コロナウイルスの感染者数について疑念がある。
コロナウイルスの感染者数について、オリンピックの中止を避けるために抑えていたのではないかという報道がある。私もおかしいと思っている。
振り返ってみれば2月末の学校の休校要請も唐突であった。感染者数がまだ増えていないのに、安倍総理は準備期間もなしに突然休校を要請した。学校は大混乱し、保護者のいない卒業式を行わなければいけなかった。誰も要請を批判しているわけではない。問題は唐突すぎたということだ。この時は「桜を見る会」の批判を避ける狙いがあったと感じられた。
さらなる混乱は3連休前にあった。感染者数はまだ増加しているという状況ではなかった。それなのに専門家会議は厳しい予測を述べていた。今考えればあきらかに正しかった。それなのに政府は学校を再開する方向を表明した。これによって国民は気が緩んだ。たぶん重大局面ではないのだろうという気持ちにみんななってしまった。
この背景にはオリンピックが絡んでいたと指摘する人が多い。日本はコロナウイルスが蔓延していないという状況を世界に発信し、日本は開催できる状況にあるが、世界の情勢がコロナウイルスに蔓延しているために今年のオリンピックはできないという論理を作り上げたのだ。日本のせいでないから中止はひどい。延期しかないでしょ。という論理だ。もしそうだとしたら、オリンピック中止を避けるために国民みんなをごまかしていたと考えらる。
案の上、オリンピックの延期が決まった瞬間から感染者数が急激に増え始め、小池都知事や安倍晋三氏がマスコミに向かって「やってる感」をアピールし始めた。
日本のコロナウイルスの検査は他国とは違って選ばれた人だけを検査している。ということは検査をする人をコントロールすればどうにでも結果を変えることはできるということである。数字と政府の対応の差を考えると、政府は別の根拠を持って新型コロナウイルス対策をとっているとしか思えない。政府は国民や世界を騙しながら政策を進めているとしか考えられない。そこには「どうせ日本は医療が進んでいるからどうせ死なない。だから数字なんて操作してもいいのだ。」という気持ちがあるようにしか思えないのだ。
日本の新型コロナウイルスによる死者数が増えないという説もあるが、しかしこの時期になくなった高齢者の死者のうち新型コロナウイルス感染者が多くいた可能性も否定できない。調べなかっただけなのだ。
検査能力があるのに検査をしないということは「信頼」をなくす。「信頼」がないのが日本の政治の本質なのではないかと思えてしまう。
安倍政権下における森友学園問題、加計学園問題、「桜を見る会」問題、大学入試問題、アベノミクスの成否の問題、外交問題、すべて不正や失敗を表面的はごまかしているようにしか思えないのである。