おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

今朝はえらい寒かったばい!!

2011年04月12日 06時53分30秒 | 日記
寒ーい

今朝は久しぶりに冷え込んだ。
外気温2度、室温11度。

夕方、仕事を終えて後片付けをしていると、妻が「明日は霜が降りるらしいわよ」と天気予報の情報を伝えた。

昨日温かいいい天気で、いよいよ伸びてきて不織布の多いが窮屈そうにしている芽キャベツと葉を伸ばし今から巻こうとしているキャベツの被いを外したばかり・・・

慌てて、また畑に下りて外したばかりの不織布を被せた。

人間が寒くなると一枚着る物を重ねるようなもの。

高地なのでいつ「寒の戻り」があるかわからない。今頃でも雪の警戒が必要なのだ。今年はどうか?

朝起き出してまず畑を見るとやっぱり真っ白


2週間ほど前に植えて芽を出したカブが霜で寒そうにしている。


冷たそうな朱キャベツとジャガイモの入っている畝。

昔から人間は自然条件と折り合いながら生産を行ってきた。自然の力の前になすすべなく実りの前に作物が全滅するような経験を何度も何度も重ねながら、それでも1からやり直してきた。

そして人間には知恵が備わっている。

失敗から学んで機械、技術、農法を工夫し乗り越えてきた。

今日はいい天気になりそうだ。

家の周囲の石垣の、隙間が空いて草が生え、枯れ、汚くなっている。
隙間に石を入れコンクリートを流し込んで見栄え良くするため、ひと頑張りしよう。

昨晩は結婚の報告で訪ねてきてくれた卒業生4人と遅くまで飲んだ。

結婚して遠い千葉に嫁いで行く。心の中には親御心で心配する気持ちもあるのだが、幸せになるために二人で決めたこと。二人の旅立ちの門出を祝わないとー
それで
仕方なく
飲んだ。

人間みな繋がっている

2011年04月11日 06時43分09秒 | 日記
選挙があって、昨日は村の小さな公民館に投票に行った。

この土地はもともと別荘地として開発された外輪山のなだらかな斜面。
いまだに永住者は半分くらいで、後は週末か一年に何度か訪れる別荘、保養所が多い。
県道で区画される上と下。下の集落が昔から居いている地元住民。この間に、太平洋ほどの見えない溝がある。

一部の人を除き、殆ど付き合いのない村の地元民が選挙では○○をお願いしますと訪ねてくる。
日本人は選挙が好きな国民なのだろうか?

63歳の現職、32歳の新人、絵に描いたような図式だ。

結果は年功序列に終わった。

午後、卒業生が20数年ぶりに訪れるというので、今年初のバーベキューでもてなす事にした。

「縁」というものがある。人間はどこかで繋がっているということを改めて認識した。
独りの子がこの場所は来た事があるという・・・たしかに見覚えがある・・・

以前自分が英会話を習っていた先生の家に遊びに来た場所がこの土地に似ている。「その人の名前は○○さんというのだけれど・・・」

「えーっ」
「その○○さんってお隣だよ」

「えーっ」
「通りで見たことあるなあと思いました」

「じゃあちょっと挨拶しに行くか」と連れ出して、彼女を紹介。お隣の娘さんに家に来てもらって英会話を親子で習っていたという。私がここに家を建てる前に、一度食事に誘われてここでパーティーを開いたのだという。


阿蘇南郷谷のカルデラの中、田舎で人の数より赤牛の数の方が多いんじゃ・・・?と思うほど過疎の村。その半径100m範囲内に大事な教え子が二人も居た。学校まではマイカーで1時間かかる遠方の地。通学には不便な遠隔地だけどほんの目と鼻の先によく覚えている子と担任の生徒がいたのだ。
そして今回、来てすぐそんなことがあった。

人間ってずーっとずーっと血を辿っていけば一組の夫婦に辿り着く。キリスト教でいうアダムとイブだ。
さらに遡ると全ての動植物の出発点に辿りつく。
生命の起点である一つの生命、一つの細胞・・・

そう考えるとみな繋がっていることが了解される。

「スーホーの白い馬」・・・いのちは無限につながっていく

2011年04月10日 06時39分33秒 | 日記
今日もいい天気だ。

一昨日、一日雨が降った。しっとりと降り続いた。

一夜明けて、庭の隅に黒いシートを被せて置いているシイタケの被いをそっと捲ってみた。
するとー
一日降り続いた雨のお陰で、でかいシイタケが4つ生えている。お隣と畑仕事の合間にお茶した時に半分だけだが差し上げた。
シイタケにもいのちがあって当然生命活動をしているのだなあって、感動

今朝、4時前に目が覚めたのでいつものように、ベッドで読みかけの本を読んだ。
今4冊を読んでいる。

そのなかで2度目になるのだが、鎌田實の「いのちの対話」(集英社)を読み終えた。読んでいる時も、読み終えた後もこころに静かに感動が広がっていく。2回目なのに、いい本は何度読んでもいい。逆にいい本は何度も読むべきだ。

その中で「スーホーの白い馬」っていうモンゴルの民話をもとにした絵本の話がこころを打った。
震災があって考えられないほどの命がいっぺんに失われた。愛する家族を失った人、恋人や結婚したばかりの若い夫婦が引き裂かれた話もあった。可愛い子供を失った親の悲劇もある。
悲しみが無数に存在している。

グリーフワークという医療の専門用語がある。グリーフって深い悲しみのこと。愛する人を喪って悲嘆にくれている人の心中をどうやって癒していくのかーその精神医療のこと。
それって医者の独占的な特別な仕事ではない。こころある者(ボランティアでも)がその人の悲しみに寄り添っていくことだと思う。

