真ん中に一本あって普段は牛が戯れている。もちろん名もなき頃の話。

今では「観音」というありがたい名前まで付いている。先日通りかかったら、一杯の人、車で駐車場係まで出ていたので「一心行」の二の舞になるのではないかと危惧する。

経済価値ありと見るとすぐ飛びつくのだこの社会は

被災者救援のためにも普段通りの生活を!多くの知識人が呼びかける。経済(金)を動かして国家財政を健全に保つこと、それが大震災で家族を失くし、家を失い職を失くした人々を救うことになるのだと。

たしかそうだろう。TVも次第に日常サイクルへ転換している。ワーワーギャーギャーが始まった。

日常への回帰。

そんなに早い切り替えができようか!

今被災地は旧に復したとでも思っているのかー不安や悲しみや怒りや絶望は日を追う毎に増していっているのではないか。
メディアが復活して、情報が再び流れ出した時、TVの画面に浮かれた人たちの狂騒が映し出されたら・・・

原発は少しも解決の様相を見せていない。

現代文化を根底から考え直さなければならない時である。エネルギーをどうするのか?食料自給をどうするのか?

政治家特に今の菅政権に任せていては国の行く末が危うい。


アクティブに生きる

2011年04月15日 07時04分30秒 | 日記
天気のいい日が続いたが、今朝は雲っていいて今にも雨が降り出しそうな空模様。

昨日はいい天気で、「百姓日和」だった・・・けれど仕事は夕方水遣りだけで一日中家の石垣の補修に当たった。

外輪山麓の斜面を段々状に開発してある場所、我が家の上には昔中学の教員だったというHさんが住んでおられる。その境をなす石垣ののり面が隙間だらけで、草が生えたりヘビが顔を出したり・・・とても見苦しいし天敵のへびには合いたくない。

それで隙間に適度の石を詰めコンクリートで塞ぐという処理をしようと思いついた。

田舎暮らしは「何でも屋」でなければならない。

庭にある石を集める。もともと山を削った場所なので、ちょっと地面を掘ると大小の石がごろごろ出て来る。

それでも足りずに朝から車でさらに山道に踏み入り、石をいっぱい拾ってきた。がけ崩れの場所があり道路にいっぱい落ちている所があったのでボランティアにもなった。

だだっ広い敷地なので石垣も長く容易ではない。昨日で3日目になる。今日は敷地に入ってきてから玄関先までの間をやった。

まず空隙に生えた雑草を抜く。マムシにがぶりと咬まれないか緊張する瞬間だ。そして石を隙間なく詰める。

この作業が終わると次に生コンクリ作りにかかる。砂とコンクリを混ぜ、水を入れてさらによく混ぜる。そして隙間にこれを埋めていくのだ。

この作業なかなか難しい。ほぼ垂直の斜面の石垣の隙間にコンクリを詰めたり流し込むのは困難を極めた。上方であれば下へ下へと流れ落ちるし、こてですーっと撫でていくだけじゃない。デコボコ斜面だからこては使えない。ペットボトルを半分に切ったもの、竹を切ってへらを作って作業した。

朝の8時半から初めて、苦労して何とか作業を終えたのは午後の3時。

家内が隙間に植えていたフキを抜いたので夜食卓にフキとあげ豆腐の煮物が出た。久しぶりのフキ、汗を掻いた分だけ美味かった。

風呂に入る時、体重量ったら79.9kg。
ここに越してきてずーっと体重が増え続けついに過去最高の83.5kgまで「成長」していた。

しっかり運動=汗を流す仕事をすればちゃーんと減るもんだよ

阿蘇噴火の予兆?

2011年04月13日 06時37分35秒 | 日記
昨日はお隣のHさんに誘われて、車で南郷谷周辺の「探検」に出た。

「熟年探検隊」結成だ。

我が家の目の前に見える山は夜峰山やさしい姿をした(休?死?)火山。

その山から目を北側に転じると端っこに東海大学の学舎があり、その向こうは大観望、二重の峠、そして立野から国道57号が阿蘇谷へ入っていく。

最近では中岳の噴火が絶えている。薄い煙は見えるのだが新燃や桜島を思い浮かべるとたいしたことはない。

しかし、数年前この夜峰山の裏側山腹から突如として水蒸気が噴き出した。これが白い煙になって吹き上がっているのが我が家から望見できる。一度見に行ったことがあった。しかし、近くまで行ったのでかすかに音はすれど、実見できなかった。

この火口を見ようということになった。っていうか私がリクエストした。

細いまるで獣道のようなところをHさんのランドクルーザープラドが走っていく。

「着いたよ」とHさん。

見ると何の変哲もない別荘地。5,6軒の別荘が建っている。実に立派な建物だ。ところが人が住んでいないようだ。

「危険なので立ち退かされたみたい・・・」

そして、別荘のすぐ裏手から水蒸気がごうごうをいう音を立てて立ち昇っている。
少し喘息気味だし、先日も温泉のかけ流しの発する匂い=硫化水素?知らん理科音痴だからーにあたったばかり。

少し躊躇した。

しかし、リクエストした本人でもあり首に巻いていたタオルを口に当てて近づいて行った。
10m足らず上ったところで旧噴火口があり、今は静か、噴出している場所が移動したらしい。そして、見えてきた。


黄色いテープは進入禁止の指標。そしてさらにー







幸い風がなく湯煙?は垂直に立ち昇っていくのでガス中毒になることなく無事任務終了。

別荘所有者は哀れだ。突然住めなくなって財産が一夜にしてパーになったのだから。人が住まない家はすぐ傷みが出てくる。そしてガスの酸性毒素もあって彼方此方錆付いている。

東部大地震の影響が日本国内の活火山の活動を活性化させているとの新聞報道があった。
巨大火山の阿蘇の麓住民をして若干危惧している所でもある。

遠くから見ると実に壮大で、山並もきれいだし現在は野焼きが終わって新緑が芽生えてきてきれいなのだ。しかし、地下ではマグマが激しく蠢いているのかもしれない。

山の神よ静め給え収めたまえ。