それができないもどかしさが悲しいが、この絵本の話を贈りたい。

モンゴルの平原にスーホーという若者がいた。
スーホーが白い馬を育てていて、とてもいい馬だと評判になっていた。
ある日王様主宰の競馬に引っ張り出される。

「一等になった者には娘をやる」

レースはスーホーの白い馬の完勝だった。
ところがスーホーが遊牧民の貧しい身だということを知った王様は、スーホーを軽蔑し金を投げつけて馬を奪い取ってしまう。

スーホーと離れ難く思っている馬は王様が乗ろうとした時暴れて振り落して逃げてしまう。

怒った王様は「あれを殺せ」と兵隊に弓を引かせる。
全身に弓を浴び、息も絶え絶えにスーホーの家の前まで来てついに死んでしまう。

スーホーは悲しみの淵に沈んでいく。

ある日、その白い馬が夢枕に立った。
「そんなに悲しまないで下さい。死んでも私のことを愛してくださるなら私の皮膚や髪や骨を使って楽器を作ってください。
そうすればきっといい音を奏でるでしょうし、いつもいつも私はあなたのそばに居るでしょう。それを私と思ってください」


スーホーはその通りにした。それがモンゴルの馬頭琴だという。

いつまでもいつまでもスーホーの白い馬は彼のこころの中に行き続けていくのだ。


やっとステロイドから解放された!

2011年04月09日 06時56分16秒 | 日記
一昨日、月一度通院している大学病院眼科で診察してもらった。

眼圧左10、右9。視力は白内障手術を終えてめがねのレンズを換えたので、眼鏡をかけての検査をしたら両方1.5だった。

その日はいつもより早く街に下りたので受付順位も48番と今までで一番早い順位だった。それで検査の後の診察も呼ばれるのが早かった。

瞳孔を開いて目の奥を診る。

「下を向いて・・・左下を向いて・・・左を向いて・・・」先生は望遠鏡みたいなもので目の中を覗く。

「すっかり炎症がなくなっています」
「もうステロイド薬(目薬のー)を止めて、消毒用の目薬にしましょう」

まるまる3年かかった。

はじめ家が建ち、門柱に防腐剤を塗ることからのスタートだった。防腐剤クレオソートにやられた

全身に赤い発疹ができ、猛烈なかゆみ、熱で緊急入院。40度近い高熱を発し、2日間全く眠れないもちろん食事もできない状態で、医者は妻に「その?覚悟もしといた方がいいかもしれませんー」といったという。
天井の壁紙にありえない戦国の野武士が何人も何人も現れたのがこの時。

11日入院して全身の皮膚は顔など一部を除いて剥げ落ちた。

しかしこの時に目に後遺症が残ってしまったのだ。それがぶどう膜炎

目の前が白く霞み始めた。そして2年目に白内障を併発。ぶどう膜炎の治療のために使ったステロイド眼薬のために眼圧が上って白内障を起こしたのだった。
去年左を手術、そして今春右を手術。



医学技術(機械工学を含め)はたしかに発達している。霞みで殆ど視力を失っていた目が今完全に見えているのだ
阿蘇景色が霞みなく鮮明に見える。

ステロイドは何にでも効く万能薬で皮膚疾患にも、内科的な病気にでも使われる。しかし、副作用がある
他の病気を併発したり、体重が増えムーンフェイスといって顔がまーるく膨らんでくる。

このステロイドから解放された。病気の一つの区切りだ。通院も2ヶ月に一度に減った。
お世話になりました。G先生。



その日、久しぶりにデパートに寄った。行くところは所謂「デパ地下」、酒・ワイン売り場。
目的は一つ!東北支援のための「南部美人」という岩手の日本酒を買うこと。地震津波でこの造り酒屋大きな被害を受けたと聞いた。

販売員は卒業生だった。「南部美人っていう銘柄の東北の酒が欲しいんだけど」と探してもらって、購入。
帰って妻と飲んだのだがフルーティーで爽やかな味がした。なかなか美味い。17度というから普通よりも度が強いので要注意だが・・・


ピーナッツ植えたよー

2011年04月08日 13時03分20秒 | 日記
今朝は起き出していつものルーチンをやった後、即離れ書斎には向わずにそのまま着替えて畑へ下りた。

天気予報では久しぶりの雨が降るというので、「干天の慈雨」ありがとうと天に感謝。
しかし、空を見上げると雲の間から青空が見える。まだ降らないなとではー即断。落花生の種(去年豊作で取って置いたもの)を播こう

場所は連作を避けて、別の空いているところに植えることにした。

ここは去年冬瓜を植えた場所。収穫の後耕して、石灰も撒いて、たしか肥料も入れているはず・・・

ちょっとスコップで掘って見ると地面が固くなっている。ガーン

仕方なく丁寧に耕して、施肥もして畝を作った。

今回はマルチはせずにそのまま植えることにして、水に漬けてタッパーに入れていた種を植えていく。なかなかしんどい作業だ。

まだ7時前。

途中で朝食タイムを取って、それから再度雨の降らないうちにと作業を急いだ。

2時間かけて全て植え終わる。
まだ去年のピーナッツ残っていて時々食べるが、なかなか美味い。但し、焼き方が難しい。これまでは火鉢でゆっくりじっくり焼いていたのだが、そろそろ火鉢もお役御免で仕舞う時期。

電子レンジでチンする簡単な方法があるらしいがまだ試みてはいない。

春らしくなって、気温が上りやっとジャガイモの芽が出た。
農作はこういう時に感動を覚えるのだ。

3・11以来、畑に出るい時にはラジオをつけるようにしている。今朝、昨夜の大きな余震の報道をしていた。

いつまで経ったら心穏やかに暮らせるようになるのだろう・・・被災者の心情を思うといたたまれない。

早く余震がなくなって、安心して復興の作業に邁進できますように心から祈っています。